レールに乗らざるを得なくなったはずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ふたたび、揺れる

今僕がいる会社。

ここは、僕の居場所であると少しづつ思えてきた。

しかし、合理的観点からすれば、自分にとってここにい続けるのは、とても理にかなっていない。

本当の意味で「良い居場所」にするのであれば、

例えば職場の年代をもっとフレッシュに、インテリジェンスやクリエイティビリティが要求され、機動的に仕事ができるようなやり方にするだとか、未来のビジョンは相当思い起こさせてくれるし、その道筋を部長が示してくれる。

 

が、そこに至るまでの、僕の労力はどうだ。

そして、そこに至るまで、僕は自分の底にある興味関心と、そこから広がる世界と触れる、という可能性たちに、蓋をして生きていくことになるのではないか。

 

このことに、とても不安がある。

今この瞬間でいえば、過ごし方にはそこまで後ろめたさはない。

 

しかし、真に自分が「自分の仕事」と思えることをやろうと思うのであれば、それとコミットする環境づくり、機会づくりという観点で考えると、途方も無い時間と、リスクを要するのでないか。

そう思えてならない。

 

ありがたいことに、若い労働力は、今貴重とされている。

 

ここでの未来は描けている。

しかし、血反吐を吐かなければその未来は得られないだろうことは、分かる。それも、確実に。

今ですら、受け持つ仕事の範疇を緩くしてもらっても、恐ろしいほどの拘束時間なのだ。

 

そこに、今後の改革のための動きを加えるとなると…

わからない。

 

 

こんな風に揺れるとき、僕はある言葉を思い出す。

 

『"それでも"と言い続けろ、自分を見失うな』

『黙ってやってくる未来は明日にはつながらない。そんな明日なんか、俺はいらない』

 

握ったペン先は震え、線を引くこともままならないのかもしれない。

が、引き終えられず、途中でそれを投げるのか。

 

わからなくても抗ってやる。

考える時間には限りがある。これは、ありがたいことだ。

だって、悩んで自暴自棄になるより先に、強制中に動かざるを得ない、実践の場に放り込まれざるを得ないからだ。

 

試行錯誤をしなければいけない場に、自分から、それでも半ば強制的に組み込まれた。社会という場だ。

 

少し、思うことがある。

究極的に、僕の明確な夢、目標というものはないのかもしれない。

 

たくさんの命があるこの星の中で、相互に関係し合う命たちの繋ぎを、もっと輝かしいものに、強く太くしようと想っている。

そうあるには、その中の命の一つである僕自身が、やはり強く、輝けるものでなくてはならない。

そういう熱量たちが繋がっていけば、やはり命のつながりや、その流れは善くなっていく。

 

それが繰り返されれば、究極的には、途方も無い時間が流れようとも、この数十年という一瞬のような時で確かに強くあった輝きの熱量は、相互に連関しあい、どこかに続いていく。

いわば、語弊はあるものの、永久的な熱収支である。この一部になれることを、僕は望んでいる。

 

だからだ。それを目標としたとき、そのための手段自体は、文字通り星の数ほど考えられると思う。それ故に悩むし、揺れる。

 

だけど、後ろめたさのないよう、そして知力と体力を尽くし、前に強く歩み進めること、そうしようとすることは決してやめない。

 

揺れる時期が、まだ許されるのなら、まだ揺れてやろう。全力で揺れてやる。そして、全力で戦ってやる。