はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ネトフリで最近みていたもの

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全部一言で感想をつけていく

テラスハウス 2012~2014編

てっちゃんが最初から最後までいたので主人公って感じで一番応援していた

生の恋愛を、教えるでなく、そのまま映すので、なんというか皆ロマンスを求めるけどそうでなかったりするよね、と共感したしなんというか今の自分を受け入れられるような気分になった。

あと劇場版てめーはだめだ 出演者の扱いが雑すぎ。冒とくしているまである

 

●ミッドナイトゴスペル

視覚体験、視覚実験という言葉が似あう 英語聞き取れないから字幕で見てるけど

文字を読みつつだと話が入ってこなかったりする ほんまに日本語訳ほしい

宗教観、医療と死生観、表現者としての死生観等をインタビューしつつ映像としてはコピックで言うところのRV~Vくらいの色彩をメインとした画面でスプラッタが繰り広げられる。ハッピーツリーフレンズといえばわかりやすいか。すんごい組み合わせである。映像表現とはすばらしい!

 

ガンダム めぐりあい宇宙

冒頭だけ見直したい。WB隊vsキャメルパトロール隊は超・超名シーン。ほんとに大好き。そして以前はアムロのプロフェッショナルそのものである冷淡な立ち回りにばかり目を奪われていた(もちろん今も好き)が、久々に見返して気づいたことがある。

WB隊全体も当然練度が上がっていて、その差はキャメル隊と比べると歴然である。

作戦行動の展開の速さ、ブライトの判断を絡めたいわゆる報連相のスピードと的確さなど、そういった部分でも差が出ている。ここまでの描写を当時からしていたのかと思うと改めて衝撃を受けた。

ガンダムがキャメル艦隊真上上空から高速で迫ってライフルで的確に、ムサイの砲塔・エンジンブロックと確実に当てていく場面はほんとシビれる。いつ見ても恍惚とする。

文字通りの「無駄のない洗練された動き」。MSの運用法もまさに奇襲からの電撃攻撃で一瞬で艦船クラスを倒すというキルレシオ的にもとても理にかなっていて「フィクションの中のリアリティ」を作戦面からとかでも感じられる。ああ~すこ。

やってることは戦争なので当然こんなことをすればムサイの中の兵たちは爆発で死んだり、爆発で割れた壁から宇宙空間へと突如放り出されたり、メットをかぶって気密性を高めていようが結局は漂流する、こちらは餓死という未来にさらされる云々...と考えると、アムロは本当に恐ろしいことをしてもいるのだが。当然ニュータイプという想像力はこれを無視はしないが「戦闘のため 自分のため」等ある意味割り切りを見せ、知ったうえか、もしくは考えないようにしてか、そのうえで「迷いなく殺す」のだ。

 

GANTZ:O

なんかグラフィックがすごいなぁ そしてこのグラフィックで肉がぶっちゃけたりするゴア表現はどうなのだろうと思って視聴

感想はねーちゃんのおっぱいしりって感じだった

正味GANTZは面白いと思ってるんだけどなんかなじめない部分がある。それが上にも書いたおっぱいおしり である。

「真面目で優しい俺だけどつらい目にあった、がんばった そしたらめっちゃナイスバディのねーちゃんが寄って微笑んできてくれてセックスしてくれた ねーちゃんエロい。かわいい。おっぱいきれいおしりもきれい。」みたいな印象を受けるんだよね

あくまで俯瞰的な作品なのに「俺」の目線が強すぎる

これはフェチズムなんだが、ボンキュッボンで男に優しいだけが女の子じゃねぇ!という物足りなさを感じてしまう

というのはともかく高重力発生させる銃とか表現かっこいい...

なんだかんだいってるけど加藤君のキャラ造形自体は真っすぐですこ。それと(全体的な)女性の絡め方と女性の描き分けが不満だという話である。

 

監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影

おもろかった。ちなみに同作でタイムロッキングコンテナが登場する。中にスマホを入れて封印するのだが、家族の一員がそれをハンマーでぶっこわして結局スマホを触り始めるという場面がある。

僕もこれ持っている。が、さすがにそこまでしねぇ...てかもったいねぇ!という感想を僕は抱いた。

要は「あなたたちが触っているSNS云々は企業の手によるものだ、そしてTwitter等、企業やテクノロジーがヒトの精神まで影響を及ぼしたことは、前例があったか?いやないだろう、だからこそこの新たな問題には規制ないしは明確な社会課題として一考すべきなのでは」という主張であった

事実かなり正しいと思う そして僕のふるまいはやはり企業の体のいいコマでしかなかったのだなというむなしい思いも抱いたりした 

この作品だけだとひたすらデメリットのみを抱いているので、話半分に聞くような姿勢が必要だと思った

 

トゥルーマン・ショー

「監視資本主義~」のたとえ話で出てきた言葉がトゥルーマン・ショーだった。

名前は聞いたことあるけど観たことないなぁと思って観てみた。アイデアが光る作品。

ここは世界であると思いきや実は箱庭だ、箱庭にはそれを操っている者がいる、じゃああなたはどうする、箱庭を壊して新しい世界を望むか?というようなストーリーテリング。人によって多角的な見方ができるだろう。ある種テラスハウスはこれにかなり近しい。僕はぶっちゃけこの作品をどう自分の中に落とし込んでいいものか分からないでいる。面白い、アイデアすこだ、という感想は確かに抱いている。

 

宇宙戦争

トライポッドいいよね...いい...

以上()

カタルシスNASA。名前に比べて地上でごく個人的なお話に終始する。しかし最後のナレーション「宇宙生物たちを打ち破ったのは地球環境そのものであった 地球という大気は彼らが生きるに適さなかった だから自壊していった。人間や地球の生命は、長い年月をかけてそこで生きるすべを身につけたのだ 人類の勝利ではなく、その営みの勝利だった(意訳)」というのがとっても印象的であった。

しかしこのような切り口、実に文芸作品的である。というのも当然、原作がジョージウェルズさんのものなのだから。

...あれ、じゃあ小説を読むのが一番じゃね?

という感想を抱いた...。

 

BEASTARS 第二期

すんげーおもろい。この作品はビジュアル面、キャラクター造形、舞台設定、ストーリーテーリング、主題歌諸々とっても拘りを感じられていておもろい。

あとビビるのが、これ女性作家作品なんだよな...?

レゴシ君の内面描写、ほんとに「お前は俺か」と思う事ばかりでなんでこんなに男というものを描けるんだ、とビビる。レゴシ君ってどことなく罪と罰ラスコーリニコフ的なものを感じる。

 

悪の教典

SATSUGAIシーンだけ観た。悪趣味を突き詰めたかのような、暴力と陽気なポップスという組み合わせ、このコントラストの不協和がむしろくせになる。

エヴァでいえば、破のアスカ参号機をダミープラグでボッコボコの肉塊にし、そのバックで皮肉のように「今日の日はさようなら」が流れる。

ガンダムサンダーボルト。ダリルはじめジオンの狙撃部隊の攻撃に、無残にも次々と落とされていくムーア同胞団の面々。その死を労るか、むしろ無駄であったと嘲笑するか、死とは裏腹に陽気にも流れ続ける「あなたのお相手」。

キングスマンでもあったかな。敵対組織の幹部たちが次々と頭を破裂させるシーン。

 

悪の教典における殺しも、その系譜だ。

倫理的なことを一切抜きにしていえば、殺しとは映像における一種のカタルシスだ。

それを視覚や聴覚で多感的に高めてくれるからこそ、ポップスのような明るい曲が、むしろ殺しという描写を「気持ちの良い者」へと昇華させてくれるのだと思う。

そして、殺しを映像で描写するというのは、「フィクションの中のいち表現」を逸脱しえない。どこまでいってもフィクションである。

とすれば、フィクションの中の映像表現のひとつの極致は、死の直接描写=殺害 

というわけだ。

 

殺しのシーンだけを観れば、それをとても肯定的に描いているような錯覚すらおぼえるが、エンターテイメントとは、「気持ちの良くなる、なれること」と同義だ。

とすれば、気持ちよく殺しを描く同作は、まさにエンターテインメントとして実に潔い在り方をしているのではないか。

 

そして、このような持論があるからこそ、僕は、えげつのないほどの殺しを描く作品を愛している。

 

そして、そんな自分が人間として真っ当でない自覚があるから、幸せには死ぬべきじゃない、とも思う。

 

●オールユーニードイズキル

リタかわいいよね...

※ただし漫画版な!!!!!

漫画は読んだことあったけど映画は未視聴だったので観てみた。

114514回死ぬ経験つらすぎる…

普通におもしろかった(まじで小並感)

やり直しまくって段々強くてニューゲーム、ていうのを2時間のフィルムで飽きないようにまとめるの大変そうなのにかなり面白くまとまっていた

機動スーツはカッコイイんだがシルエット的な武骨さがなんともうーん。

 

 

一言とは。