普通の日 /「ハケン占い師アタル」一話みた
今日、朝刊配達の人が急きょ一人休んだ。
そのため、僕はその人の分の配達もしなければならなくなった。
作業は一人分。しかし、社員は固定給のため、これは実質人件費が浮いたということだ。
明日も、シフト上は休日だったが、出ることになった。もはや無感情である。
だから何が言いたいというのか。
…本音でいえば「ウゼェ」である。
母から、「ハケン占い師アタル」なるドラマを勧められた。今日、視聴したところ。
これがなかなか面白かった。
今回スポットが当たった人物は、社会人3年めということだったが、僕も新社会人となった身であるし、共感する部分は多かった。
そして、ひさびさにドラマを観たんだけど、なかなかコミカルな作風というか、役者たちの表情はかなり露骨に表現させているというか、そういうぱっと見のわかりやすさを重視した作風なのかなと思った。
今回のスポットがあたった人物・神田は、「自分で決断ができない」「判断力に乏しいため問題を先送りにしがち」このような性質を持ったまま社会人三年めとなった。
で、そのような気質も災いしてか、友人も失った、支えになるものが何もない、等の問題も出てきてしまった。
これの根本的な原因は、小学生時代に流されるように自分も同調する性質を、周囲から「演技くさい」さらに「くさい」ということを指摘され、それがコンプレックスになったから、というものであった。
これは占い師アタルの指摘によるものだったが…。
ここからは個人の感想だが、作風として「アタルが的確なことを言って作中の人物の課題を解決or進展させる」的なものだと思うが、問題が表面的というか、こういう人生の流れそのものが(当の本人が)悪いと感じる…なんてのは、もっと根本的なものであり、「コレ!」と一言で片付けられるようなものではないんだよな。
つまり、「視聴者の現実の出来事へのフィードバック性を高める」ことも狙いではあろうが、あくまでも「娯楽や、共感を得ることを主体とする、ややエンタメ性よりの作品」という性質の方が高い気がした。
50分ほど、それもおそらく一話で一人、という尺の都合上それは仕方がない。
だから、人物たちのドラマを通じて、視聴者も現実にこの事態をあてはめ、今回の人物・神田のようにやろう、としたら現実では痛い目にあうことは必須だ。
神田は今回、「本来したかったこととは少しズレた仕事を頑張り」、「赤ちゃんも産み(産休もとらず、というかとれず?)」、「彼氏と別れた」状況で、孤独に戦わなければいけない。
職場の人たちとは、完全に通じ合っているわけではない(「友達がいない」という自覚があったため)。
この決意の実現を図ろうと動くと、「必ず」破滅をする。
神田は過去に、おそらく、このような課題にぶち当たり、成功をさせた経験がないだろうからだ。
また、「問題を複数抱え、それらを全部処理する」という認識でいる。要するにマルチタスクである。この認識は、明らかに脳のキャパシティを超えている。
無理だろう。
アタルからの指摘は、(僕の見解は抜きにしても)正しいとしよう。
だが、指摘はあくまでも指摘。今日言われて明日いきなりやり方を変えます、というのは相当なストレスである。
そういう意味では、神田のやや独りよがりな決心であったと思わざるを得ない。
という感想を抱いた。
しかし、こういう作品は自分にとってやっぱり清涼剤というか。エールにも似ていて、救われる。