ゴールデンカムイおもろいな〜〜
今更かよ!!という話だが。
単行本を友達から借りており、2巻まで読んだ。
まず、めちゃめちゃ絵が上手い。
しかも、ディフォルメと写実の描写のバランスが絶妙である。
例えば、コメディとして表現する場合には、明確なボケとツッコミという二役を設けはしないものの、頭身や表情の簡略化だとかで、明確だがあくまでシナリオの文脈と乖離がない態度のギャグとして、しれっと展開する。これは演出面の話でもあるが、当人の画力がなければ出来ない業でもある。
対して、命のやり取り、つまり戦闘を描く際には、一切の省略表現がない。
これも、例として地の文で「熊の鋭い爪が、男の顔面を引き裂いた」と書くとする。
このとき、爪は顔に食い込み、勢いによっては顔面の骨なんかも砕くくらい強力だろう。そして、皮膚や筋肉はえぐれ、顔面だったものから、頭からさらけ出された肉塊のようなものへと変貌する。
このように、文語的な表現を全て省略なく絵として絵描いている。
この作品では、サラリとやってのけていることだが、これは並々でないことだ。
また、そのような演出意図は、決して露悪的なものでなく、この作品のキーとなる「アイヌ」の人々が、狩猟を生業とする、つまり生きるために食べる、他を殺すことと密接に関わるからこそ、省略なしに命のやり取りが描かれることに一貫性が保たれる。
「生きるためには、食べる」「食べるためには、他を殺す」厳しい自然の中で生きていくための大原則を表現するためには、必要となる描写なのは間違いない。だからこそ、更に言えば同じく命のやり取りの一部ともいえよう「食事」に際しても、重点的に描かれている。
このような「刹那的だが決して蔑ろにはしない、生命への尊重」という表現哲学に強く惹かれるものがあった。
あと、アシリパちゃんかわいい。
ブレスト的に、脳内設定の「兵士の強化服」を考えてみるの図。頭部はだいぶ趣味だが。
「ある程度テラフォーミングされた火星の尖兵が、地球で活動する際にこんな装備をしているよ」という設定で描いているが、煮詰まり切っていない。
「リトル・ピープルの時代」読了した
実に500ページ超という、質と量共に膨大だ。しかしそれゆえに高い熱量と本人の作品愛、そして独特だが確かな審美眼と多量のカルチャーへの知識を以て、これからの時代をどう生きていけば良いか、そしてどのようなレンズを以て世界を視れば良いかを提示してくれる、素晴らしい本であった。
僕ね、物心ついてから仮面ライダーまともに観てないのよね。
今やっと分かった。現行の作品はさておき、観てみたいのから観てみることにする。
ロボットアニメのあり方は、半ば形骸化してしまっている。それが何故なのか。
当書はこの問いに明確な答えを出している。
「ビッグブラザーというものが既に壊死した現代において、その表現を主題とするロボットアニメの描き方は、既に通り過ぎた道への懐古だとか、そういうものでしかない。だからこそ、確固たる、現状打破のキーとなるメッセージを語り得なくなってしまう」これが、本書を通じて思い当たる僕の答えだ。
仮面ライダーという作品が、時代性を写すことに非常に鋭敏である、というより、ならざるを得ない境遇のもとに成り立っているからこそ、この作品を通じて社会を見る目を育てていけるのだということ。それを、口酸っぱく説いているのだから、これは僕も現代のオタクとして、観ておかなければならないものだと焦燥感に駆られた。今更のことだが。
これは、評論本である。と同時に、本人の愛をぶつけられるだけぶつけた、熱の塊でもある。
僕は、人が愛を以て何かを語っているのを見るのが、たまらなく好きだ。
誰かが何かを批評する。その行為には、出る杭を打つだけとか、揚げ足取りにしか思えないような、ツマラナイ行為だって溢れている。
でも、宇野さんの批評は、「スキ」ありきだ。
そのようなスタイルを受容することは、僕にとってはとても気持ちの良いことなのだ。
まどろみ心地の仕事
本当は、窮地に立たされている。
にも関わらず、焦るでもなく能天気に仕事をこなす。
こなさないと後でやばいな。とは思いつつも。
どうせここで仕事なくなっても…次があるし、という甘い見込みからも、そのような能率に陥ってしまう。
連休というものをじっくり過ごしてしまうと、面白いように僕のメンタルに揺らぎが生じる。フワフワとした揺らぎだ。
その揺らぎは、決して外界と通ずる方なく、自らの心中でのみ揺れるのだ。
それは、「今の居場所は、自分のいて、善い場所か、否か」という揺らぎである。
結局のところ、根源的な悩みは、いつもこれだ。
1年間ここにいて、僕の根幹の揺らぎは、やはり変わることがなく、それはどこか浮遊感を伴う、「ここにいていいのか」という悩みとも言うべき感覚だ。
地に足をつけられていないのか。
いつだったか、僕は「揺れてやる」と述べた。
まだ、またそうなるのだ。
マルチタスク要因を見つけ出しては除外し、一本集中しようと意気込みはした。事実、より多く自らのリソースをそこに割けるようになった自覚はある。
しかし、そうした結果として、究極的に、それと社会の接点が何もなければ、何もならないのだ。
つまり、僕は、これが本当に苦しいことだが、
「自分の好きを、社会と繋げること、ぶつけること」をしなければならないということだ。
そしてこれが、現代社会を生きる人間として、何らかの定義を以って「子供」「大人」を分けた時に、「大人」として有るべきための条件なのだと思う。
会社という傘に守られ、そこで自らの道を考えることなく、ただレールに沿ってこなしていくだけでは、動物的であり、それは子供と変わらない。
今は、こう割り切っても良いのかもしれない。
「翼を広げ、未知の土地を拓くためにはばたこうにも、人間には翼がない。では、翼をつけるためにはどうすればいいか。
まずは、資源の調達である。それから、「翼」をつくることである。
翼が作れないのなら、外注できるのならばすればいい。外注には、コストがかかる。
そのコストを調達するため、やはりまずは労働と対価によって、翼を外注できるだけの資源を手に入れるのだ。下の下の段階として、労働を行うということを、翼ではばたくという大目的の最小項目として設けるということだ。」
………
かきかきする
休日2日目。
実は昨日、半ば半日をドブに捨てた。
ひょんなことからツイッターに思い切り引きこもってしまった。そして、もはや、ままよ!という気分で日がな一日ネットに浸っていた。
午前中、買い出しとか床屋行ったりガンプラいじりとかできてたからまだいいものの。
それを誘発するのもツイッターだと思うので、アカウントをついに消した。一月ログインしなければ消せる。頼むから、僕よ、もうツイッターを起動しないでおくれ。
仕事を辞めたら再開しようと思う。
美希模写、完成。かなり妥協してしまった。
時間のとれなさと、僕の意志薄弱さから、かなり期間をおいてこ完成となってしまった。
正直塗りムラひどい。苦しい。
オリキャラの女の子の顔を考えていた。
左は改善前、右が改善後。
左描いて悔しかったので、萌え路線にもっとシフトして右に。
右を成功という訳ではないが、比べると左かなりアレだな。東洋系西洋系特に考えてないけど、肌の色考えると東洋系の〜〜とかなら左もかなりアリだよなぁ。ウケは良くなさそうだし僕個人の好みとしても…である。
ポケモンの自作小説のようなものを考えていて、その主人公という設定。
なので、ヒメリの実をあしらった髪飾りをつけています。が、左はそのまま木の実をつけてみたがなんか率直すぎて装飾性がなさすぎるので右にて色を変える。
木のみそのものの染料を用いて髪飾りの色を赤一色に…みたいな脳内設定。
もっとリボンっぽいシルエットのがかわいいよね。なかなか定まらない。
デザインは難しい…
服装とかも考えているのだが、エスニック調というコンセプトはあるもののなかなか定まらない。
ちなみにおかげで今日一日、撮り溜めした番組を観尽くした。
夢日記
数度の夢をみた。
❶ガンダムNTの続編?だかを映画館で観た夢。
時系列は意味不明だが、2,3つ歳を重ねたウッソ少年が映像に出ていたのが印象的であり、ファンサービスの充実と、ストーリーの意外性の面から面白さを感じられる内容であった。
僕は観終えたとき、「ナラティブとしては前作(こないだやってたやつ)の1作で終えていた方がまとまりが良い、単体としては面白いが、続編として公開すべきではなかった」という感想を抱きつつ、一人劇場を後にするのだった。
映画館の周囲の人間は、やはりオタクっぽい眼鏡をかけた男たちが大半である。彼らの会話から、「いやでもあのシーンのアレは◯◯だよね〜〜」みたいな中途半端なdisりあいをして笑い合う様子も聞こえた。そのような主張に、「あなたのその思考は浅はかだ、問題はもっと根源的なものであり、そのような中途半端な貶し方はただ重箱の隅をつついているに過ぎないし、それで笑い合う程度ならたかが知れている」と内心憤りを抱いていたりもした。
❷リストラされる夢
僕の営業マンとしての成績が振るわないため、遠回しながらも上司から解雇というか、事実上の自主退職?を命じられる夢。
僕は上司にいう。
「これってつまり、僕は辞めろってことですよね?あの、本当はもともとここで勤めるの好きでなかったというか、別の業種をずっと考えていたんで、むしろ都合がいいんです」
だの、なんだの言って、本心なのか虚勢なのか分からない口上を上司に垂れる。
上司は、言葉に詰まった様子で、何も切り返してこない。
ただ、本当に困ったような表情を見せるのだ。
額に汗を見せ、苦虫を噛み潰したような、顔全体の表情筋をあちらこちらへと引き伸ばしたような、もみくちゃの表情。
しかし、一向に返事をしないのだ。
無言の肯定というヤツだ、と僕は思った。
その後も僕は、上司に続ける。
「この際だから、会社に対して思うこと色々あるので、色々打ち明けたいです」だとか。
夢の内容は、この辺りで終わった。
僕の上司は、普段は、というかこのときも甘々なくらい、「いい人」である。
だから、言葉に詰まった。何も言えなかったのだろう。
上司にとって、自らが部下に辞令を下すということは前例のない事態だった。だから、言葉を紡ぎあぐねた。
会社のことをさんざん酷いと思っているのに、いざそこから追い出されるとなると、明日への不安だとか、社会のはみ出し者になった自分の惨めさとか、転職する際にも「無能者」としてキャリアに傷がつくとか、色々思い、結局このとき、「ああやっと辞められる」という思いより「どうしよう」という気持ちの方が強かった。
そして、その程度の心持ちでしかない僕自身に、ひどく落胆をしていた。
僕が見た夢は、このような2つである。
「夢」とは名ばかりで、ひどくロマンスのない、現実と地続きでしかないものだ。
ましてや、二つも見ている。
これは、いかに眠りが浅かったかを物語っている、実に良い証拠だ。「良い眠りができていない」。
夢の内容も内容だが、睡眠の質もいいところである。
僕は、不健全な状態であるということだ。