「彼女は死んでも治らない」
あまりしないのだが、「ジャケ買い」をした。
表紙のイラストのタッチ、すっっげぇ好み!!!!と思って目をひかれた。
そして、タイトルや設定の奇天烈さに、次に惹かれた。そして購入。
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主人公をして『自称コージーミステリー』という作風の、「とにかくテンポよく話が進むミステリー(風)の物語」という印象。
ただ、この作品のスタンスがミステリーであるか否かというところは、このお話の根幹に関わる部分である。
とにかく感想は、終盤の展開とは切っても切り離せない。
主人公の人となりは、とにかくヒロインである沙紀ちゃんが好きということ。
そして、その「好き」は、どのような事情からだったのか?という部分が、物語の根幹である。
そして、その想いのあり方が自然なのかどうかということを問うキャラクターも登場する。
熊谷乃亜という女の子だ。彼女は、羊子が沙紀ちゃんが好きなのは、義務感的というか、対等な距離感とは別だということを指摘する。
これは確かに正しいことが物語上発覚する。
なぜなら、羊子は過去に沙紀を殺していたのだから。その罪悪感から、同じ轍を踏むまいと羊子は、沙紀を想い、行動をするようになった。
そして、怪奇の力によって彼女は生き返った。
これは、二人の身に降りかかる困難を、助手の昇くんとともに解決していくミステリー...に見せかけて、全くそうではなくて、その困難の大本は、主人公たる羊子が引き起こしていたということが発覚する。
その因果の渦を解消すべく、主人公はどう向き合い、行動するのかというところがこの物語の確信である。
そのため、事件が発覚し、解決をすると言うところのディテールは、非常にあっさりしている。
超常的な力が作用し、事件を収束させる。それはなぜ起きるか?なにが発端であったか?
このことと向き合うことこそが、この物語の軸なのだ。
そのような見方でいえば、この作品は、規模は小さいかもしれないが、むしろ「日常的セカイ系」に分類されるような作品かもしれない。
羊子と昇、沙紀の三人の関係性は、過去の出来事から魂が抜けるだとか、何度も死ぬだとかそのような奇異な現象と隣り合わせとなってしまっている。
そのことに疑問はありもするが、踏み出そうとしなかった主人公。
友達が増え、増大する違和感と向き合ったときに初めて踏み出そうとする勇気がわく。
そのようなストーリー構造事態は、健全であると思える。
最終的には、羊子が望む「コージーミステリー」を思わせる日常の風景に回帰する様子をみせ、物語は収束する。
物語の開始時、羊子は「女子高生を演じるナニカ」であると思った。
なぜなら、年の割に妙に落ち着きをみせ、社会一般論的な通説には素直に従う、感情の起伏はあるものの行動が事態の解決のために最善手をゆく(ようにみえるだけなのだが)からだ。
しかし、物語とともに、羊子の内情がつまびらかになる。
そうするに従い、「女子高生を演じる記号」から、「キャラクターそのもの」へと変貌していく。
このような、メタ・フィクショナルな構成から、フィクションそのものへと物語そのものが没入していく物語構造がとても面白く感じられた。
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ミステリー作品、進んで読まない人間なのだが、この作品はわりと読めた。
というのも、本質は「ミステリーでない」からだ。また、密室殺人だとか、代名詞的なシチュエーションへの批評性をももった作風ともなっている。そのような作品独自の、一歩引いた視点が個人的には楽しめた。
また、そのようなロジックを展開できるのも、文芸作品ならではだな〜〜〜〜と思える。
うーん、僕のアンテナよくわからないな。
ポップなものを追いかけたいが古典SFとかああいうのも触れたいというジレンマ、ニューウェーブ的なものとか…
文芸作品のいいところは、「作中のキーとなる事象に対する根幹の問いかけ」を尺をたっぷりかけて展開できることだよね。
映像作品には、尺やテンポの問題があるから、そればかりに焦点を当てると退屈な作風になってしまう(映画アニゴジ3みたいな。個人的には好きだけどね)。
本当に時間が足りない。
あと、作品の様々なイマジネーションにコンスタントに触れるのも、それはそれで案外衝撃が強かったりするので、自分としては軽く反芻する時間も欲しかったりする。というジレンマである。
てか、消費するばかりの何者かになってやもという疑念も…