はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

キャラがいてお話があるのか、お話の基にキャラがいるのか

アニメや漫画

 

●キャラを配置⇨ストーリーテーリングの順

「このような人物がいて、そうなると対比的にこのような人物もいて、…」とパッチワーク的に配置していく。

これはちょっとシステマチックな配置。

構図を決めてお話を作るのであれば、話も、キャラクタ像も破綻はしづらいかもしれない。

しかし記号論に近いものを思わせる。

「Aという現象について…

・極度に反応を示すαちゃん⇨ハイテンションカワイイ

・無視するβちゃん⇨クールカワイイ」

というような、局所的キャラの(記号的)描写の連続でお話を作る。

受け手にとっては、心地良さと愛着を与える(あくまでキャラ表現主体の為、描写そのものが視覚的に刺激的であっても、劇そのものは並列的に描写されるため、安心感があるだろう 例:サザエさんとか日常系4コマ。)単純接触効果に近いか。

 

●お話の基にキャラを配置する

「伝えたいことがある」のが始点。テーマありき。そのため、それを体現できる者が主人公となる。

こちらはあらゆる面において諸刃の剣に近い。

また、「面白いお話を提供する」、エンタメの提供ありきの為、キャラクターそのものは「キャラクター」というより、「主人公という枠の人物(名前や容姿などは、極端な事を言うと代替可能)」という印象を与えがち。

記号論を脱しがちだが、物語の中に人物が呑まれる。

ただし、お話そのものへの没入感を味わいたいユーザにとっては、主人公というより、「お話の中で主人公がどうなるのか・何をするのか」という『体験』を重視したいかもしれないので、極度な主人公のデザイン的・性格的主張は控えるべきかもしれない。

どちらかといえば映画的・小説的手法。

 

 

 

●漫画やアニメのダイナミズム

上記2シーケンスを、なるべくシームレスに織り交ぜている手法で物語展開ができると、ものすごく面白い、魅力的な作品たり得る気がする。

そして、これができることは、線を減らし、二次元上に「人物」を描写できる漫画、アニメの特権であろう。

しかし難しいのは、織り交ぜる事を意識しすぎると、それはそれで平坦な作調になってしまうのでは、と言う事だ。

 

とはいえ、マスの受け手の感受性には時代性に大きく左右される面もある。

「絶対的な魅力」は、

作り手が作品に真摯に向き合っているか、

また、同時に、向き合いつつも独りよがりでない⇨「見せる事を意識した」、「受け手がいることを忘れない」、あくまでもいい意味での「原則」をクリアしたものであるか、

なのだと思う。