はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

今年一年を適当に振り返る

新卒一年目の方のブログを発見した。

1日の可処分時間少なすぎね!?という記事だったが、そのブログによると1日ざっくり4時間使えることになるのだそうだ。

それは…最高じゃないか……

感覚マヒしてるのかなぁ。

 

(日記)

1〜3月は、色々と手探りで活動していた。

就活もそうだが、資格取得に旅行、お絵かきも、など色々やって、正直かなり充実していた。

 

からの四月。

仕事が始まってからの落差ったらない。

クオリティオブライフが、音を立てて落ちていくのを感じた。

 

それまで拓けていたように感じた人間関係も、一気に仕事絡み、それもおじさまおばさまがたばかりの世界へと変貌する。

そのような人たちと、何を話していいかわからないから、当たり障りなく取り繕うような言葉ばかりを並べていた。

 

四月は、研修漬けということでビジネススクールに通わされた。

これは楽しいっちゃ楽しかったが、問題は「一度に詰め込みすぎ」なことだ。

脳がインプットのキャパシティを越えるものだから、今となっては何を覚えたのか正直覚えていない。

人間の脳の特徴として

「急激にたくさんの、多方向からの情報は一度に処理できない」

「環境、習慣など変化には、すぐに順応することはできない、徐々にならば対処ができる」

というものがある。

そんなだから、この研修期間のことは正直あまり覚えていない。その変化に対応ができなかったのだ。

 

さて、5月。

実務であるところの配達業務が始まった。

まず、当然戸惑ったのは起きる時間の早さだ。

午前2時。なんという早さだろうか。

今もこの頃に起きているのだが、アラームをセットしなければ未だにちゃんと起きられない。

というより、このリズムに順応したくない自分がいる。

このような生活リズムだから、自律神経がぶっ壊れているような気がしないでもない。

そうなると、あらゆる物事へのパフォーマンスが低下しているのではないか、という疑念を未だに抱いている。

 

月を経るごとに、どんどん配達区域が増えていったし、集金する件数も増えていった。

それと同時に、やはり僕自身の可処分時間は消えていった。

仕事を始めた当初、「ある程度の睡眠時間を削ることを前提に趣味に取り組む」ことをしていた。しかし、これをすると、命の危険を感じたのだ。だから、できなくなった。

 

この冬は、ろくに家事もこなせず、お風呂を入る時間さえとれずに終わる1日も多々あった。

 

この積もる雪の中、毎日の朝夕刊と、翌日の配達準備の手配を進ませ、降りかかる細々な雑用を片付け、そこまでやってから集金に取り組む。

…無理だろ。こういうことをこなしきるのは。

 

そんなわけで、僕は外回りの時間でサボることが多くなった。

サボるというか、一度帰って家事をこなすだとか、仮眠をとるだとか。本当に拘束時間が長いんだもの…

 

さて、僕の心の移り変わり。

 

夏頃までは、まだ趣味について、自分の心のありようについてじっくり考え、取り組む余裕があった。そんなだから、ポケモンもできていた。

 

しかし、10月頃からは、いよいよ降りかかる仕事の多さに、平日は本当に何もできない日々が続いた。

趣味に取り掛かろうにも、「でも時間が…」となってしまう。そんなだから、平日は手軽に享受できる娯楽…そう、youtubeなんかをサーフィンして観ることが多くなってきた。

 

そうさ。段々とスマホを触る時間が増えてきている。

このことは、やはり虚しい。

 

趣味をこなすとなると、休日だ。

だが、この休日にやらなければいけないことも決まっている。

●溜まっている洗濯物を干す

●洗い物をする

●平日は時間がないので、ご飯を炊いておく、料理を作りおきしておく

●食料の買い出しに出る

●お風呂や部屋の掃除

これらをいいペースでこなせたとしても、1日の午前いっぱいを使ってしまうことがほとんどだ。

それでいて、残りの時間には友達と会うのか、家族のもとへ帰るのか、趣味をするか。

トレードオフなのだ。だから、とても休日の時間も短い。

 

この一年間、僕は最終的に奴隷のような生き方をしている気がしてならない。

だが、他の社員はもっと酷い。部長はここ数年休みなし、他の社員も例えば脳梗塞で倒れたり、内臓での腫瘍ができて入院をしたり、ガンで休職したり。

恐ろしい話だ。こんな拘束時間でこんな生活リズムで生きていると、このようになるのだ。

どうあがいても、人間的な生活は営めない。これは確信している。

 

 

部長は、会社のレール作りをしている。

このような業務だけでなく、企画部、制作部の立ち上げを計画している。

つまるところ、もっとマトモな会社になろうとあがいているのだ。

そう捉えるならば、そもそもこの会社は、正直「現代の企業」としての体をまるで成していない。

あってないようなタイムカード、ネットワーク環境の未整備、存在しない有給休暇、社員数に比べて足りていないデスクやPC、管理業務の一切を手書きでこなす、…

本当にひどいものだと、この一年で思い知った。

 

女性関係も、多少なりともエピソードはある。

しかし、僕のこの惨めさと、自身の自由時間の少なさを鑑みて、なかなか腰が重く、大したリアクションもとらずにここまできたことが事実だ。

 

本当は、会社のことなど、僕は書きたくない。

しかし、「書いてしまうのだ」。

今の生活を、時間も心も、大きく僕を侵食しているのが、今の仕事である。そう考えると、とても悔しい 。

僕という人間は、仕事ひとつに呑まれる程度のちっぽけな存在であるということだ。

だから、本当は興味関心のあることについて、面白おかしく書き綴りたいというのが気持ちなのだ。

それを、仕事などというものが食い破ってくるものだから、本当に辟易としてしまう。

本当はね。その「仕事」そのものが興味関心の対象であり、また自己の知的欲求を満たすだとか、刺激するものであればとても充実するのだろうが、そうではない。そのような選択をするのを、怠ってしまったのだ…。

 

 

だけど…

「いつまでも、こんな世の中じゃないだろう?」

この言葉を信じるしかない。

それでも僕には…少しの野心があるのだ…