『学校に行かなかった私が〜』
よんだ。
この二日間、いつのまにか読了してしまった。
可処分時間が少ないにも関わらず、だ。
それだけ読み進めやすかったことでもあるし、それだけ面白かったといえる。
そして僕の時間の使い方も上手かったのだろう(
読みやすい語り口ながらもストレートに伝わる熱量、岡田麿里という人間が産まれながらにドラマの渦中にいるという事実とその無自覚さ、また、自身の身の回りの出来事は現実ごとであると、つまらないことであると理解しつつもそれを自らの心をフィルターを通じて綴る感受性、彼女を見てくれた人々。
天性の才能の持ち主の自伝を読んだようで、胸が熱くなった。
しかし、「才能」とは語弊がある、ただしくは、
秩父という環境、自身の境遇、周囲の人々、諸々の条件が重なったうえで、奇跡的にその能力は醸成され、いつのまにか開花されていたという方が正しい。
そして、女史のような方が仕事としてそれを発信できる土壌があるという、この国のシステムの楽しさを改めて感じた。
とにかく、岡田麿里という人は、本当に面白い。
当人の意識無意識とは全く別のところで、否が応でも劇中に自身の心象が強く、それもドラマ的アクセントとして絶妙に食い込んで、観るものに爪痕を残す。
その純度、むしろ不純度とすら言えるかもしれない。
特に女性キャラクターの、痛烈で強烈な刺々しさ、どこか屈折した、それでも高い熱量を以って伝えてくる情動。
こういう要素は、もはや自然に発露されてしまうのだろう。
いわば、「手癖で女性像が描けてしまう」のだとおもう。素晴らしいわ。
どうでもいいけど、そんな今夜、ハケン占い師アタルの最新話みたけど、ちょっと微妙っすね。
やっぱり1時間(むしろ50分)という尺の中で、特定人物にスポットあたって問題点浮き彫りになってアタルが解決して改心して次、というストーリー形式上、ちょっとシステマチックな話にならざるを得ないというか。
業務的なシナリオに留まってしまうよね。
部長のような、権力をふりかざすだけの踏ん反り返った人間、作中でのヴィランにすら思えるのだが、ああいう人間は、行き着く先は死か、その隣にある地獄のような生しか待っていないとすら僕は思っている。
とはいえ、見せどころは見せてくるから毎回スッキリするわ。
ちょっとメッセージが一元的に偏っているようなら感じもするが(要するに、「皆仲良く頑張ろう!辛くても、頑張ろう!」の意)
どうでもいいけど、この作品みて思ったのが、近年、もはやストーリーとしてのアニメとドラマの垣根って、もはや存在しないのではないか。
アニメーションで実写ドラマ的な描写もできる、そのよう土壌やストーリーが描かれ、受け、親しまれてきた実績があるのだから、「ドラマ的アニメ」は今後も衰えないだろう。
ただ、「ドラマとしての実写ドラマ」は、その立ち位置を考えるべきでないのか。
アニメという作品が広く流布し、漫画的文脈をもつ言葉たちでも日常会話の現代人の間でも通用されるようになった今、
実社会の写し鏡としてのドラマすらも、間接的にアニメ的文脈を自然と受け継いでしまっている。
それは、言い方を変えれば、「実写ドラマが、アニメや漫画の侵食を受けている」ともいえよう。
これまでどおりの制作体制と、ジャンル幅を持たせないのであれば、実写ドラマというものは、一部を残して先細りに陥るのではないか、という懸念がある。
アニメもアニメで割と辛いものを感じるのだが、ここまで書くともはや話が止まらないので…おやすみなさい。