はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

気持ちに整理をつける

『描く意欲が削がれる』。
それは、何によってなるのだろう。

ナニかに取り組む、頑張っている他者を観たときだ。

とりたてて、Twitterでは、ダレも彼もが、ナニカを頑張っているように見える。
さらに、それが評価されているように見える。

そういう世界を垣間見てしまった。

すごくイヤだ。

自分がちっぽけに見えるからだ。

それで、「自分は何もしなくたって...」という後ろめたさにおわれ、無気力になる。

その無気力のまま、画面を見つめる。
Twitterで他のアカウントを漁ることなど容易だ。
マウスを動かし、指でボタンをクリックすればいいだけなのだから。

それで、また別のアカウントの投稿を見る。
見るだけだ。自分から何も発信をせず、見るだけ。

こういうのは...すり減らす行為だ。

分かっているのに、してしまう。
「アクセスがしやすいから」
なんだよな。

悪い意味で、寄り道がしやすいサイトはいっぱいある。
僕の中では、TwitterYoutubeもそうだ。

気をつけなければいけない。
「ナニかを発信する意欲」が、削がれてしまう。

だから、そういったサイトを覗くのは、一度ナニカをきりあげたタイミングとかにしよう。
でないと、大変だ。萎えてしまう。時間も削がれる。

いやなのだが、嫉妬深い。
アニメとか、半ば公共物はいい。
それは、人の手がみえるようで見えづらいからだ。多くの人の手を介して作っているからだ。
だけど、同じ『私』で頑張っている他人をみると、辛い。

だから、意識しないようにする。

意識しないために、見ないようにする。
そのほうが、手が動く。

でも、完全に見ないのは、それはそれでバランス感覚を失う。
だから、キリのいいタイミングで見るのだ。

「自分にだけ向き合う時間」と、
「外界を考える時間」というものの線引きを、本当にくっきり、くっきりすれば良いのだと思う。

 

本当に、本当に哀しいことなのだが、
インターネット・サーフィンは、インプットとしては恐ろしく効率が悪く、
そして、僕は10代のかなり大きな時間を、それに費やし、殺してきたという自覚がある。

 


僕は、「幸せな時間」を過ごしたい。
今、そうしていることに満足をする。

そのような時間の過ごし方をしていることに、幸せを感じたい。
そのために、やるべきことならしたい。

やるべきことも、幸せを感じてやりたい。

それが理想だ。

そして、その「幸せ」という感覚は、比較優位とか、そういうことじゃない。
他の誰かより秀でているとか、自分の中の感覚に「他者」が思い浮かばない。

自分のために自分が幸せであると感じる。究極的なまでに個人の感覚。

それを味わい続けられれば、最強なのだと思う。


そうしていった結果で、他者との折り合いがつかなくなっていくのであれば...

それでもいいのだと思う。当然、バランス感覚はあるけれど。


どうでもいいが、今、こうして自分の気持ちを文章に記し、自分自身と向き合うという行いは、心が落ち着く。

書き出すという行いは、とってもいいことだ。

 


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多分、こういう行い、ネガティブ感情を記述するという行いは、
メンヘラっぽい行為の一種のように思われがちだろう。
や、多分そうなのだろうけど。


そういう気持ちに向き合い、そして救えるのは、究極的に自分しかいないと僕は思う。


中途半端に萎えの気持ちを発信し、誰かにその言葉を拾われる。

拾ってくれた誰かは、善意からだったかもしれない。
しかし、ネガティブ感情を、自分でも分からないまま見切り発車で打ち明けて、
その断片的な情報で向こうは拾い上げて、ことによってはアドバイスなんかをする。

その言葉に従う。結果、「アレ?」ってなる。
もしくは、「そうだね、ありがとう」と言って従わない。内心で「ずれている」と感じる。

そんな具合だ。

自分の気持ちは、自分で掘り下げてみるしかない。
それは、具体的に掘り下げるべきだ。5W1Hというやつだ。

で、どうせ聴くなら、本気でその悩みと向き合いたいなら、頭を使って向き合うべきなのだ。抽象的であっては、きっと辛くなる。


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彼氏と上手くいかない、ということで辛いと感じている知り合いがいた。
その愚痴を聴いた。

でも、なんと言って良いかわからなかった。
「それは...辛いね」
くらいの言葉しか、言えなかった。言わなかった。

その”辛い”と向き合うのは、彼女自身なのだ。
「周囲には、そんなのすぐ別れろって言われるの~」
とも言っていた。色んな人にそのことを言って、三者三様に意見を言われているのであれば、僕は意見をしないべきだ、とも感じた。
選択肢が多すぎては、彼女自身も悩むだろう...と。

かといって、僕には恋愛経験などないし、「僕も~~なんだよね」というような切り返しの手段もなかった。

だからだ。相づちを打つしかなかった。

彼女が辛そうにしているのは、とても辛かった。
だが、当人の彼氏と関係を良化させるべきか、別れるか、決めるのは彼女自身だ。

かといって、それっぽいアドバイスをして、「ナオ君ありがとう!すき!」のような方向に持って行くのもいやだった。

彼女が好きになったのは、その彼氏なのだ。
向き合ってほしいのは僕とじゃない。

だから、何も言えなかった。
僕はこう思うしかない、うまく生きてくれよと...。

そして、下心でいえば、かつて好きになった女性でもある、よりを戻せればという気持ちはあるが、それはあまり健全な入り口でないし、誠実性がなくてイヤだ。
だから...本当に何も言えなかった。

 

ああ...今思ったよ。
こうやって書いたこと、それを全部本人に言えば良かったんだな。

そろそろ21時だ、キリがいいや、軽くおえかき練習をして、明日も早いので、
それで寝ようと思う。

それにしてもさ、僕の文章力(ちから)、ほんと弱くなったな。

でもいいんだ。今は、描くもので気持ちを伝えたいと思う。
僕にとっては、そうするやり方が心に善いものだと、幸せをより強く得られると思うから。