気持ちの話をするくらいなら、具体策を見せて可視化できるよう突き付けてみろ
という指摘を、自分にしたくもなるものだが、
そうやって正しいことばかり言うのが正解というわけでもないだろう
が、そんなうやむやを盾に、やらないことを正当化することは、虚無である。
何かの言葉や態度が正しいと思うのなら、それを妄信するくらいしてもいいのだと思う
傾倒することは間違いでなくて、そもそも自分で間違いだなんて気づけないだろう
周囲が評するくらい自分からにじみ出てきてはじめてそうだと分かる、
はじめて自分のキャラクターはそうだと分かる、はじめて間違いだとわかる
ポエムやん!!
富野監督は、
ガンダムは子供が観るものだ、
自らの好きに正直になりすぎるな、
自らに個性があるなどと思うな、
ちょっと好きじゃ認めない、
アニメーターにはなるな、
様々なエキセントリック発言を残していらっしゃる。
僕はこの言葉を非常に真に受けた。
取り立てて高校生の時期だ。
ネットサーフィンをしがち×富野監督の「否定」のインパクトは凄まじく、
だからこそ僕は、傍観者で、根底に嫉妬や劣等感を基にした「何もしない」という名の逃避を繰り返していたのだと思う。
世の中には、「好き」を追求することを由とする文化が根付きつつある。
これは素晴らしいことだと思う。
と同時に、僕の心底に根付いた「否定」の人格が何かを訴えたくなる。
それが、ティーンズ時代の僕の強烈なコンプレックスなのだと思う。
何を言いたいわけではないのだが。
富野氏の言葉は、アマチュアには毒になる言葉だと思う。
プロになってから考えるべきことなのだ。
それでも、富野由悠季おじいちゃんは、大好きだ。
(何の話をしているんだ)