はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

センチメンタル

そのような波が、押し寄せる時期がなぜかある。

ふとした時に、その波が心の中で押し寄せて、大きくなって、考えずにはいられなくなる。

 

そして、その答えは毎度出ない。

答えを求めていないのだ。いつしか、答えを求めることを辞めてしまった。

 

つまり、「考える」自分が、センチメンタルになっている自分に酔っているだけなのだ。

今、このようにして、文章を打っている現在でも。

 

このような精神性は、いつも否定したくなる。

唾棄したく思うし、幼稚だと断じたくなる。

 

思春期の頃からだろうか。

そのような物思いの衝動にふけることはあろうとも、根幹の主張は変わっていない気がする。

違うのは、想いを綴る言葉や、その角度。

それらが違うだけ。

 

…しかし、気づいたことがある。

これが、僕の裸の精神状態であるということだ。

 

妙なペシミズムに捉われ、しかしながらそこに現実的なテイストを取り入れる。

極度なまでに主観的な被害妄想という体にはしない。

つまり、「僕のせいであの人はこうなった、だから僕は罪人だ」というようなロジックを持たないということだ。

 

僕の裸の精神状態の救いは、リアリティを取り入れているということだ。

これがなければ、とうに、もっと、実生活に支障をきたすほどの、病に犯されていただろう。

 

 

そうはならなかった。

僕は、ガンダムが好きだからだ。

 

 

 

 

…………

 

センチメンタルになるとき、

誰かから、情を向けられたことをふと思い出す。

「大丈夫?」と心配されたこと。

「〜〜しときましたよ!」みたいな気遣い。

 

僕個人に、贔屓的にそれをしてくれたと気づいたときの、ちょっとした恍惚というか…嬉しい気持ち。

 

 

「してくれた」ことに対して、「してくれた」人に対して、僕のリアクションはどんななんだろう。どう映るのだろう。

 

そういう気遣いに、僕は、親のことを思い出したりもするのだ。

幻影が見えるかのように、姿を浮かべる。

 

生活の中で、外的刺激は多いのだから、そんな気持ちもすぐに移ろいでしまうのだけど。

でも…そういう気持ちを深掘りすると、「想われていた」事実は確かにあったのだと感じ、涙を流してしまいそうになる。

 

でも僕は、父に対しても、母に対しても、振り返ってみると心底愛せる訳ではない。

妙に無関心であるように見えたり、こうしてくれたって良かったのに、という…これは期待の情からくる想いだ。

コミュニケーションの不全性だってそうだ。

薄いネグレクトが続いて、熱を抜き取られたような関係性と、そのような精神性しか持ち得ない人ができてしまう。

 

想うことは、思い出せば尽きないのだ。

 

それでも、なにかを還元したいと思う。

それらは、過ぎたことだから。

 

だから、衣食住の場を提供してくれたことへの感謝は、しきれない。しかし、そのことをただ「ありがとう」という言葉で片付けるには、どうも月並み過ぎて、言えない気恥ずかしさがある。

 

…………

 

 

僕の両親の関係は、冷めている。

 

僕には姉がいて、姉は、心の病を患っている。

 

僕が中学生の時だ。

 

母が姉の育て方について、激しく悩んでいるときがあった。

父は仕事に疲れていた様子だから、事をやり過ごすような対症療法的な言動をするのみで、支える、という様子を見せなかった。

 

しかし母も母で、父の強権的な態度、物言いには従うのだった。父は、(あまり使いたくない表現だが)地頭の良い人間だからだ。母は、それを感づいている。

だから、亭主関白そのもののような気質の父には、従う。母が意見しようとも、父はそれを低い声と、重苦しい抑揚で否定する。だから、母は対案を出さない。

 

かくして、そのような、情があるのかないのか分からない向き合い方を、両親は姉にし、そのまま時が流れた。

 

このようなやり取りは、姉のいない時、リビングで行われているのだった。

 

リビングの隣に、僕の部屋はある。

当時は、僕の部屋とリビングを隔てるものはブラインド一枚程度で、遮音性などまるでなかったものだから、両親の会話は筒抜けだった。

 

会話を聞くたびに、萎縮した。

そして、罪悪感が芽生えた。

このリアクションは、両親の会話が漏れ聞こえる度に、例外なく常に感じることだった。

 

萎縮するのは、それが常に、重苦しいトーンで繰り広げられる会話だと分かるからだ。

時折、両者の不備に対する指摘のし合い…粗探し合戦にも似た事を始める。

そして、僕がそれを聞いているとなぜ分からないのだ、という憤慨。

子が聞いているかもしれない場では、親は親らしくいて欲しかったという願いからの想いだ。

 

僕の罪悪感は、単純に、「常に盗み聞きしている」感覚にとらわれて、それが良くない事だと思えたからだ。

そして、話の内容から、「姉が苦しんでいる」事実が分かる。にも対し、僕は何のアクションもしないというか…させてもらえなかったのだ。

姉に対する、僕はなにも働きかけていない、という罪悪感。

これは、今でも消えない。「自分のせいで全てダメになった」というほどは思わないが、責任は感じる。

 

ある時、母に言った。

「僕、姉ちゃんになんかできる事ない?」

母は、こう返す。

「お父さんとお母さんでなんとかやってるから、学校頑張りなさい」

僕は、もやもやした。

しかしその感情を、例えばゲームなんかに没頭することで忘れた。

そして、自身の感情にフタをして、仮初めのような、典型的なオタクと化していくのだった。今の僕は、それが肥大化しているに過ぎないのかもしれない。別にそれでいいけど。

 

とにかく、姉に対する両親のやり取りからもだが…

僕の両親の関係は、僕が物心つく頃から、既に完全に冷え切っていて、少しの揺れ動きを見せながら、変わらず低空飛行を続けるのだ。

 

「父は、いない方がいい」と、母が漏らすときがあったほどだ。

そして、僕はそれを、愚痴として直に聞く機会があった。

そのようなコミュニケーションが生じる家庭であった。

 

 

だからだろうか、僕は人の愛し方が分からない。

分からないし、本当は、極端なまでに人から好かれる事を、愛される事を望んでいる。飢えている。

「人」とは、友人、異性、自身と関係のある諸々の存在に対してだ。

 

 

 

でも…そんなことは、誰だって、生まれた環境に対して、何らかの問題、ハンディキャップは抱えているものだと、ちょっと感じるようになってきた。

そして、御多分に洩れず、僕もその一人なのだと。

そう思えると、「僕は哀しい存在なんです」なんて言ったばかりなのは…虚しいものだとも思える。

にも関わらず、こんなに独白をしてしまった。

分かってはいても、吐き出したくなる時があるからだ。

それが、センチメンタルという感情だ。

 

…………

 

アムロ・レイを想い出す。

10代も半ば、多感な時期に戦争への関与を余儀なくされ、多くの修羅場を経てなんとか生き延びる。その過程で、かつて別れた母カマリアに会うも、戦いを経て変わった自身の様子に落胆される。

そして、アムロ自身の事情もあり、母との離別を余儀なくされる。「なんて情けない子だろう!」「お母さん、お達者で…」アムロが母と交わした会話はこれが最後で、ふたりは生涯会うことはなかった。

また、戦いの最中訪れた中立地帯で、父テムとと偶然にも再会を果たす。

父は、かつて開発者として切れ者だった様子とは打って変わって、宇宙病の影響か、とうてい実用的とは言い難い回路の開発に執心していた。

そんな父の背中を見て、自分と父の絶対的な心の距離を痛感する。

再び戦闘に駆り出されたアムロは、「自分にはどうしようもない」という諦念を抱き、父とも生涯の離別をするのだった。

そして父は、アムロのあずかり知らぬ所で命を落とす。

「酒に酔った勢いで部屋を飛び出し、階段を踏み外して転げ落ち、衝撃で死亡」という様子だ。文字通りの転落人生として幕を閉じる。

 

アムロは、両親との関係が良好だったとも、恵まれた家庭環境で育ったとも、到底言い難い。

父も母も、別居をしていたのだ。そこに、父母の精神的距離だって窺い知れよう。

幼い時期にそんな両親をみてしまったら…後ろ向きな思いはせずにはいられないだろう。

 

しかしアムロは、ニュータイプたりえたし、(ベルチル版では)子を設けることさえできた。

つまり、アムロは、人を愛せたのだ。

 

ホワイトベースという疑似家庭の中で、「生き延びるため、一緒にならざるを得なかった人たち」と、疑似家族として上手くやっていけたことで、人生を拓くことが…優しさもニュータイプの武器(強み)であると信じられる男になった。

 

彼は、生まれの不幸は嘆かなかった。嘆く暇がなかった。

それに抗ってみせ、そして、ようやっと伴侶を得た。

その伴侶との間に子を設け、心底幸せであると実感することができた。

 

この幸せに、父がどうだ、母がどうだという事情は関与せず、れっきとしたアムロ個人の願望と働きによって、幸せを得ている。

これが、真理であると思う。

 

 

僕は、アムロ・レイに憧れている。

彼は、自身の人生を歩むために、家族に対して割り切りを見せた。

僕も、それを考えるべきだ。