レールに乗らざるを得なくなったはずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

2020/03/10 ドラマ症候群

「すみません、あの助けて。助けてください」
2月某日。配達中の事である。午前も4時という早朝の時間帯のことだ。
配るべきあるアパートにバイクを停めた瞬間、
一人の女性が僕の元へかけよってきた。
明らかに、ただならぬ様相であった。
「え、あ、はい?どうかしたんですか」
「えっとあの、警察呼んでもらえますか!友達が、友達が暴れ出して...」
「わかりました。今、呼びますから。とりあえず、落ち着いてくださいね」
突然のことに僕も狼狽した。
不意打ちすぎるシチュエーションに、実際僕も落ち着いたものじゃないのだが、言葉だけでもひねり出してみせていた。

警察には電話で連絡をとりながら、女性から事の経緯について簡単に聞き出し説明をする。
今は某アパートの前にいますと伝え、しばらく二人で待っていた。

僕は、どう言葉をかけていいか分からなかった。

彼女の家に誰かが泊まりにきていて、その人物と一悶着があったことは事実だ。
身なりは、思い切り寝間着であった。足をみると、裸足であった。
「友達が暴れ出して」。それで一目散に逃げてきたのだろう。
だから靴もはかず、携帯も持ち出せず。それで偶然目に入った僕に連絡を取り次いだということはすぐに分かった。

だけど、彼女の心境がわからなかった。その「友人」との関係性がどうで、どんな経緯でこんな事になったのか、そして、このような事態に対して、どんな感想を抱いているのか。

そんな事は、語れるはずもない状況だということは分かる。そして、僕も聞けなかった。
彼女の様子は、明らかに怯え、震えていたからだ。

少し寝間着に目を見張ると、血の跡らしきものもついていた。推定ではあるが、断定しても良いだろう。血がついていた。

「もう少しで来ると(警察は)言っていました。」
「どのくらいですか?」
「10分くらいです。あと少しですよ、すぐ来ると思います、よ?」
語尾が少し頼りなげになってしまう。ヘタレてしまった。

「あの、これ履いててください。裸足じゃ寒いでしょ。これも」
僕は、自分の履いていた冬用の厚手のブーツと、ポケットに入れていたカイロを手渡した。
それくらいしか出来なかった。
野次馬根性なのか、ヒーロー気取りなのか、ナンパ師根性なのか...僕はこの女性の心を少しでもいたわってやれればという気持ちが働いていた。
だから、何かを話しかけたかったが、自分の持っているものを渡すくらいしかできず、それ以上は何もできなく、無言の間が続いた。

アパート玄関前、雨よけの前で待つ。雪が降っていて、ー10度は近くなろうという寒さだ。
物音のしない時間帯であった。彼女が歯の根をならし、震えて思わず声が漏れるような、そんな声とも吐息ともわからないが__それさえ聞こえるような静けさだった。


やがて、警察がきた。

彼女は警察に保護され、現場まで同行した。僕も途中までついて行き、事情の説明と連絡先だけ教えた。
配達途中だったので、それで引き返した。
「○○さん(彼女の名前)には、お大事にとお伝えください」
それだけ伝言を頼んだ。


この話は、コレで終わり。
その後は特に何もなく、以降つながるドラマをも予感したが、あれから3週間ほど経った今も、全くの音沙汰もない。
彼女が平穏無事で暮らしていれば、それで良いと願う。


現実とは、大きな事があってもそれがドラマとして続くかはまた別で、わりと無茶な行動と覚悟や決意がなければ、そもそもドラマとしての続かせようがないものだと分かる。

それでも、不謹慎な物言いだが、僕は人生で初めて、

「親方!空から女の子が!」のようなシチュエーションに出会うことができた。

これは正直___驚喜すべきことなのだと思う。


「連絡先とか聞けばよかったのに」
この事を話すと、先輩にそう言われた。
向こう、それどころの様子じゃなかったですよ、怯えてましたもん。僕もいきなりで慌ててましたし...

僕はそう返したが、正直今思えば、先輩の言う通り聞けばよかった。
それか、連絡先を渡すか。
”時の運を逃した”って感じが、正直してしまう。

 

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どことなく、姉の姿が重なった。弱っているときの姉は、こんなだった。
彼女の”友人”は、暴れているときの姉のようだったのだろう。


僕は、姉を思い出していた。
姉は、心の疾患を煩っている、そう診断された。

心当たりは確かにある。いわゆる症状というのが強く出たとき、時間も関わらず泣きわめいたり、目がすわって、他者を攻撃する言葉を口走ったり。(「殺す」とか)

後は、被害妄想だ。
「ネットで私のこと言われてる。みて」そう言われ、僕は見てみたものの、なんてことはない、
何かの人物の紹介記事だった。共通点は、姉の名前と一部が同じという程度であった。


そんな姉と、どう向き合っていけばいいのか分からなかった。
理解の浅い頃。
「また発作を起こしてる。面倒かけるなよ!馬鹿」
こんなことさえ思っていた。
「鬱だなんだといって、学校をサボっているだけじゃないか。いいよな」
こうさえ思っていた時期もあったのは事実だ。

しかし確かに、目に見えている、耳に聞こえているもの、五感を通じるものは、脳というフィルターを通じてでしか知覚し得ない。
逆に言えば、脳がそう知覚さえしてしまえば、本人にとってそれは事実となる。
「それ」___一般的に幻覚や幻聴とされているものだ。

いつしかこの脳科学のようなものを頭で理解したとき、少しずつ姉の事を受け入れることが出来てきていた気がする。
姉の前でも、「穏やかな気性でいる」ことを心がけたのだ。
しかし、決意と時を同じくしたころ、姉には彼氏ができた。

芯から優しい人である。
だからその人が、姉にとっての癒やし、救い、拠り所となってくれると思えた。それは僕だけでなく、家族一同がそう思っていた。

同時に、その彼氏に、姉の面倒の一切を押しつけてしまえるような、「身の楽さ」をも感じていたことは事実だろう。

僕は少し拍子抜けをした。
「よし、姉と向き会える。」そう思ったとき、姉にはすでに求めるべく、救うべく人がいた。彼氏という存在が。


その人物に嫉妬はしたか?それはよく分からないが、ほんの少しした。
しかし姉が救われた気がする喜びも大きかった。
肩の荷が降りる感覚がしたのもそうだ。

ただ、僕自身、姉と向き合えたのか。
これだけが、未だに心残りである。

しかしこの心残りは、ドラマ症候群とでも言うべきか、それに由来する心理だろう。

ここでいいたい”ドラマ症候群”とは。
「君と僕」の関係性が、起承転結でしっかり収まっていることだ。
今回は、「姉と僕」になぞらえるとしよう。

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「起」:姉は心の病を患っている。僕はそれを疎ましく思っていた。「うるせぇ!」そんな罵詈雑言さえたまに口走ってしまうくらい、僕は倦んでいた。おろおろする姉。両者の関係はあまり良いとはいえない。

「承」:大学の授業で、空きの時間が増えてきた。それを使って何かをしたくなった僕は、本や人間ドラマが主軸のアニメを、ひたすら読んだり観たりした。僕は、人の心と向き合うこと、理解することを学んだ。そしてふと思ったのは、姉との関係性であった。今までは不満をぶつけるだけだったが、そうではない。僕もまた、良くなかったのだ。

「転」:「今までごめんね」僕は姉にそう口を開いた。急に何、とは返された。しかし、これが契機となり、お互いこれまで、どんな思いで生活をしていたか、互いをどう感じていたのかを話し合えた。

「結」:姉と僕のわだかまりは解消され、以前よりも打ち解けた様子で話し合える間柄になった。そして姉には漸く彼氏ができる。僕はそれを心から祝福した。時折、姉・姉の彼氏と僕を交え、ほほえましく交友することさえできるようになった。
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こういう風に、ステキなお話の流れが、現実で起きることを期待していた。
これは半分程度事実だが、ここまですんなりと事が運ばれた訳でないのだ。

この「理想と違う」現実に、心残りをしている、という訳だ。
それが僕の言う”ドラマ症候群”だ。

現実は、ドラマじゃない。

現実の登場人物は、「君と僕」だけじゃない。
お話に最終回もない。どこが最終回になるのかも分からない。
劇中のエピソードだけで事が進むわけでもないのだ。
両者が、互いの目の見えないところで、別々のことをしている。

頭では、理解できているつもりだが、本心、心残りをしてしまうんだな。
だから僕は、”ドラマ症候群”から抜け出せないでいる。

 

ここまで書くと、僕が姉の話の前に書いた女性にも、似た想いを抱いていることが明白だろう。
突然目の前に女性が、「助けてください」と現れた。
僕にとってこれは、物語の「起」だったのだ。

だから、続きがあると思っていた、そして、誰かと心底向き合えるチャンスが来たと思った。しかしそうではなかったし、そのように出来る行動を起こせなかった。

これが事実だ。


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「モエラの台詞じゃないけど、運命は自分で作ってみせる!」

思いもよらぬ事に嘆きそうになったとき、僕はこの言葉を思い出す。
今も思い出している。

嘆くだけじゃどうにもならない。
努力はしなくても、割り切ったっていいんだ。

だけど、割り切ろうにも時間がかかる。
備忘録のように、こうして記述することで、向き合うと同時に、割り切ろうとしているのが、僕という人間だ。