はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ポケットモンスター マーズ/アース 1話「焦燥」前半

___青い空の向こう。その星に、こことは違う別の大地があることを、私は知っている。
その上を、踏みしめてみたい。
空気をいっぱい、吸ってみたい。
そこには、どんなポケモン(あなたたち)がいる?どんな人たちがいる?
私には、まだ見ぬ「あなたたち」を、人たちを、好きになりたいって思う..._____

 

 


標高が高いからか、適度な湿気と、速く流れる雲が、まるで時の流れを急かさんばかりの景色の移ろいを見せる。
さらに、この日はたまたま、何時にも増してにわか雨が幾度となく通り過ぎる日であった。
しかし、日差しは、大地にその明りを差し込むことを忘れてはいない。
それが、通り過ぎた雨にさらされた緑たち、つまり森を形作る木々たちに付着した大小さまざまな雨粒を照らすのだった。

やや勾配の急な森の中に、川が流れていた。
上流から、澄んだせせらぎの音の調べと共に流れるその川には、生命の拠り所を思い出させる清涼感があった。

その心地よさに惹かれてかは分からないが、川の近くに、ぽつんと人影がたたずんでいた。

艶やかな深い菫色の髪を生やし、木の実を模したであろう赤い髪留めをアクセサリしている。
揺れ動くたび、髪留めに取り付けた亜麻色の飾り糸の束をなびかせた。
細く華奢な体つきで、琥珀を思わせる色の瞳は流れる川を捉えていた。そのシルエットは、紛れもなく少女のそれであった。


少女は今、川から水を掬っては、バケツにためこんでいる。
その作業も半ば、5つあるバケツの内、水を入れるのも3つめに差し掛かった所で、少しづつ物思いに囚われていった。
ルーチンワークに慣れ、眼前の作業のことよりも、雨に濡らされた衣服に自分の体が冷やされることよりも、
次第に自身の内面に興味が移ってしまうのが、彼女のパーソナリティの一要素であった。

 

 

「ちょっと...ロマンチックすぎるだろうか」
はっと思わず、少女は独り言つ。
現実認識のために、想いを口にしたはずだったが、しばらくすると彼女は再び空想を始めた。
水を掬い、バケツに入れるその所作は、いささか機械的であった。

 
___いつだったかの私は、よく「向こうの世界」に思いを馳せていた。
だから、できるだけその世界のことを知ろうとした。
気が付けば、たくさんの頭のいい人たちが、世界について一生懸命に書いた"ページの束"を、読むようになっていた。

そのページたちが、頭のいい人たちが、『紙』から教えてくれたことは、たくさんあった。

世界は四角くない、ということ。
私たちの星と、あの星は、地続きであるように書いている、と思ったこと。
あの星は、ここよりずっと、生きるのが大変な『辛い場所』だ、ってこと...!


そんなことを知ったから、ロマンスを抱きすぎていたなとか、馬鹿げているなとか、少しばかりか内省というか...自虐するのだけど。
それでもやっぱり、私は"あの星"のことが気になっている。

だって、"この星"は広いのに...父さんも、母さんも、知ろうとする私を拒むの。
"あの星"を調べるのって、現実逃避ですか...?_____


「そんなことよりも___」
この水を飲む、あの子たちのことを思おう。
たくさんの子たちが、この川のそれがおいしいものだと、きれいだと知っている。

5つのバケツを、川からすくいあげた水でいっぱいにした少女。
立ち上がるとすぐに、口を両の手で覆い、彼女は大きく声をあげた。

クリムガンさん」
叫んだ後、彼女は周囲をぐるりと見渡した。自分が「クリムガン」と呼んだ"その者"の姿は、しばらく姿を現さなかった。

「それでも、くるよね」
先ほどの澄んだ大きな声とは一転して、落ち着いたトーンで、誰に聞こえるともない平坦な語り口で、ふたたび声を漏らすと、
少女はそこに座り込み、近くに置いてあった本を手に取り、それを読み始めた。
人気が少ないからか、彼女は先の声の調子のまま、ページに記されているであろう文字を声に出して読み続けていた。


幾分かページをめくったとき、少女の背後からゆったりと、しかし力強く重々しい足音が大地を踏みしめる音が、
彼女の耳朶に少しづつ大きく響いてきた。

「きてくれたね、こんにちは!」
少女は、自分の元を尋ねた"その者"に、明るく声をかけた。
背丈は少女と同じほどで、同じ二の足で動く者だが、体格や身体的特徴がまるで違う。
ゆったりとした所作だが力強く地を踏む仕草からは、少女と同じほどの身長ながらも、確実に彼女とは違う『風格』を漂わせていた。
体の節々から突き出た、硬く鋭利な棘と呼ぶにふさわしい体内の硬質化したたんぱく質
そして、頭の先から首元までの目立つ赤色のマスクとも呼ぶべき立派な色の皮膚が、"その者"の風格を強調していた。
"その者"。少女がクリムガンと呼ぶポケモンだ。
"その者"、すなわちクリムガンに出会うなり、彼女は肩を優しく撫でたのち、そこに接吻をした。

クリムガンは、自分に触れる彼女の瞳をおもむろに見つめた。
少女も見つめ返し、閉じた口角を緩める。目が合ったときにほおずりをしたが、
今度はクリムガンは大きな腕で彼女を優しく、しかしすぐさま振り払った。

「ごめんなさい!」
直後、少女は半歩ほど後ずさる。その後、足元におかれたバケツたちに目をやったのち、

「それじゃあ、お願いします」
と、懇願するような眼をクリムガンに向けるのだった。


それから1キロほど、時間にすると数十分ほど、少女とクリムガンは森の中を歩み進んだ。
クリムガンは、両肘をほとんど直角に曲げ、そこにバケツの取っ手を引っ掛け、さらに両手でもバケツを掴み、総計にして実に4つものバケツを一人で、いや一匹で運んでいた。
対する少女は、一人で1つのバケツを持っていた。

光景そのものは、クリムガンの方が負担がかかっていることは明白であった。
しかし、彼(彼女)はそのような自分の扱いに反抗の兆しを一切見せず、少女と歩を進めるのだった。
______________________________________

 

先の森から、少女とクリムガンが歩いてくる。

 


「アリア、おかえり」


一人と一匹に対し、女性が声をかけた。
アリア。それが、クリムガンと共に森を歩いてきた少女の名前だ。

「母さんただいま!」
アリアは、すかさず、溌溂とした声色であいさつを返した。
それまでの作業の疲労などは、全く感じさせないような表情の健やかさを見せていた。

アリアが声をかけた女性が、少女の母であった。

 

「あら、クリムガンさんご苦労さま。アリアにいいように使われて...」
全身を巧みに使い、水の入ったバケツを運んできたクリムガン
そんな彼(もしくは彼女)をねぎらいつつ、アリアをからかった。

「そんなこと!...ね、クリムガンさん」
アリアはしかめっ面をして、母の小言を否定してみせると、すぐさま表情を柔らかくしてクリムガンに同意を求めてみせる。
クリムガンは、彼女らの言葉に対しリアクションをみせるでもなく、静々とその場にバケツを置き始めた。


「嫌々やっているんでないの?」
自分の感情を進んで表に出そうとはせず、黙々と仕事をこなすクリムガンを横目に、母はクリムガンの行動をそう評した。
「そう、じゃないよね。」
アリアは、クリムガンが自分のスキンシップの一部を受け入れてくれているのだから、この"仕事"を厭う気持ちはないだろうと感じていた。
直後、ほおずりをした時の彼(彼女)の反応を思い出し、言葉に詰まりつつ、母の言葉を否定することとなった。

「いやなら、言ってね。じゃなくて!見つめてね!」
アリアは、クリムガンが声でなく、仕草で気持ちを訴える性格の持ち主であると感じていた。

 

「ありがとう、クリムガンさん」
「ありがとっ。...あ!あの子たちったら」
"あの子たち"。皆、大きさに程度の差はあれども、大抵が体長1メートルにも満たない、クリムガンよりは明らかに小柄なポケモンたち。
オリーブグリーンの体毛を足先と顔の一部を除いた全身に生やし、首元から背中のてっぺん、そしてしっぽにかけて、文字通りに生えた草が何より目を引く。
子羊とも呼ぶべき姿をした彼ら(彼女ら)は、メェークルと呼ばれているポケモンだ。

メェークルたちは各々一斉にクリムガンの下に駆け寄る。
子供ながら高いとは言えないトーンだが、しかしよくとおる声で、多くの彼ら(彼女らが)メエ、メエと声をあげ何かを訴える。

クリムガンは、メェークルたちに駆け寄られながら、
ゆっくりとした所作でその逞しい両腕で数匹のメェークルを持ちあげては、天を仰がせるように抱えたままの両腕を高く振り上げ、
低い声で自身も鳴き声を発していた。

持ちあげられなかったメェークル達は、例えば自分も抱き上げてほしいとばかりの眼差しをクリムガンに向け、懇願するように鳴き上げる者、
勢いよくバケツの水に口をつけ、喉音を鳴らしつつ体を潤す者など、勝手気ままな行動をとっていた。

「アッハハハ。クリムガンさん人気ねえ」
茶化すように、母は笑いながら言う。メェークル達の行動を制しようとはしていなかった。
「あの子たちと、好きに遊んで!みんな、クリムガンさんに乱暴は、『めっ!』だよ」
アリアは、メェークルたちの気ままな行動を制するでなく、クリムガンを困らせる事はしない程度に、やんわりと釘をさす程度に声をかけた。

 

それから少しの間が空いて、
「アリア、あとは母さんが...」
母は思い出したように、アリアに声をかけた。
言葉は多く省略されていたが、アリアの仕事を引き継ぐ旨の発言であった。
「ううん!私、ゴーゴートたちのこと、気になるから」
しかし、そんな母の言葉を遮って、彼女が言い終わらぬ内にすぐさまアリアは返事をした。


「母さんも、『あいさつ』に行くんでしょ。」
アリアの母には、仕事があった。
それは『あいさつ』____
すなわち今いる土地の領主に対し、引き続き居住権を獲得するための許しを得るため、一家の代表者の随伴者として、交渉に赴くことを指している。
アリアの一家は、遊牧民とも呼ぶべきか、移動型生活を営んでいた。
そして、『あいさつ』に行かなければならないくらいの時間を、ここで一家は過ごしていた。
「ええ、父さんと行ってくるから、あとはよろしくね」
そう言い残すと、すぐさま別の方向へと振り向き、早足で進み始めた。
「うん」
平坦なトーンで、アリアは言葉を返す。


それから数歩歩いた所で、母はアリアの方へと振り返り、
「アリア、ここで暮らして、慣れた?」
そう少女に問うた。


「そういうの、今聞くんだ」
少しの間をおいてから、アリアは伏し目がちに、そして母から視線を逸らし、独り言ちるようにぽつりと言葉を発した。

「え?」
思いもよらない返事であったとばかりに、母は目を丸くして聞き返そうとする。
「あっ。なんでもなくって!行ってらっしゃい」
アリアも、自分が思わず発した言葉に戸惑ったが、すぐに落ち着いた抑揚で母に声をかけた。

 


_____父さんも母さんも、私のことを好いてくれるのはわかる。
でも。たまに、私のことを見てくれていない気がして、それが何というか寂しくて。

特に、母さんは。
私たちの今が、ゴーゴート(ヒツジたち)やクリムガンさん達がいてくれるからだって、分かっているのかな。
人がいるから、生活圏ができて...それを辿るために『あいさつ』をすることは、分かるんだけど。
でも...今の私たちって、『私たち』だけじゃ生きていけないのに。__________

 


アリアは、今度は別の場所へと歩み始めていた。
先の、母やクリムガン達とやり取りをしていた場所は、いわば生活拠点のようなものだ。
そこには子供ポケモンたちを育てる舎や、アリア達家族の家が建てられていた。

彼女が向かう先には、先のメェークル達が大人になった姿、"ゴーゴート"達が集団で過ごす放牧地があった。
「オオヒツジたち!こんにちは」
数十はいるゴーゴート達。彼らは一体に生えた木に実った果実を食していた。
アリアが"オオヒツジたち"と呼ぶ者たちに近寄ると、すぐさま一匹の犬の姿をしたポケモンが彼女の下へ駆け寄った。


「ガーディ!なに?」
その子犬ポケモン、"ガーディ"は、立て続けに何度も吠えては、自分の真後ろの方向へと振り向き、また彼女へ吠え掛かってみせた。
ゴーゴート達の群れに、異変があることを知らせる仕草であることは、アリアにはすぐに分かった。
ガーディは、"異変"が起きた場所へとアリアに案内するように、小走りで動き始めた。
彼女もその後へ続く。


「...アッ!」
そこには、周囲の木々をなぎ倒し、地に落ちた木の実を踏みつぶし、挙動不審とも呼ぶべきか、
しかしそう形容するにはあまりにも雑で暴力的に乱れてみせるゴーゴートの姿があった。
周囲のゴーゴート達は、彼を恐れて距離を置いていた。


「あなた、エルだ!」
暴れていたのは、アリアが"エル"と名付けていたゴーゴートであった。
少女には、エルがどうして暴れていたのか、薄々察しがついていた。


「エル、落ち着いて、落ち着いて、...ワアッ」
エルのもとへ、恐る恐る駆け寄るアリアだったが、彼は制しようとする彼女のことなど全く無視して、一直線にあらぬ方向へと駆けていってしまった。
走る速さと力強さに、アリアは息を呑んだ。


「アッ...エル!」
そう声をかけたのも束の間、エルは森の奥へと行方を晦ましてしまった。

「ええと...」
彼女は一瞬だけ逡巡してみせたが、すぐに表情を引き締め、
「ガーディ!ここにいてねっ」
そうガーディに声をかけるのだった。
バウ、とガーディは勢いよく一声する。人間でいえば、「承知した」というニュアンスであろうことは、アリアには考えるまでもなく分かっていた。
「ビィ!」
"ビィ"。この名も、放牧地に過ごすゴーゴートの一匹の名だ。
呼ばれて近づいた一匹のゴーゴート___つまりビィは、彼女の下へとすぐさま駆け寄ると、前足を折りたたんだ。
アリアはすぐさまビィの背中に跨り、ビィの頭部に生えた太く立派に生えた二本の角の根本を両手でしっかりと掴んだ。
「行って!」
すぐさま、ビィは先のエルが駆けて行った方角へと走り始めた。


_____________________________________

 


先の放牧地から、数キロ離れた森の奥に、エルはいた。
「エル!」
彼(彼女)の姿を捉えたアリアは、すぐにその名を叫んだ。
直後、エルの頭上に、10匹はいかない程度の、黒い鳥ポケモンたちが翼をはためかせ、集団でけたたましく声を響かせている様子がみえた。
エルは、この鳥ポケモンたちとひと悶着が起こしてしまっている。アリアはそう感じた。


ビィの背に乗ったアリアの存在に、エルはやがて気づく。
しかし彼(彼女)の瞳の色は、家族や仲間を見るそれではない。鋭く、しかし何を捉えているかも定かでない怒りの眼差しを少女に向けると、
すぐさま力任せに突っ込んできた。
「エル!ちがう!アリアだよ!」
焦るアリア。一瞬にして距離を詰めるエル。
それでもエルを説得しようとするが、もはや止まりそうにない。
「ワァッ...」
エルから、突進を喰らう。怖い...!痛い...!
観念したかのように、アリアは思わず声を漏らすと同時に、強く目を瞑る。

 

ぶつかるっ...______

 


「_____、_____!」
見知らぬ人の、そして見知らぬ声が、少女の耳朶を打った。

エルがアリアとビィに接触しようとしたその瞬間、側面から疾風の如き速さで、一つの影がエルにぶつかっていった。
強大な運動エネルギーが皮膚と内臓に衝突する鈍い音を、アリアは認識した。


「アレ...?どういうの?」
目を見開くと、エルは近くにはいなかった。
エルは十メートルは下らないほどの距離を跳ね飛ばされ、その場にうずくまっていたのだ。
「あっ、エル」
倒れこんでいるエルの姿を視界にとらえたアリアは、ビィの背中から降りると、すぐさま彼(彼女)の下へと駆け寄った。


「鳥さん...ヤミカラスもだ!もしかして、そういう...」
エルの近くには、もう一匹、地面にうずくまる黒の体色をもつ鳥ポケモンがいた。
少女が"ヤミカラス"と呼んだポケモンだ。
取り乱したエルが、何かの拍子にヤミカラスを傷つけてしまったのだろう。
アリアは、そのような事情を察した。
倒れたポケモンに駆け寄る少女の頭上に、黒い鳥ポケモンたちの影が近づいくる。


「仲間たち!ゴメンナサイ、私、違ってて!」
報復攻撃とも呼ぶべきか、ヤミカラスはエルの下へ駆け寄ったアリアのことも、敵と認識したのだ。
群れの内の一匹が、足先を大きく開いて、少女の頭上へと急降下してきた。

「ワァッ」
思わず少女が声を上げたその刹那、またも別の影が、そのヤミカラスを追い払った。


「あっ、また...」
間一髪、少女は窮地を脱した。その自体を未だに飲み込めず、安堵と不安の声音を混じらせた様子で彼女はつぶやいた。
アリアはふと、影の主は誰かを確認するために周囲を見渡した。

視線の先には、人影があった。
背丈は彼女よりも明らかに一回り大きい。全身を纏っているのは、衣服というよりも、装甲や鎧というか、そのような物騒な言葉で形容すべきものだった。
ましてや、頭などは、本人の顔は一切覗かせない、『兜』のようなものをつけていた。
『目』や『耳』に相当するであろう部位は確認できたが、口や鼻といった部位は装甲で覆われている。
そもそも、これが兜なのではなく、この人物の顔なのかもしれない。
この人物の背格好は、それまでの少女の生活とは明確に切り離されたスパルタンな風貌であった。その異質な雰囲気に、彼女は思わず息を呑んだ。

そして、人影の隣に、彼女の知らぬポケモンの姿が見えた。
その人物は、大きく声を張らせ叫んだ。
直後、見知らぬポケモンが両の腕から生えた鋭利な爪を振り上げ、それをヤミカラス達の群れへと勢いよく振りかざした。
怯んだヤミカラス達は、その場から飛び去って行くのだった。
人物は腰につけた手のひらほどの大きさの球状の物体を、隣のポケモンにかざした。
一瞬にしてポケモンは縮まり、一帯の光となってその球の中に収められた。

「あ、あの」
声をかけていいものかどうか。
悩みはしたが、おそらく自分を救う意思で動じてくれたであろうこの人物に対し、アリアは戸惑い気味に尋ねた。

「_____、___?」
返事をしてくれた。でも、聞き取れない言葉だ。
リアクションはあったが、言葉が分からない。
それでも、この声の抑揚は、暖かみの感じられるものだと、アリアは思った。

「......あ、あの、ありがとう、ございます...」
彼女は、自分の意思だけは伝えようと、この人物に礼を言うのだった。

直後、少し奥から低い声が聞こえたかと思うと、声の主は眼前の人物を跳ね飛ばしていた。

起き上がり、意識が戻ったエルが、この人物に突進を仕掛けていたのだ。
「エルッ!」
困惑した表情で、アリアは思わず声をあげた。

「エル、おちついて!大丈夫だよ。とにかく、危ない人じゃないと思う」
アリアは彼(彼女)にそっと近づく。もうエルは、暴れる素振りを見せなかった。それでも、呼吸は乱れているのか、鼻息をすん、すんと鳴らしている。
今の突進は、少女の眼前の人物が、少女の敵であると判断したから起こした事なのだ。
そう、アリアは察した。

「エル、あなたも怖かったよね。新しい体で、戸惑っているんだよね。大丈夫だから...ありがとう、エル」
アリアは両手で優しくエルの頬をなで、その後、そっと口づけをした。
やがて、エルは平静を取り戻すと、その場に眠り込んでしまった。

「あの!」
アリアは、今度はエルに跳ね飛ばされたその人物の元へと駆け寄った。
「大丈夫、ですか...?」
おずおずと近づきながら、その身を案じるように声をかける。
ふと、アリアはその顔を覗き込んだ。

先の"兜"の目元とおぼしき部分は、エルの突進を受けてだろうか、割れていた。
ひび割れた隙間からは、この人物の瞳が見えた。
これはやはり、兜だったのだ、とアリアは少し安堵した。

 


あっ..._______


思わず、その人物とアリアの眼が合う。
互いの目が合ったのだと、はっきりアリアは確信した。

 

 

 


___エルも、ヤミカラスも倒れていれば、この人だって倒れてしまっている。
それなのに、この人を見たとき、『向こうの世界の予感』に、圧倒されてしまった。
みんなのこと、診なきゃ。でも_______

 

 

 

でも、私は...!


アリアにとって、冒険の日々の黎明が見えたようだった。
彼女の前にいる人物にとっては、この出来事は「戦い」であるとか「戦争」の始まりを形容しても、差支えのないことであった。