会社を辞めることが確定"させられた"
3月末を以て、職場の事業所を閉鎖するという通知を上司・社長からうけた。
僕は、当然「はい」とだけ答えるが、
その時の率直なリアクションとして、内心ワクワクと開放感でいっぱいだった。
やっと辞められる。しかも堂々と辞められる。
というより、勤め先が消えるのだ。
これは当人の都合じゃどうしようもない自体であったから、上司方がそのツテを使って
再就職先の斡旋も段取りしてくれるらしい。
選択肢が多いというワケだ。
しかし、同業他社は死んでもイヤだ。
そして、そのような選択をできるということも、とんでもない贅沢なのだとも実感をする。
僕は、自分でお金をつかみ取って生きているわけじゃなかった。
結局の所、会社というレールに、上司が用意してくれたレールに従ってその選択を得ていた。
ナニも考えずにレールに乗っかることは、ゆるやかな死を意味するのだと思う。
そもそも、本当は、レールなどというものは存在しないのだ。
3年間今の会社に勤めて、率直な感想は、こういうことしか出てこない。
世間的にみれば、やはり薄っぺらな若者の感想だというものなんだろう。
でも...はばたきたい。はばたいて、傷つきたい。それでまた、大きくはばたきたい。
だから、今までこの会社にいたことの時間の全てが無駄であるとはとうてい思いたくない。
なので、今はこの会社にいてできる限りのことをしようと思う。
人生のうちの3ヶ月間だ。この期間が終われば、否が応でも終わるのだ。
”この先にどんな地獄が待っていようとも、お前を!お前たちを!俺が連れて行ってやるよ”
とは、某団長が放った言葉だ。
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大人の期待。
上司の期待。
上司は、業界で何十年と務めている。このような事態の重みは、僕には計り知れない。
だからこそ、道半ばで場所を失う僕らへの想いがどのようなものであるか、
想像以上のものがあるのだろう。
僕がこうして感傷的になれるのも、えげつのない話であるが、
そうなれる余裕があるからなのだろう。
人から期待を受ける身。まだ身軽である身。将来性はまだあるとされている20代という、若者であるという身。
だからといって、感傷的になりすぎたところでどうしようもない。
そのような自分の都合の良さを知った上で、改めていいたい。
これは、僕にとって好機であると。
どのみち辞めようと思っていた僕にとって、願ってもない機会だったのだと。
少なくとも、会社を去る動機に、自己都合退職ではなく、会社都合退職となるのだ。
「興味もてなかったんでラクになりたくて会社やめました^^」と、
「コロナの影響で会社の営業資金を確保できなくなりその都合で解雇通知を出されて、云々....」というのだと、後者の方がマジメっぽく聞こえる。