はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

能動的に、やさしくするということ

そしてそれは、相手に与えるだけでなく、

返報性を求めるためだけでない。

 

愛することにより、与えた充足を与え、

それは、相手をより善くするためのものであるということ。

 

与えられたものは、幸せになるために与えられたと自覚し、自らの利益というより、自らそのものの前進のためにそれがあると実感できること。

 

それは、互いが気持ちの良いことなのだと思う。

 

誰かに何かを与えた、与えたと自分は思った時、「これなら相手はこうしてくれるかもしれない」ということを望む。…とする。

でも、相手に対する「してくれるはずだ」というのは、結局は利己的行動なのだ。

だって、与えて、お返しをもらうことによって、「相手が自分のためにいる」ことを自覚することを画策して、「与える」のだから。

 

そうでない「与える」とは、何なのだろう。

それは、衝動的なことなのだと思う。

 

と同時に、考えた末の「与える」でもあるのだと思う。