はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

イラスト:女の子

f:id:nagisaseer:20201115184205j:image

紙を特選上質紙からベーシックペーパーに変えた。

ベーシックペーパー、めちゃめちゃ良き。

 

実は今まで塗りの表現を学んだりあんましてなかった。要は手癖が強めだと。

 

テキストとか見つつやってみた、

 

けど見返すとほんと真顔になるなぁ

描いてるときすんげ〜〜かわいい!かわいい!てなるのにな。

 

今後の課題:

(線画)髪をやわらかく描く。

お目目の描き方がどこかカタい。

 

(塗り)色調の統一感。肌色部分だけ独立してE系統で塗っている。

これは正直経験に依る部分もあるので色感覚は目を養って描いていくしかない。

 

 

女の子のイラストに対する男女の目線

視覚的印象の話

その印象自体は、性別関係なく受けるものなのだろうが、直感的に、大きく感じる所がどことなるのか、を書きなぐる

また、メジャーで感じているだろうという所感

 

女性:ビジュアル的な心底の共感的な部分の追求

アクセサリや小道具類の身近さであり、それらの「デコ」的な部分

⇨自身を着飾る気分にしてくれる感覚、その没入感

⇨すごく最たる例で言えば、魔法少女プリキュアとかおジャ魔女とか。このイマジネーションが原点にあるとする。年齢とともに、しかし現実というものの比重が増す。その婉曲表現を、いかに現実感を出しつつファンタジーとして昇華させるか。

⇨色彩表現の「統一感」「コンセプト」「ファンタジー性」は大事にしている印象

⇨「そこにいて、その瞬間、幸せになれている私」さらにいえば、「あっ…スキ…!」

 

 

男性:セックスを思わせる。健康体である。その子が動く姿を容易に想像させてくれる。

裸になり、自分が射精をすることを許してくれるだろうという感覚を提供する。

つまり、肌色は必ず見えていなければならない、が、その塩梅が難しい所だろう、ほぼ全裸じゃねーか、みたいなのは、逆に「ビッチ」を思わせて萎えるかもしれない。

そうでない「裸」を思わせる表現は、「体のラインを感じさせる」服の形や、素体の描き方、ポージングである。また、その一部分の強調。

コードギアスの第一期OP、C.C.がギアス空間的な背景で儚げな目をして去っていくシーン、その瞬間でステキなお尻のラインを見せつけられて忘れられない者はほぼいないだろう。

⇨「うひょおおおおたまんねぇ❗️❗️」

 

百合男子というのは、この男性性的リビドーを強烈に抑制するというか、エモーショナルな部分を脳の別の部分に転嫁させて感じているような所があり、そういうのの愛好家というのはとても面白いと思う。どこか知的に感じる。

 

 

 

で、面白いと思うのが、

「男女の男のイラストに対する男女の目線」

これは多分、上記の「男性」「女性」の主語を入れ替える=逆にするだけで成立しそうな所ということだ。

 

多分だが、

「同性に対し共感と没入を求め」、

「異性に対しファンタジー、理想を求める」

だと思う。

 

「絵が下手であることを魅力とする」

顔をウリにする、つまり俳優や芸能人といった人にみられるもの。

 

本来、人は有能である方が魅力的であるだろう。

その原理からいえば、「絵もかけるんだぜ」とアピールする方が得策である。

 

にも関わらず、「絵が描けない」、

=自らが視覚で感じたことをインプットする、それをアウトプットする能力に関して無関心であり、必要性を感じなかった

ことを披露する。

 

なぜか。

 

受容者のわれわれが、「お高くとまりやがって」と思っている彼ら(芸能人、俳優等)に対して、「弱み」をみつけ、それを嗤う材料としたいからだ。

 

「ただの人」が絵を描けないことが面白いのではなく、

その顔を広く売り出すことができている、周知されている人間が「絵が描けない」ことが面白いのだ。

 

僕らは、こう思う。

「ああ、こんなに稼いでるやつでも、絵下手なんだ。おもろ!俺の方がうまいじゃんw」

このようにして、安心をする。モニター越しの彼等は、雲の上の届かない存在ではないのだと。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

人の根源的リアクションを逆手に取ったような手法だ。

このようなアピール方法自体、僕は嫌いだ。

 

当たり前だろ。当人ができないことをできないと笑うのは気持ちの良いことじゃない。

そのようなアンテナの低さが人を虐げることを産むと思っている。

その自覚の無さが際限なく広がれば人間は動物化する。

 

このような「お笑い」、むしろ「お嗤い」の風潮は、消えてくれと思う。

 

では、それをお笑いとしなくなったときの「お笑い」は、何にとって代えられるべきなのだろうか?

 

人を蔑ろにしないお笑いは何か。

その一手段に、生身の人間が存在しない創作物の世界において成立し得ると考えている。

 

 

 

文章設定メモ

    タイトル:「スーパー・コミカル・コズミック」
略称SCC。以下はベータ版。

固有名詞等は定まっておらず、_____と仮称。

 

 

●あらすじ
 某欧州にて。A国は一大国家予算プロジェクトとして、広大な土地に超巨大な粒子加速器を建設した。
一大公共事業たる加速器建設。永きに渡る建設作業のさなか、その円環の内地を住処とする者も出始めるのだった。
かくして加速器のエネルギー・ビジネスは成功を収める。
やがて、このような時代の流れにおいて、加速器の内地そのものが市街化していく。
アクセラシティ』___町と化したこの土地は、人々からそう呼ばれていた。

シティ内の有名校、___ハイスクール。
ここでは、最高年次生は、カリキュラムをほぼ自由に組み立て、「自分がすべきこと」の為に自主的に取り組み、最終学期にその成果を発表する...という自由かつ独特な校風が魅力であった。

 エリィ。____高校に通う、3年次の女子生徒だ。
彼女は兄から教わったストリート・スポーツの道を極めんとし、日々その目標に向かって邁進する...泥臭くとも、本人にとって充実した日々を過ごし、その生活に納得をしていた。

 ビビ。彼女もまた、エリィと同じく___高校の3年次の女生徒だ。
自身の周囲の者がすべきことを決め、その道を進んでいる様子に焦りと気後れを感じ、
それでも自分の考えは何かと模索しつつある、自らの関心事には何かと取り組むも、しかしどこか悶々とする思いを抱える...そんな日々に悩まされていた。

 彼女たちには、兄がいた。エリィの兄・ドット。ビビの兄・シィタ。
ドットとシィタ。二人は、理工学分野で名をはせる___大学の研究室の仲間同士であったのだ。

 エリィと、ビビ。二人が、二人なりの日々を送っていた、ある夏の日の事。
突然、エリィはドットから、ビビはシィタから、それぞれ連絡を受ける。
「急だけど、これから研究室にこれないか」と。
この一つの着信がきっかけで、接点のなかった二人は、一つの研究室にて邂逅を果たすこととなる。

「ふしぎな星の、ふしぎな街。そこで私たちは、確かに『いま』を、生きている___』

 

●この作品の『地球』の設定
我々が現在住んでいる地球(以下、「現地球」と称する)とは別の銀河にある地球型惑星という設定。
現地球は、直径 km、齢約50億歳を記録するが、
同作の地球はそれよりも小さく、年齢も3億歳ほどと非常に若く、現地球に比して小さい。
現地球の史実から比べれば、この程度の歳月では人間など誕生する時間には到底至らないのだが、なぜだか同作の地球では人間が登場し、それも現代型生活を営み、独自の科学技術の発展を遂げている。

→これは、同作の地球の自然環境と重力に由来するもの。
同作の地球は、海と植物に恵まれた環境ではあったものの、
現地球以上に様々な天変地異にみまわれた。
つまり、この星で生きもの達が生き抜いていくには、
そのストレス状態を脱するのにどうすれば良いか?を現地球以上に考える必要があった。
また、重力が小さかったが故、類人猿からホモ・サピエンスへと発達を遂げるスパンは短く終えられた。(より速く脳が重力から解き放たれる)
→つまり、自然災害の連続による「環境によりストレスがかかった状態」と、「低重力による二足歩行移行(=脳の発達)への期間短縮」の二要因が、より速いホモ・サピエンスの登場を促した。
→但し、現地球と違い、自然災害は未だに大きく続いている状態なので、人間の生育環境が広い訳ではない。
アクセラシティの存在は、そんな厳しい環境の星の中、人々の叡智(=科学技術)を以て脅威をものともせず生きられるようになろう、地上の楽園を建設しようという意思の現れでもあった。

アクセラシティの周辺:「地上の泡雲(仮称)」の存在
同作の地球では、現地球以上にダイナミックな自然運動が観測されている。
それゆえか、アクセラシティ周辺にも渓谷や湖、険しい山々にと、悠然とした風景が厳然と佇んでいる。
このような豊かかつ激しい自然、その運動によって「大きな水の流動」が発生する。
同作の地球においては、重力が弱いため、たとえば滝が落ちたときの飛沫の跳ね具合など、様々な運動がより激しく観測される。
そして、こうして激しく運動する分子たちは、アクセラシティのエネルギーと結びついて
「地上の泡雲」を形成する。

●「地上の泡雲」(ちじょうのあわぐも)
→物語では、口語のやりとりにおいて通称「低雲(ていうん)」(「ちじょうのあわぐも」は言いづらいので)。(以下文章でも基本「低雲」と記述する)
→生成過程については先述の通り。このようにしてできた低雲たちは、さまざまな性質をもつ。球体状をしていて、形は大きく3つに分けられる。
・真円に近い形
・楕円
・いびつな形(円状ではある)
統計上、この3つに大別されるというだけで、生成される生きものとその数についての因果関係は明らかになっていない。
ただし、形が大きければ大きいほど、より多くの生物群、大きな生物を生成可能らしい。
→生物を生成するには核が必要。核がない低雲は、やがて形を失い水となって周辺環境に溶け込む。核が生成される条件に関しても現状不明。
→低雲同士が組み合わさって、より大きな低雲をつくることも観測されている。
→低雲は、標高___m以上に分布することはない。これが「地上の泡雲」たる所以である。アクセラシティの加速器の影響が及ぶ範囲が、標高高くには及ばないことと大きく関係するとされる。
→こうして低雲から生まれ出た生きもの達は、
多くは川や湖、その周辺の木々など、その生育環境に根ざして生きようとするが、
中には、なぜかある目的を持ったかのようにアクセラシティへと突き進む個体群がいる。
それでも、この例外の個体群もシティにたどり着けず死ぬか、たどり着いた所で何も成せず餓死することしかない。
(こうしてシティ周辺で息絶えた生きもの達の死骸は、度々シティ内部のゴシップ・ニュースとして取り上げられる ex:(題字「謎の宇宙生物の死体見つかる!?」))
しかし、このような個体群の意思は後の世代へとフィードバックがあるようで、
世代を経るごとにより優れた、そしてまた「攻撃的な意志をもったようにみえる」性質の個体群へと成長する。また、生成される生きものたちの発生順は、現地球上の生物進化史と一致する。
アクセラシティの住民達は、低雲の存在や生成メカニズムについて教科書で習う程度には知っているものの、このイレギュラーな個体群が発展していること、そして街にとって実は脅威となりつつあることを知らない。
シィタやドットはこの現象の研究に参加しており、このイレギュラーな生物群が脅威度を増していることをいち速く察知していた。その一環として流体金属装置・装置の兵器への転用を開発(装置の兵器転用はシィタにとって超・超不本意)、およびその適合者を探しているのだった。
ちなみに、このような生物群が進化し始めている、また、街にとって脅威たり得る存在になりつつある、だから防衛策を講じるべきだ、という主張は現状のアクセラシティにとってはトンデモ説程度にしか捉えられていない。そのため、同個体群に対する警察や軍事機構の組織的運動は講じられていない。