はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

2021年1月10日

土曜日の夜。中学時代の部活の仲間たちと「オンラインビデオ通話」をした。
今から6年も前になってしまうが、成人式以来に話すメンバーもいた。
だからとても懐かしかった。
そして皆、案外住所が変わっている訳でもなし。相変わらずであったりで安心もした。
このメンツの中には、既婚者もいる。

中学時代のクラスメイトで結婚したのだ。
その夫婦でこの飲み会に参加していた。

ビデオ通話中、「夫婦漫才」を何度もみせられた。
僕は、心底ほっこりし、ほほえましかった。
嫉妬も何もなく、心の底から「仲良いの見せつけてくれちゃって~、このw」と思えた。

僕は、この彼・彼女が結婚式を挙げるということを知っていたし、その当時は一応招待もされた。でも、その時はいかなかった。
時間がなかったワケじゃない。
こう思ってしまった。「婚約祝いとかでカネかかるだろうし、いいや」とか。
「結婚とか、はやすぎだろ」とか。おめでたいと思う気持ちはあったが、それ以上に蔑む感情や、「面倒だ」、というネガティブな感情の方が強かった。それが理由でいかなかった(当然こんなことを断り文句にはしなかったが)。

そして今思う。心底思う。そんな風にした僕は、心底後悔している。
その同級生夫妻は、結婚して3年ほどになるそうだ。
その後の生活の色々なんかも、この時に聞いた。大変だとは思う。でも、楽しそうだった。
だから、幸せを願っている。


僕は、自分にしか興味がない。
今は、そんな自分が好きだ。と思う。
人間的に生きている気がするからだ。


だが、案外、そんな風なプロセスでも、自分を好きになることで他人も好きになれるのかもと思えた。

多分、社会人になってから心持ちが変わったのかもしれない。
イヤでも、他人の色んな面をみるし、ときには向き合う必要もでてくる。
イヤでも、共同体の中にいなければいけない。

だとしたら、同じ共同体の中の人たちは、憎むとかどうというより、ある程度の連帯感や愛着を以て、もしくはフラットな感覚で以て接することのほうが、生きていく上で健全に思えた。

そういう心持ちになった。

多分、世の中の多くの人が言っている。
この感覚は、
「大人になってその辺変わったんだよね」とか、「働くようになってからは変わったんだ」
とか。そういうことなんだと思う。

しかし...僕は、そういう心持ちの変わりようを、「大人になった」の一言で片付けたくない。何故かはわからないが!!!

多分、「大人になれよ」とか、「ガキっぽ...」みたいな言葉が、大っ嫌いだからだ。
なんと形容すればいいのだろう。

 

そして...

このような回を画策した目的。

nagisaseer.hatenablog.jp↑の記事における「あの人」と近づきたかったからだ...!

 

(現在進行形でハズカシイ人間の自覚はあるが、過去の記事あさるのもやっぱハズカシイ...)

 

そして言いたい。互いの歩む時間が、違っていたとしても、僕がどれだけ幼稚であったか突き付けられることになろうとも、

「好きだ」と、今度こそ、「付き合ってほしい」と、はっきり伝えたい。

 

 

が、今回「あの人」は不参加。

なんとか話でもできるようにこぎつけます。