はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

2020/03/16

休刊日であった。

この日は朝刊がないので、日勤が許される。9時出勤である。

前日、それをいいことに0時近くまで起きていた僕は、6時くらいに起きた。

起床後、
お風呂に入り朝ご飯を食べる。30秒ドローイングをする。
ながらで、アニポケとポケんちを視聴していた。

毎日こんなルーティーンで過ごせたらなという思いで、優雅な朝を過ごす。
が、6時間睡眠というものが体に疲労を残させるものだという実感とともに出勤しつつあった。


この日、夕刊時までにやることは、ざっくり「研修」である。参加者は、今春に入社が内定している卒業生と、後輩二人と、僕の計4人だ。オブザーバー、司会進行として本部長。

内容。自社で扱う新聞についての一事件を追ったドキュメンタリビデオを視聴する。理解を深めるという名目だ。

あろうことか、僕は途中途中でこくりとしたり、少し寝たりしてしまっていた。
先輩としてあるまじき態度だということは分かりつつも、だ。
しかし睡眠不足がここでたたってしまったようだ...。

僕は、この事件の概要は既に把握していた。それは入社当時から研修としてこれについて学ぶ機会を与えられていたからだ。寝てしまったのは、「既知だったから」と軽くみていた所もある。そして、僕の発言の機会がでたら、優等生的で抑揚をしっかりつけて端的にまとめた事を言えばいいや、と、体裁だけはおさえることをもくろんでいた。

そうこうして、予想通り締めくくりの際にそれぞれの感想を言う場面で、僕は発言に詰まることなく意見を述べてその場を凌いだ。

昼間は全員で食事をともにした。

要するに、この日の午後までに行うことは、研修生のお守りである。

午後は僕の配達の割り当てもなかったため、引き継いだ仕事や自分の仕事を少し片付けてこの日の勤務を終えた。

早めに切り上げたのは、またしても夕飯の食事会があったからだ。

ここでも後輩二人と内定者を引き連れて社長宅へお邪魔した。
そして、社長の奥さんがふるまってくれる手料理をたらふく平らげてこの日を終えた。

文字通りのおいしい思いをするはいいが、社長は話が長い。
僕らは、ただ社長の、言ってしまえば「経営者的お手本的なありがたいお話」を、相づちを交えながら聞いているのだった。

そんな折、会社の本部長からはメッセージが入っていた。
「20時になっても話が終わらなかったら、『明日は朝刊業務があり、それに障る』と言って切り上げてください」と。
ありがたいフォローである。そして実際、その時間を少し過ぎても話が続いていたため、
僕は社長に「もう帰ります」と伝え、深々と社長夫婦に礼をし、後輩達を引き連れてその場を去った。


毎年年度始めに、これがある。社長の奥さんの手料理お食事会だ。
とてもおいしいメニューで、どこどこで獲れたナントカ野菜を使った和食風味の云々をふるまってくれる。
新鮮な野菜は独り身にとても効くので、本当においしいと感じる。


この日は21時半には寝たか?
前日の睡眠不足もあり、なんだかとても疲れてしまった。
リーダーとして振る舞うということは、とても疲れる。
いつもは、上司がどこかにいてくれるもの。そういう気の違いって、本当に大きいんだなと実感をした。

しかしその上司方はいなくなるのだという。それについては、別に記事を書こうと思う。

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社長夫婦の話は、どこかに出かけに行って、そこでナニをして、何らかの食べ物を獲ってきただとか、そんな話題が多い。
いかにも「社長」って感じの話題だ。

僕は思う。その土地だけのことをするの、人って好きなんだなぁとか、根源的な欲求なのかなぁとか。

僕は出不精気味であるし、理由がなければまず外出をしない。
その気質は、社会人となって時間が限られるようになり、さらに加速した。

多くの人は、外出を好むように僕は感じる。当たり前だろう。
しかし僕は思う、「外に出て遊んで楽しかったってなって帰ってきて、なんか残るのってあるのかな」と。
そういう感覚の持ち主であった。高校時代あたりから、そんな気を強めてきた。

かといって、そういう意見を主張する人間ではなかった。
嫌われるのが恐いから。

だから、一人で外出するのは好きだった。
自分のしたいことをし、得たいものを得るために外出をする。目的ありきでの外出。
それを邪魔されるのが、とてもストレスであった。

根っこのどこかは、「意識高い系」のそれであるのかもしれない。
の割に、頭が良いでもなく、めっちゃイケイケな仕事をしているわけでもない。
よくわからないね。
でもこんなことを思いつつそういう立場になっているのは、人に嫌われるのを極端に怖がったまま生きてきたからなのだと、かなりはっきりと自覚している。


こういうトーンの話題は、「暗いもの」と捉えられるのだろう。
しかし、僕個人の主観でいえば、自分自身で、自分の気質を自覚するという行動は、とても精神衛生上健全に思えてならない。

今、自分から見つめた自分はどうである、と、アウトプットをできるということは、幸せなことであると、心底思っている。

言いたいことを言うと、僕らは気持ちよくなるだろう。多分。

言いたいことをすんなり言えるようになるために、こういうことをしているのかもしれない。気持ちよくなれるために、幸せになるために、こういうことをしているのかもしれない。