はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ダブルランクマの現状

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出勤前。1時間ほどの朝のランクマ。

2500位あたりから5連勝。とりあえずは3桁台まで昇る。

 

前の記憶だと、ここまで来ると順位の変動幅が少なくなってくるので、落ち着いてプレイしていきたい所だが、この順位から戦うにあたって、イケるぜ!!てほどのご自慢のPTなのかというと…まだしっかり来ていない所がある。

 

 

 

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構築の途中経過。ギリギリ勝ち越している程度の構築でかなりガタガタな内容。

トリルドサイとドリュウズ、つまり地面の高火力に永遠に悩まされる。

そして葉緑素バナに殺される。

ダイマも上から眠り粉も大地の力もきっつい。

 

 

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そして、上記のドリュウズやバナへのメタをかなり考えた後に構築を改変。

構築の始点は、アシレーヌとストリンダーだったのだけど、そいつらはどっかへ行きました。

アシレーヌの意思はギャラが継いだ。

ストリンダーの意思はパッチラゴンが継いだ。

 

自分の中で防塵ゴーグルヒートロトムがアツい。

 

ポケモン単体ごとのパワーは高いのだが、全体としての統率と噛み合いかイマイチ。

PTを自分で使うというより、使っているポケモンの個々のパワーに振り回されている感覚がまだするなぁ。スペック勝ちみたいな所がある。

勝ちは勝ちだけども。

 

 

今期こそは最終2桁順位を狙いたい。

欲を言うならば、やはり最終30位以内か。

 

どこまでいけるかは、時間も決まっている身分だし分からない。しかしやれるだけやろう。

 

悔いを残さないように…というのは無理です。

現状ですらプレイスタイルに自問自答する部分があるのだから。

 

だから、今は「とにかく取り組めるときは取り組んでおく」

これしか心掛けない。そして、その心掛けを忘れず、ブレないようにする。

そういうメンタルセットで挑むしかない。

 

後は、そう取り組めるような時間の使い方と、実生活でのセルフケアというか、セルフマネジメントだ。

 

 

パッチラゴンの火力楽しすぎ〜〜〜〜

 

 

 

 

大人なき世界線

タイトル、おおげさすぎる。

 

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今日は半休だったので食料調達(お菓子)、消耗品買い出しをした。て、休日はこういうことほとんどやってるか。

淡白だけどこれでいいの。休みの日、可処分時間は、効率的に引きこもるためのプレイングをしているんです。

 

 

 

 

(本題)
店内の現場職には、僕の上司が二人いる。主任と店長。
僕より一回り、二回り上の方達だ。

その二人は、別の店へと異動となった。

二人の直下の者は、来月入社3年目となる僕だ。
自店の現場の取りまとめ役は、なし崩し的に僕となった。

慢性的、かつ、店舗全般で人手が足りていない。
補充のため、僕の上司方は異動となった。

僕に役職が就くのかどうかは、まだ聞かされていない。

毎月の業務は、不安ながら覚えているし、管理者としてやらねばならない仕事は、
今月上司方から教わっていた。

教わり始めた時点で、新年度に何らかの動きがあるだろう、とは覚悟をしていた。
が、上司方がいなくなる。

頼れなくなる。甘えられなくもなくなる。

それは、僕を男にしてくれる機会であろう。成長をさせてくれる機会であろう。
と同時に、現状ですらちょっと参るときがあった店内のいざこざを、
今度こそ責任をもって、受けおわなければいけなくもなる。

身がすくむ思いだ。
しかし、僕は、少し燃える気持ちがある。

カッコイイ男になれる機会なのかもしれない。
誰かを引っ張り、奔走する男はかっこいい。

鉄華団のオルガイツカ。WBのブライト艦長。ラーカイラムのブライト艦長
こういう役回りを思い出す。

彼らはかっこいい。コミュニティをどう引っ張っていくかで悩み、苦しむが、それでも最後
(最期)まで引き連れていくのだ。
しかし、当然ながら部下全員が完全に信頼するわけではない。

それでも、必要悪なれども、引っ張っていかねばならないのだ。
そうしなければ時間がないから。状況を進められないから。
さらに言えば、下の者も動けるようにならないからだ。

が、これは現場論レベルの話であり、「全会一致せずともリーダーシップをとにかくとることが大事で、先を急がねばならない」というのは、やはり暴論にも近い。
それでもだ...僕は、「必要悪」の存在となる覚悟を背負わねばならない。
誰かの上に立つということ。共同体の存続のために、あえて指摘する必要のあることは指摘せねばならないということ。

そういう意味では、大人なき世界で、僕自身が「大人」になる必要が出てきた。
ついに出てきてしまった。

「せざるを得ない状況だから、そこに適応してやっていける存在になる」
進化論にも近い理屈だろう。僕は、人の能力開発や人間力の成長に関して、そのような価値観を抱いている。
「せざるを得ない状況に飛び込んでいく」これが、成長のキーなんだろうな。

僕は、これからどう成長できるか?
今までどう成長できたか?

それを具体的に言えるよう、自分と向き合う必要があると、今思う。


ンン...とりとめのない考えだな。

 

僕は、会社が、業務が、好きだからやっている!!という気持ちはない。
しかして、それがイヤってワケでもない。
「順応しようと努力すればどうにかなる」かもしれないという気持ちを、最近抱き始めた。
僕にとって、今の仕事は、一種の課せられた課題のようなものなのかもしれない。

そういうとらえ方をしている。
ある種、ロールプレイである。

 

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一年、二年前の日記を見返してみてください。
僕は、気恥ずかしくてできないが。

しかし、メンタル構造は違うという確信がある。

状況に慣れた。順応をした。
そのうえで「どうするか?」を現実論として考えられるようになってきた。
そういう気持ちがある。

僕が会社に対してさんざんの愚痴を言っていた時期がある。
その理屈は、理屈としては至極正しい気がする。
「理屈として」否定できる気がしない。
が、気持ちとしては、「甘ったれの戯言」と、やはり今思う。

こういうメンタリティ、あまり自分じゃスマートに思えなくて、好きではないのだけど。

今後の僕は、自分を蔑ろにして会社の愚痴ばかり...という過去の自分に対し、
その立場を弁えた上で、理屈として、そうでない見方を、はっきりと言えるようになりたいとも感じる。

2020/03/16

休刊日であった。

この日は朝刊がないので、日勤が許される。9時出勤である。

前日、それをいいことに0時近くまで起きていた僕は、6時くらいに起きた。

起床後、
お風呂に入り朝ご飯を食べる。30秒ドローイングをする。
ながらで、アニポケとポケんちを視聴していた。

毎日こんなルーティーンで過ごせたらなという思いで、優雅な朝を過ごす。
が、6時間睡眠というものが体に疲労を残させるものだという実感とともに出勤しつつあった。


この日、夕刊時までにやることは、ざっくり「研修」である。参加者は、今春に入社が内定している卒業生と、後輩二人と、僕の計4人だ。オブザーバー、司会進行として本部長。

内容。自社で扱う新聞についての一事件を追ったドキュメンタリビデオを視聴する。理解を深めるという名目だ。

あろうことか、僕は途中途中でこくりとしたり、少し寝たりしてしまっていた。
先輩としてあるまじき態度だということは分かりつつも、だ。
しかし睡眠不足がここでたたってしまったようだ...。

僕は、この事件の概要は既に把握していた。それは入社当時から研修としてこれについて学ぶ機会を与えられていたからだ。寝てしまったのは、「既知だったから」と軽くみていた所もある。そして、僕の発言の機会がでたら、優等生的で抑揚をしっかりつけて端的にまとめた事を言えばいいや、と、体裁だけはおさえることをもくろんでいた。

そうこうして、予想通り締めくくりの際にそれぞれの感想を言う場面で、僕は発言に詰まることなく意見を述べてその場を凌いだ。

昼間は全員で食事をともにした。

要するに、この日の午後までに行うことは、研修生のお守りである。

午後は僕の配達の割り当てもなかったため、引き継いだ仕事や自分の仕事を少し片付けてこの日の勤務を終えた。

早めに切り上げたのは、またしても夕飯の食事会があったからだ。

ここでも後輩二人と内定者を引き連れて社長宅へお邪魔した。
そして、社長の奥さんがふるまってくれる手料理をたらふく平らげてこの日を終えた。

文字通りのおいしい思いをするはいいが、社長は話が長い。
僕らは、ただ社長の、言ってしまえば「経営者的お手本的なありがたいお話」を、相づちを交えながら聞いているのだった。

そんな折、会社の本部長からはメッセージが入っていた。
「20時になっても話が終わらなかったら、『明日は朝刊業務があり、それに障る』と言って切り上げてください」と。
ありがたいフォローである。そして実際、その時間を少し過ぎても話が続いていたため、
僕は社長に「もう帰ります」と伝え、深々と社長夫婦に礼をし、後輩達を引き連れてその場を去った。


毎年年度始めに、これがある。社長の奥さんの手料理お食事会だ。
とてもおいしいメニューで、どこどこで獲れたナントカ野菜を使った和食風味の云々をふるまってくれる。
新鮮な野菜は独り身にとても効くので、本当においしいと感じる。


この日は21時半には寝たか?
前日の睡眠不足もあり、なんだかとても疲れてしまった。
リーダーとして振る舞うということは、とても疲れる。
いつもは、上司がどこかにいてくれるもの。そういう気の違いって、本当に大きいんだなと実感をした。

しかしその上司方はいなくなるのだという。それについては、別に記事を書こうと思う。

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社長夫婦の話は、どこかに出かけに行って、そこでナニをして、何らかの食べ物を獲ってきただとか、そんな話題が多い。
いかにも「社長」って感じの話題だ。

僕は思う。その土地だけのことをするの、人って好きなんだなぁとか、根源的な欲求なのかなぁとか。

僕は出不精気味であるし、理由がなければまず外出をしない。
その気質は、社会人となって時間が限られるようになり、さらに加速した。

多くの人は、外出を好むように僕は感じる。当たり前だろう。
しかし僕は思う、「外に出て遊んで楽しかったってなって帰ってきて、なんか残るのってあるのかな」と。
そういう感覚の持ち主であった。高校時代あたりから、そんな気を強めてきた。

かといって、そういう意見を主張する人間ではなかった。
嫌われるのが恐いから。

だから、一人で外出するのは好きだった。
自分のしたいことをし、得たいものを得るために外出をする。目的ありきでの外出。
それを邪魔されるのが、とてもストレスであった。

根っこのどこかは、「意識高い系」のそれであるのかもしれない。
の割に、頭が良いでもなく、めっちゃイケイケな仕事をしているわけでもない。
よくわからないね。
でもこんなことを思いつつそういう立場になっているのは、人に嫌われるのを極端に怖がったまま生きてきたからなのだと、かなりはっきりと自覚している。


こういうトーンの話題は、「暗いもの」と捉えられるのだろう。
しかし、僕個人の主観でいえば、自分自身で、自分の気質を自覚するという行動は、とても精神衛生上健全に思えてならない。

今、自分から見つめた自分はどうである、と、アウトプットをできるということは、幸せなことであると、心底思っている。

言いたいことを言うと、僕らは気持ちよくなるだろう。多分。

言いたいことをすんなり言えるようになるために、こういうことをしているのかもしれない。気持ちよくなれるために、幸せになるために、こういうことをしているのかもしれない。

写真

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GフレームのZ3号機。部分塗装と墨入れをしみた。肉抜き多いので黒く塗って誤魔化すとそれなりになる。

 

 

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映像研のアニメ観た後になんか描いたもの。

手癖でRX78ガンダム描いたことねぇなぁってなって適当に描いたもの。

 

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配達中、とても近づいても逃げなかったカラスさんがいたので、そっと無音で撮った。

その後離れてみてもしばらくここにいた。

なんてここにずっといたんだろ。何で僕近づいても離れなかったんだろ。

理由はどうあれ僕が近づいても逃げないでいてくれたの嬉しかった。

 

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シングルランクマ、キョダイラプラス構築パクって潜ってマスターにあげた。

シングルバトル、クッションポケモンという概念を知っているかどうか、そして実用感覚が身についてるかでだいぶ変わるなと思った。

完全に、今作は「数値で受ける」より、「数値を落ち着かせる(ダイマを凌ぎきる)」ゲームへとシフトしたんだなぁという印象。ポケモン種族値プールもさることながら、攻撃>防御のゲームシステムだもの。

 

 

・映像研には手を出すな!

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金森氏のキャラ造形めっちゃいいんだけど。世の中こういう人がいるおかげで成り立ってる。割とまじで。

このセリフもいいよな。ツイッターは能動的に仕掛けていくためのツール。そうでなければ呑まれる。

 

憧れるというか、自分のそばにめっちゃいてほしい。

 

・100分de名著「幼年期の終わりアーサー・C・クラーク

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これが1953年時点での「ユートピアの定義」と指しても良いはずだ。

これ、現代の理想郷のイメージと全く違わない。

70年近くも前に、現代的理想社会システムのイメージ像があるということに、本当に震えたよ。アーサークラークさん、天才どころじゃない。

同時に、それだけの年月を経ようとも、僕らの「理想」のイメージ像は更新されることは無かったとも言えるよな。

哀しい事実。

 

 

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幼年期の終わり自体、その物語構造の鮮烈さにシビれた。色褪せることないどころか、とてもシビれてしまった。僕がSFびいきな所があったにしてもだ。

 

この物語は、それ自体が収集つかなくなり、暴走して終わった印象もある。

おそらく、作り手さえも物語そのものの問題提起やテーマ論に明確な回答を(その時点では)用意しえなかった。

物語そのものがブラックボックスというべきか。とにかく圧倒されてしまった。

 

この作品のテーマ論へ氏独自の回答は、自作「都市と星」で用意されることになるのだという。作品を通じて自身のテーマの回答、ブラッシュアップを重ねていく。

 

富野監督もそうだったな。カッコいいぜ。

 

『FOLLOWERS』泣いちゃった。

"汝の道を進め、そして人々をして語るに任せよ"

 

めっちゃめちゃおもろかった。

全人類に見てほしい作品であった。

 

僅か9話という尺の中で、ジェンダー論と社会生活論、SNS論がとても盛り込まれていて素敵であった。

 

視点が視点だけに、女性側での偏りがあるかもというのと、どうしても尺の都合上大団円サクセスストーリーへのつながりがスムーズな感じもあるのだが、そういう理屈は抜きにして、演出もテンポもガッツリ最高。

 

最終回なんかコンテめちゃめちゃカッコいい。

 

 

以下、グサっときて画面をスクショ(物理)したもの。

だ、大丈夫、だよね…?

むしろこんないい作品だから是非Netflixで観てくれという宣伝の意図がある。

最初の1ヶ月無料やぞ!!その内でも観ちゃおう!!

(というかこの全9話、1話45分という構成が、有料加入しなくてもいいからとにかく観てほしいという気概すら感じる。楽しく世の中を変えていきたい意欲をも感じる)

 

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ガンダム の話をしよう。

戦争という、闘争という状況があった。

その中で戦う器は、人型を模した巨大なもの、モビルスーツであった。

 

戦争は、戦は、身体が丈夫で、鍛錬を積み、それをするにふさわしい者たちが行った。

大人の男たちだ。

 

時代の武器がモビルスーツいえども、戦うのは、男であった。

 

しかし、戦争は男たちだけで進むものなのだろうか。男たちだけの想いと、血と、行動で決まるものなのだろうか。

 

そうではないことを示すものもまた、時代の武器たるモビルスーツである。

武器とは、機能さえ果たせば、誰が使おうが同様の効能を果たす。

使用者が誰であろうと、引き金を引けば誰かを討てる。

 

一市民の少年にすぎなかったアムロは、武器を、モビルスーツ____ガンダムを手に入れた。

 

アムロにとってのガンダム。それは、大人の男たちの世界への入り口であり、武器なのだ。

 

 

で、現代社会における僕らの武器は、SNSなのだ。僕らにとってのモビルスーツは、ガンダムは、SNSなのだ。

 

 

 

 

僕は、SNSが嫌いだと以前書いた。

その状況もまた、時代の武器を使っていないという意味において、そして、嫌う理由においても、完全に健全なものではないのだ。

 

僕は今、おそらく、時代の武器を使いこなさない選択をしている。

そして、その選択を改めて問い、「その選択をして良かったか」「その選択は何であったか」を、明確に答えられる必要がある。

 

僕は、ガンダムに乗っていない。

 

 

とにかく!

Netflixはサブスクの中でもかなり『いいもの』の部類に入って、人間度を上げてくれるような感覚がある。ありがとうと心底思う。

同じことはYouTubeにも言える。

 

僕が今好きな映像コンテンツは、NetflixYouTube

 

 

 

 

スクショ晒し文化きもい消えればいいのに

Netflixで思わず観てしまっていたのが、
「Followers」だ。Netflixオリジナルドラマ。

いわゆるデジタルネイティブ世代付近、インターネットっ子どストライクな年代である僕は
、やはりこういった
SNS世代の現代劇」というものに、ひどく惹かれる。

で、その描写が巧みでテンポもよく、わかりやすく進むがために思わず視聴しているというワケだ。

 

断言するが、僕はTwitterが嫌いだ。
インスタグラムも嫌いだ。LINEは普通だ。

 

Twitterというものに、浸かったが故に「嫌い」なのだ。

この作品にて、SNSへの批判的論調がいくらか織り込まれている。
(決してSNSを批判しているわけではない。そのような主張の人物がいるという描写にとどまっている)
「現代は個人の価値が数値化される時代だから嫌だよね。昔の人がうらやましいなあ」
まさにそれだ。これこそ、僕がTwitterを嫌う一番の理由だ。

そして誰もが、この「数値」に取り憑かれる。僕でさえそうだった。

フォロワー数。いいね数。リツイート数。リプライ数。ツイートアクティビティ。
イヤでも、時折きになるのだ。
どんなに、「そんなの気にしぃよ!」という態度でいても。
「数を確認すること」は、誰に見られずとも、数回画面をタップさえすれば、出来てしまうもの。

「俺さ、フォロワー数なんて気にしてないからさ」
そんなことを言う人間がいたとしても、こちらはその人のフォロワー数が気になる。
そのツイートのRT数が気になる。だって、大きい方が説得力出るんだもの。

そうだ。文脈如何より、「数値の大きさ」だけが重視される。その大きさ=正しいと、直感的に判断する。してしまう。

これは、論理の飛躍であるにも関わらずだ。
そして、それが論理の飛躍であることを考えさせてくれない。考える暇を与えてくれない。

何故か。「他のツイートが、すぐさまTLに流れてくるから」だ。
一つ一つの情報を精査する、考える時間など、与えてはくれないのだ。

その分、情報がいっぱい得られる?
いやいや、情報だらけになって迷って、しどろもどろになるだけじゃないか。
こういう作業を、生業とする人ならいい。それが仕事であるならば、その作業との向き合い方を覚えるからだ。
でも、そうでなければ。プライベートとして利用するならば、余計なストレスとなる一方だ。

 

...どうやら脱線してしまった気がするが、
これが、僕の言い分だ。


閑話休題?タイトル文の話題に戻ろう。

「スクショ晒しきもい」。
こういうものに、生理的嫌悪を覚える。

同作の第四話「炎上」にて、
主人公・なつめが、同じくモデル達のグループLINEの「某ブランドはまじありえないよね?」とディスりながらなれ合う流れに、「なつめもそうだよね?」と同調することを迫られ、それに屈して自身も「まじでありえない、仕事だからたまたま使っただけ」と述べてしまう。グループの一員が、鬼の首をとったとばかりに、すかさずその発言をスクショ、Twitterにてアップする。それが拡散し、SNS上ではなつめに対する「マジかよ最低だな」というような罵詈雑言の反応で埋め尽くされる。
それまで躍進していたなつめだが、一気に信頼が地に落ちる...というシーンでラストが締めくくられる。

 


吐き気がする。


このような事に関わる生きものは、人間じゃない。「動物のやること」だ。

「動物のやること」。その場その場の条件反射と、その瞬間を食いつなぐことのみが目的で、基本的にやることなすことが対症療法的。何かの目的に沿った行動を紡いでいくわけではない。

「人間のやること」。目的があり、そのための行動をし、社会との折り合いをつけ本人なりの折半をし行動をつなぐ。基本的に「その場しのぎ」の段階を脱している。


ダレかを蔑むためだけに、自分が気持ちよくなりたいがためだけに他者をないがしろにし、悪意のある投稿をする。
それを見た人物は、他人の不幸は蜜の味とばかりに、気持ちよくなって「なつめも地に落ちたな」と書き込む。その人より、自身の方が立場が上だと錯覚し、それで気持ちがよくなる。
当たり前だが、これは何にもならないやり取りだ。
実に不健全な気持ちよさのループ。この問題を解消したところで、マイナスをゼロにしただけで、時間的精神的リソースの無駄遣いである。

ダレも、人の心を大事にしない。
だから、こんなことが起きてしまう。

なつめも、人の心を大事にしなかったのだ。
そのブランドの、アイテムの制作陣、その場を用意してくれた人たち、決して一人でその場にいるわけでもないに関わらず、それを蔑ろにし、ブランドを貶す。
批評ではない。「貶す」なのだ。

これが発端であったといってもいい。


だからこう言いたい。

「人の心を大事にしない世界を作って、何になるんだ!」(カミーユ並感)

だから僕は考えている。
人の心を大事にするというのは、どういうことなのかと...

テーマが飛躍してきたところで終わり。

人の心を大事にすることと資本主義社会はなかなか相容れないけど、
頑張って折り合いもつけられるということを最近思えてきた。

 

 

それにしても、こういう考えることを想起させてくれる作品を作ってくれるというの、本当に素敵なことだと思う。

そういう意味では、間違いなく名作だ。

2020/03/10 ドラマ症候群

「すみません、あの助けて。助けてください」
2月某日。配達中の事である。午前も4時という早朝の時間帯のことだ。
配るべきあるアパートにバイクを停めた瞬間、
一人の女性が僕の元へかけよってきた。
明らかに、ただならぬ様相であった。
「え、あ、はい?どうかしたんですか」
「えっとあの、警察呼んでもらえますか!友達が、友達が暴れ出して...」
「わかりました。今、呼びますから。とりあえず、落ち着いてくださいね」
突然のことに僕も狼狽した。
不意打ちすぎるシチュエーションに、実際僕も落ち着いたものじゃないのだが、言葉だけでもひねり出してみせていた。

警察には電話で連絡をとりながら、女性から事の経緯について簡単に聞き出し説明をする。
今は某アパートの前にいますと伝え、しばらく二人で待っていた。

僕は、どう言葉をかけていいか分からなかった。

彼女の家に誰かが泊まりにきていて、その人物と一悶着があったことは事実だ。
身なりは、思い切り寝間着であった。足をみると、裸足であった。
「友達が暴れ出して」。それで一目散に逃げてきたのだろう。
だから靴もはかず、携帯も持ち出せず。それで偶然目に入った僕に連絡を取り次いだということはすぐに分かった。

だけど、彼女の心境がわからなかった。その「友人」との関係性がどうで、どんな経緯でこんな事になったのか、そして、このような事態に対して、どんな感想を抱いているのか。

そんな事は、語れるはずもない状況だということは分かる。そして、僕も聞けなかった。
彼女の様子は、明らかに怯え、震えていたからだ。

少し寝間着に目を見張ると、血の跡らしきものもついていた。推定ではあるが、断定しても良いだろう。血がついていた。

「もう少しで来ると(警察は)言っていました。」
「どのくらいですか?」
「10分くらいです。あと少しですよ、すぐ来ると思います、よ?」
語尾が少し頼りなげになってしまう。ヘタレてしまった。

「あの、これ履いててください。裸足じゃ寒いでしょ。これも」
僕は、自分の履いていた冬用の厚手のブーツと、ポケットに入れていたカイロを手渡した。
それくらいしか出来なかった。
野次馬根性なのか、ヒーロー気取りなのか、ナンパ師根性なのか...僕はこの女性の心を少しでもいたわってやれればという気持ちが働いていた。
だから、何かを話しかけたかったが、自分の持っているものを渡すくらいしかできず、それ以上は何もできなく、無言の間が続いた。

アパート玄関前、雨よけの前で待つ。雪が降っていて、ー10度は近くなろうという寒さだ。
物音のしない時間帯であった。彼女が歯の根をならし、震えて思わず声が漏れるような、そんな声とも吐息ともわからないが__それさえ聞こえるような静けさだった。


やがて、警察がきた。

彼女は警察に保護され、現場まで同行した。僕も途中までついて行き、事情の説明と連絡先だけ教えた。
配達途中だったので、それで引き返した。
「○○さん(彼女の名前)には、お大事にとお伝えください」
それだけ伝言を頼んだ。


この話は、コレで終わり。
その後は特に何もなく、以降つながるドラマをも予感したが、あれから3週間ほど経った今も、全くの音沙汰もない。
彼女が平穏無事で暮らしていれば、それで良いと願う。


現実とは、大きな事があってもそれがドラマとして続くかはまた別で、わりと無茶な行動と覚悟や決意がなければ、そもそもドラマとしての続かせようがないものだと分かる。

それでも、不謹慎な物言いだが、僕は人生で初めて、

「親方!空から女の子が!」のようなシチュエーションに出会うことができた。

これは正直___驚喜すべきことなのだと思う。


「連絡先とか聞けばよかったのに」
この事を話すと、先輩にそう言われた。
向こう、それどころの様子じゃなかったですよ、怯えてましたもん。僕もいきなりで慌ててましたし...

僕はそう返したが、正直今思えば、先輩の言う通り聞けばよかった。
それか、連絡先を渡すか。
”時の運を逃した”って感じが、正直してしまう。

 

_________________________________________
どことなく、姉の姿が重なった。弱っているときの姉は、こんなだった。
彼女の”友人”は、暴れているときの姉のようだったのだろう。


僕は、姉を思い出していた。
姉は、心の疾患を煩っている、そう診断された。

心当たりは確かにある。いわゆる症状というのが強く出たとき、時間も関わらず泣きわめいたり、目がすわって、他者を攻撃する言葉を口走ったり。(「殺す」とか)

後は、被害妄想だ。
「ネットで私のこと言われてる。みて」そう言われ、僕は見てみたものの、なんてことはない、
何かの人物の紹介記事だった。共通点は、姉の名前と一部が同じという程度であった。


そんな姉と、どう向き合っていけばいいのか分からなかった。
理解の浅い頃。
「また発作を起こしてる。面倒かけるなよ!馬鹿」
こんなことさえ思っていた。
「鬱だなんだといって、学校をサボっているだけじゃないか。いいよな」
こうさえ思っていた時期もあったのは事実だ。

しかし確かに、目に見えている、耳に聞こえているもの、五感を通じるものは、脳というフィルターを通じてでしか知覚し得ない。
逆に言えば、脳がそう知覚さえしてしまえば、本人にとってそれは事実となる。
「それ」___一般的に幻覚や幻聴とされているものだ。

いつしかこの脳科学のようなものを頭で理解したとき、少しずつ姉の事を受け入れることが出来てきていた気がする。
姉の前でも、「穏やかな気性でいる」ことを心がけたのだ。
しかし、決意と時を同じくしたころ、姉には彼氏ができた。

芯から優しい人である。
だからその人が、姉にとっての癒やし、救い、拠り所となってくれると思えた。それは僕だけでなく、家族一同がそう思っていた。

同時に、その彼氏に、姉の面倒の一切を押しつけてしまえるような、「身の楽さ」をも感じていたことは事実だろう。

僕は少し拍子抜けをした。
「よし、姉と向き会える。」そう思ったとき、姉にはすでに求めるべく、救うべく人がいた。彼氏という存在が。


その人物に嫉妬はしたか?それはよく分からないが、ほんの少しした。
しかし姉が救われた気がする喜びも大きかった。
肩の荷が降りる感覚がしたのもそうだ。

ただ、僕自身、姉と向き合えたのか。
これだけが、未だに心残りである。

しかしこの心残りは、ドラマ症候群とでも言うべきか、それに由来する心理だろう。

ここでいいたい”ドラマ症候群”とは。
「君と僕」の関係性が、起承転結でしっかり収まっていることだ。
今回は、「姉と僕」になぞらえるとしよう。

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「起」:姉は心の病を患っている。僕はそれを疎ましく思っていた。「うるせぇ!」そんな罵詈雑言さえたまに口走ってしまうくらい、僕は倦んでいた。おろおろする姉。両者の関係はあまり良いとはいえない。

「承」:大学の授業で、空きの時間が増えてきた。それを使って何かをしたくなった僕は、本や人間ドラマが主軸のアニメを、ひたすら読んだり観たりした。僕は、人の心と向き合うこと、理解することを学んだ。そしてふと思ったのは、姉との関係性であった。今までは不満をぶつけるだけだったが、そうではない。僕もまた、良くなかったのだ。

「転」:「今までごめんね」僕は姉にそう口を開いた。急に何、とは返された。しかし、これが契機となり、お互いこれまで、どんな思いで生活をしていたか、互いをどう感じていたのかを話し合えた。

「結」:姉と僕のわだかまりは解消され、以前よりも打ち解けた様子で話し合える間柄になった。そして姉には漸く彼氏ができる。僕はそれを心から祝福した。時折、姉・姉の彼氏と僕を交え、ほほえましく交友することさえできるようになった。
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こういう風に、ステキなお話の流れが、現実で起きることを期待していた。
これは半分程度事実だが、ここまですんなりと事が運ばれた訳でないのだ。

この「理想と違う」現実に、心残りをしている、という訳だ。
それが僕の言う”ドラマ症候群”だ。

現実は、ドラマじゃない。

現実の登場人物は、「君と僕」だけじゃない。
お話に最終回もない。どこが最終回になるのかも分からない。
劇中のエピソードだけで事が進むわけでもないのだ。
両者が、互いの目の見えないところで、別々のことをしている。

頭では、理解できているつもりだが、本心、心残りをしてしまうんだな。
だから僕は、”ドラマ症候群”から抜け出せないでいる。

 

ここまで書くと、僕が姉の話の前に書いた女性にも、似た想いを抱いていることが明白だろう。
突然目の前に女性が、「助けてください」と現れた。
僕にとってこれは、物語の「起」だったのだ。

だから、続きがあると思っていた、そして、誰かと心底向き合えるチャンスが来たと思った。しかしそうではなかったし、そのように出来る行動を起こせなかった。

これが事実だ。


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「モエラの台詞じゃないけど、運命は自分で作ってみせる!」

思いもよらぬ事に嘆きそうになったとき、僕はこの言葉を思い出す。
今も思い出している。

嘆くだけじゃどうにもならない。
努力はしなくても、割り切ったっていいんだ。

だけど、割り切ろうにも時間がかかる。
備忘録のように、こうして記述することで、向き合うと同時に、割り切ろうとしているのが、僕という人間だ。