写真
GフレームのZ3号機。部分塗装と墨入れをしみた。肉抜き多いので黒く塗って誤魔化すとそれなりになる。
映像研のアニメ観た後になんか描いたもの。
手癖でRX78ガンダム描いたことねぇなぁってなって適当に描いたもの。
配達中、とても近づいても逃げなかったカラスさんがいたので、そっと無音で撮った。
その後離れてみてもしばらくここにいた。
なんてここにずっといたんだろ。何で僕近づいても離れなかったんだろ。
理由はどうあれ僕が近づいても逃げないでいてくれたの嬉しかった。
シングルランクマ、キョダイラプラス構築パクって潜ってマスターにあげた。
シングルバトル、クッションポケモンという概念を知っているかどうか、そして実用感覚が身についてるかでだいぶ変わるなと思った。
完全に、今作は「数値で受ける」より、「数値を落ち着かせる(ダイマを凌ぎきる)」ゲームへとシフトしたんだなぁという印象。ポケモンの種族値プールもさることながら、攻撃>防御のゲームシステムだもの。
・映像研には手を出すな!
金森氏のキャラ造形めっちゃいいんだけど。世の中こういう人がいるおかげで成り立ってる。割とまじで。
このセリフもいいよな。ツイッターは能動的に仕掛けていくためのツール。そうでなければ呑まれる。
憧れるというか、自分のそばにめっちゃいてほしい。
・100分de名著「幼年期の終わり」アーサー・C・クラーク
これが1953年時点での「ユートピアの定義」と指しても良いはずだ。
これ、現代の理想郷のイメージと全く違わない。
70年近くも前に、現代的理想社会システムのイメージ像があるということに、本当に震えたよ。アーサークラークさん、天才どころじゃない。
同時に、それだけの年月を経ようとも、僕らの「理想」のイメージ像は更新されることは無かったとも言えるよな。
哀しい事実。
幼年期の終わり自体、その物語構造の鮮烈さにシビれた。色褪せることないどころか、とてもシビれてしまった。僕がSFびいきな所があったにしてもだ。
この物語は、それ自体が収集つかなくなり、暴走して終わった印象もある。
おそらく、作り手さえも物語そのものの問題提起やテーマ論に明確な回答を(その時点では)用意しえなかった。
物語そのものがブラックボックスというべきか。とにかく圧倒されてしまった。
この作品のテーマ論へ氏独自の回答は、自作「都市と星」で用意されることになるのだという。作品を通じて自身のテーマの回答、ブラッシュアップを重ねていく。
富野監督もそうだったな。カッコいいぜ。