はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

3年間勤めていた会社を辞めた

サティの「ジムノペディ」を流しながら、書いている。

 


何だったのだろう 今の仕事は。
総括すると、「おもんなく、平坦で無為無為しい3年間を過ごし、その対価として200万の貯金を得る」と、今は捉えている。

どのような切り口から書けばいいだろうか。
少しずつ、入社当初から考えてみる。

<2018年度>
●4月
入社する。初日、最初にしたこと。数時間かけて会社の前の歩道を掃き掃除した。
会社の窓を拭いた。掃除に掃除をして午前中を終えた。
印刷工場に見学に行く日があった。研修場に行き、授業の日々もあった。
そのときに習ったことは、もう忘れている。
覚えていることは、僕はあの場で、振り返ってみれば、やたらと意識の高いことを言ってしまったことだ。イヤに明るく物事を捉えるし、変に主張をする。目は輝いていたかもしれない。意識”だけ”高い人間のそれ。都合のよい人間だなと、つくづく思う。
結構シャニマスやってた気がする。あと、仕事初日の朝、アイマスの春香さんの誕生日イラスト描いてたな。
●5月
配達のオリエンテーリングが入る。色んな人の配達に同行する。
確か、プライベートの時間を確保しようと必死になっていた気がする。
映画「孤狼の血」をみたのもこのあたり。GYAOダンサー・イン・ザ・ダークを視聴したのもこのあたり。実家からもってきたRE版ディジェやMGのHi-νを組んだのもこのあたり。
●6月
配達の独り立ち。忘れもしない、初めての夕刊の独り立ち。
その時、ひどい雨だった。ましてや、「大丈夫です」と、上司の報告は名ばかりに、正直、大して配達順路を頭に入れていなかった。その二重苦が重なり、配達は遅れに遅れる。
電話の嵐。雨中、携帯の着信を気にしつつ、しどろもどろに自転車をこぐ。
そこに駆けつける大先輩。車の中で、びしょびしょに濡れた身になりながら「すみません」を連呼する僕。粗いながらも早い運転で、明らかに不満を漏らしつつ僕の尻ぬぐいをする、大先輩のFさん。これらの遅延が原因で、客先対応も遅れた。
プライドズタボロ。雨にも濡れた我が身。心身共に、疲弊しきったのを覚えている。
そんな僕の身に、上司や周囲の一言が身にしみたことも覚えている。
「ナオ君は、一切何も悪くない。だから、気にしないで良い」
ロッカールームで一人、僕は涙を流し、聞こえぬようにすすり泣いた。
この月の半ばだったか、月末だったか、ポケモンのUSUMを買った。
ここからしばらく、休日はUSUMをひたすらプレーしていた。
●7月
あまり覚えていない。バイクのオイル交換だとか、外回りの基本を教わった気がする。

●8月
あまり覚えていない。確か、シフト制にしては珍しく、お盆休みあたりに3連休をとれた。
そのとき、家族での墓参りに参加できたことは覚えている。
ポケモンのWCS2018はスルーし、2019ルールに向けて育成・対戦環境を整えることに専念していた。

●9月
あまり覚えていない。この辺りだったかに、WCSルールでのレーティングバトルにおいて60位代くらいまでいく。自分に自信がついた。
自信といえば、この月のはじめに地震があった。それに伴い停電を経験する。機械によるチラシ折り込みが不可能となった為、手差しで長時間かけて折り込む。
電気もつかぬ部屋の中、周囲は異常事態につき急遽休日となっているが、僕は出勤。そんな自身を、底辺と自嘲していた。
●10月
仕事が忙しくなる。忙しさに心が落ち込む。ポケモンを続けられなくなる。
●11月
落ち込んでいた気がする。この辺りの時期から宇野常寛さんにハマる。
●12月
落ち込んでいた気がする。元々クリスマスや年末年始に関心は薄くなりつつあったが、いよいよこの年を以て何の関心も寄せぬようになった。
人生でいちばんつまらなかった...というより、何も感じなかった大晦日。以降これがスタンダードとなる。
ガンダムNTに強い衝撃を受ける。
●1月
ほぼ戦力として勘定されていないかのような年始の配達をスタートとして、元旦の配達を終えた。朝刊後、仮眠をとると、家族が迎えに来た。...家族旅行の約束があったのだ。
この時の1泊2日旅行は、楽しかった。旅先のホテルの部屋内、REガンイージを作っていた記憶がある。また、この時、謎の社会論なんかに目覚め、自分の祖母の前で堂々と「老人は切り捨てるしか無いんじゃ無いかなと思ってる」という講釈を垂れ始める。「うん、いや、わかるよ」と相づちを打つ祖母。おばあちゃん。。。この時はほんとごめん。
大学時代の友達と会う。なんと、彼女ができていた、という話を聞いた。
ガンダムNTにハマっている。トータル、3回劇場に足を運んだ。
集金にて新たにパートさんが加わる。しかし、初回はそのパートさんに業務を教える都合で仕事が苦しくなる。
●2月
大量の積雪。萎え。集金の僕の回る件数は大いに増える。大いに疲れ果てる僕。
この月は、一部の読者には集金にいかなかった。この月はとてもキツかった記憶がある。
休日、「チャクラ論」を唱える「先生」の話を聞く。会うキッカケは、ジモティーでの友達募集掲示板からだ。そのときの経験は今でも覚えている。

●3月
HGのナラティブガンダムC装備を作った記憶。部分塗装にマーキング、つや消しと念を入れて作った。
集金では、先月分の自分のツケを自分で拭うべく、意を決して休日返上で外回り。
その時はやたらと気分が前向きであった。「今が全部じゃない」「それでも、いつかは...」ガンダムNTを見過ぎたので、これらの言葉をモットーにしていた、気がする。
会社では僕がんばってるな、みたいな扱いになる。若いのがんばれ~みたいな感じ。

<2019年度>
●4月
後輩達が入ってくる。彼らも交えて、社員達で個人的に歓迎の飲み会をした記憶。
その帰り道、後輩のK君はオタクだったので必要以上にオーバーリアクションで話を聴いたりなんなりしてしまった。
●5月
ポケモンの1.5次創作小説を考える。きちんとした文章は第1話にして終わってしまう。
●6月
ごめん、覚えていない
●7月
ごめん、覚えていない
7月か8月に、RGνガンダムを作った記憶。
●8月
某アプリにて、以降長く連絡をとりあうこととなる人と知り合う。
その人と頻繁にLINEをするようになる。互いに好き合う。
●9月
↑の人とのやりとりが続く。
●10月
↑の人とのやりとり、段々頻度が低くなる。
●11月
ポケモン剣盾発売。11月15日発売だが、11月17日に届くようamazonで注文をした。
3連休をとり、みっちり剣盾のメインストーリーを遊び尽くす。
11月の後半、例の↑の人から連絡があり、剣盾を一緒に遊ぶもグダる。
内心、君と僕じゃモチベーションが違う、バカめ、と冷ややかな感情を抱きつつ接していた。ひどい人間だと思う。中途半端な奴なのに。以降も接する頻度は低いまま。
●12月
剣盾を遊ぶ。育成環境を整える。ランクマッチでは100位程度で終える。
その順位に心底納得しきれなかった僕は、好きな人にこう告げる。「僕は教えられるほど強くないや、ごめん、」と。返事はない。自然消滅したのだなと悟る。
●1月
2度目の元旦配達。記憶にはあまり残っていない。
●2月
剣盾ダブルバトルの動画とかを漁っていた記憶。
ランクマッチ自体は出来ていたかびみょい。
●3月
TRIGGERのアニメ「BNA」にエモくなっていた。みちるちゃんを描いたりしていた。
ランクマはやっていた気がする。確か最終二桁順位とかではあった気がする。

<2020年度>
●4月
ランクマ引き続き頑張る。新しく新入社員の後輩(以降A君とする)が入ってくる。明るい体育会系。
●5月
ランクマ53位。構築記事のせる。そのときようやっとフォロワー増えた気がする。
ポケモンのイラスト描く。オプチャで描いて反響を得る。
Twitterの方ではほとんど反応なし。
●6月
剣盾、鎧の孤島配信。SM御三家解禁。ランクマに苦戦。仲間大会開くもgdgdで参加者来ない。恥ずかしすぎる記憶。
この月、上司から「お前たるんでないか?仕事が作業だけになっていないか?」と名指しで発破をかけられる。ちょっと考え直す。
秋頃に仕事を辞めようと決意も固める。それを大学時代の友達に話す等もした。
姉と親の還暦祝いの買い物に出かける。ポケモンしたくて塩対応。申し訳ない記憶。
しかし肝心のポケモンはというと、この月末の予選大会では全く歯が立たず試合全消化すらせずリタイア。苦すぎる記憶。
●7月
6月末を以てポケモンを一度やめた。
この月、「ITパスポートの勉強」&「好きなものに正直に生きる」&「恋愛」という三本柱を立てた。
・ITパスポート→普通に勉強する
・好きなモノに...→リヴァイアスに浸りまくる
・恋愛→街コンに行く
ということをした。正味リヴァイアスにハマりまくってしまった。けどいい思い出である。キャプをとりまくったり冊子を漁りまくったりした。「青い鳥のゆくえ」大好き。
●8月
職場で新たに事務社員が入ってくる。24歳女性(以降Iさんとする)。年の近い女性が入ってくるなんて...と思って、仲良くしようとする。プレゼントとかする。色々教えようとする。出しゃばる。
この月だけ、わりと話したかもしれない。が、IさんはA君と事務所の席が隣で、めちゃ話をする。お互い陽キャ寄りっぽかった。互いに、好きとかではないのだそうだ。
そんなのあるんだ、と思った。いつしか知ったが、Iさんには既に彼氏がいるのだと。
何の熱だよという話だが、色々知っていこう、すぐにIさんへの熱は冷めていった。自分からはほとんど会話をしなくなった。
●9月
某チャットルームにておえかきをし始める。
周りはほとんどが学生で、ときたま僕と同じくらいの年の人もいるというような場所だ。
でもとても楽しかった。そこで絵を描くことばかり考えていた。
●10月
お絵かきをしていたが、段々と頻度が下がる。ITパスポートのことを考えたりしていたからだ。だからなんか、↑のチャットルームには居づらくなった。それで、独りで何をしていたかというと、今度は一次創作について考え始めたりなんてしてしまった。
●11月
といいつつ、絵は描いていた。何かをしたり、しなかったり。ぶらついてるなっていうのが、振り返ってみるとよく分かる。
●12月
結局お絵かきをしていた。ITパスポートを受験する。普通に落ちる。
「やったけどダメだった」ということにする。
●1月
再び、ITパスポートを受験する。今度はギリ合格。勉強を多少したから受かった。
でも、合格のうれしさは、正直あまり無かった。
職場で、別部門の上司が言っていた、「俺も受けたよ、いやームズカシイね、俺は8割くらいだった」と。僕より忙しそうな上司が、僕よりも高得点。その時思った、上司は、仕事を終えたらきっちり勉強時間を作って、得点を得るための効率的な勉強をしていたのだろうと。ショックを受けた。それもそうだし、そもそも、ITパスポートの話をしたら、周りの友達なかは1発合格をしているなんてのもザラだった。
結局、この合格は、僕自身に泊がつくというより、「取得者の中でも落ちこぼれ気味」という自責に重なるのであった。
ましてや...とったことが役に立ったと思える時が、正直なかった。
僕は、上司に言われたことを達するためだけにやっていた、それだけだったのだ。
ちょっとむなしいね。
この月、メンズTBCなる、脱毛エステに通った。初回500円コースで体験をした。その後入会を迫られ、ローンとはいえ総額30万円するプランを契約した。が、クーリングオフした。
●2月
会社が倒産する告知が先月あった。だから2,3月で有給を消化するという通達がきた。
なので、2月は休日が割ととれた。
この月、デッサン教室にいった。行って、それっきりになってしまっている。
フィットボクシングを始めた。二週間くらいは続いたが、それっきりだ。
ポケモンのランクマ、再びやりはじめた。これも、今ランクマやれてない。
おえかきも...続けられていない。
この月から、脱毛器を買って、レーザー照射をし、脱毛を始めている。効果は未だにあまり感じられずだ。

●3月
最終月。ポケモンバトル。この月のランクマで、最高37位くらいまで到達した。が、最終日辺りに潜るとズタボロで、1000位くらいでフィニッシュ。無為に対戦数を重ねすぎた。300戦ほどしたのだろうか。学習も反省もなく、対戦数のごり押しである。こういうやり方が、一番学習効率がよくない。
仕事では、月半ばまで平日仕事、休日ポケモンで疲れる、を繰り返していた。
月の下旬になるといよいよ引継業務諸々で忙しくなってくる。結局の所、月の後半はほとんど休みなしとなった。その事もあり、有給買い取りという形になった(買い取ってもらった有給は8日間、一日5000円計算...笑)。
この月の休刊日前、最後の社員飲み会をした。その飲み会には、僕は全く意欲的でなかった。早く帰って、ポケモンをすることだけを考えていた。
出されたものには、「おいしい」とだけ言って、最低限人の話に相づちをうっていた。酒類は自分では頼まず、「飲んで」とまわされたのだけ飲んだ。
女性社員のIさんは、よく先輩のWさんに気を回していた。
Wさんは僕より2回り上で、優しい人だ。いつもくよくよした感じで、「もうやだ」「疲れた」が口癖だ。中肉中背、正直顔はお世辞にも整っているとは言えない。Wさんは周囲を案外気遣ってくれる人だったし、社内のやりとりのアレコレも取り持ってくれたしした。だから僕は、Wさんに甘える場面は結構あった。甘えるといえばいいのか、半ば利用といってもいいのか。
そんなWさんに、Iさんはよくしていた。
二人は、いつの間にか、仲良くなっていた。
僕は、その光景に無関心を装っていたが、心底ではこう思ってしまっただろう。
「僕より不格好なやつが、しかも自分から何もしようとしてないのに、なんで女性と仲良くなってるんだよ」と。簡単に言えば僻みだ。
でも、僕はIさんには関心がなかった。なのにこう思ってしまった。
単純に、Wさんと僕の「女性からの注目度」を比較して、Wさんの方が上回っていると思ったから、そのステータスについてWさんに嫉妬したのだと思う。
こうやって、自分の感情を紐解いていくと、僕という人間は、こじれにこじれているというのがわかってしまう。そのことが、とても厭だ。
そしてそれは、積み重なってきた二十数年間の結果であるから、容易に直せるモノじゃ無い。だから、フタをしている。自分の悪らつな感情に、「見て見ぬフリ」をしている。
だから、会社の周りの人には、途中から関心を寄せぬようになった。あまり、必要以上の会話をしないようになった。かといって、何も話さないと、それはそれで不自然なので、それとなく世間話くらいはしようと務めていた。
なんでこんな風にできちゃうんだろ。なんで、「心を開きたくないのに心を開いている風」を装えちゃうんだろ。自分に、吐き気がする。
多分、こう思ってる。本能的に、こう感じてしまっている。
「どうせ、あなたなんかに話したって何も通じない、通わせ合うものなんて何も無い、だから話したってムダだ」と。
それで、心を閉ざす。
「通じない人」という判断を、どこかでしてしまえば、シャットアウトする。
......今はそんなセンチメンタルを振り返ることができるが、
当時はもうそれ以降忙しかったので、作業、作業、の日々だった。
それはそれで、良かった。
余計なコミュニケーションをとらなくて済むからだ。
役割があって、それをこなせるというのは、よかった。
そんな時に、人の「私」の部分なんて、見たくない。感じたくない。

 最後の最後まで、仕事は引継業務を続け、ぷっつりと終わった。
途絶えるように終わった。大々的に挨拶を交わしたりとか、そういうのはない。
僕がお世話になっていた上司。お世話してくれた上司。その上司からの言葉があったりだとか、そういうのはない。
けど、それもそうだと思う。上司も上司で、次の仕事に忙殺されているだろうから。
そして、僕から上司へのコミュニケーションなんて、とったことがないから。
僕は、いつも受け身だった。それで気にかけるとかなんとか、そういうのは(あまりは)ないだろう。
別に、それでいい。
でも、今となって思うが、「熱血的な言葉の数々」ていうのは、やっぱり、なんだか、信じづらい。
大言壮語を話すことでなく、今どうしているかで、伝えること、そして聞き手は、その話を考える必要があると思う。ただ、何のクッションもなく「すごいことだ!!」と妄信的になるのでなく、言葉の意味と、意義を、考えるのだ。5W1Hで。想像力を働かせるのだ。
でも、想像だけじゃいけないから、自分で考えたことを、聞いたり、調べたりしてみる。
してみなきゃいけない。その過程で、また情報が増える。悩む。
苦しくなる。でも、多分そうしなきゃいけない。
自分の足で歩いて行けない人は、死ぬ。


ああなんでだろう...なんか泣きそうになってきた。


だけど、間違いなく言える。
上司は、僕にとって、好くしてくれた人で、想ってくれた人だ。
お世話になったのは、間違いない。

だけど、そりが合わなかった人だ。
これは、間違いなく思う。

「カイさん、僕はあなたの全部が好きという訳じゃありませんが、でも一緒に戦ってきた仲間じゃ無いですか!」
はっきりとものを言えるアムロ少年は、素敵だと思う。

現実って、そうだなと思う。

人に想いを寄せたとき、絶対、美化する。
理性的にはなれない。
どこかで踏ん切りをつけないとって思う。
それが、暴走をせずに好きになれる方法だと思う。

最終的に、自分の意識は自分のものでしかない。
それには、他者のものが入ってくる余地はないはずだ。

確固たる自分というものをもったうえで、人を想う。
そんなことを考えている。

あまり、有意義な経験とは言い難かったと思う。この3年間は。
鳥かごのようなものに捕らえられ、その中で何かをしようとし、もがいて、それでもがききる前に時間が切れて、最終的に鳥かごが不意になくなった。

そして今がある