はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

再会、父母よ…

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先日、実家に帰った。

元々、母から度々LINEが来ていたからだ。
「うちにおいでよ。遊びに来なよ」と。

僕はなあなあな返事でそれを先延ばしにし、一時の悠々自適な無職一人暮らしライフを満喫していた。している。

...そして、まさに先延ばしにする理由がそれだ。
”仕事もしないでなにやってんの”。
そう言われるかもしれねぇ。それが...怖ぇ!

そんな子供じみた理由だったのだけど、流石に顔は出しておかないとな...と思い、
実家に帰った。道中、おおいに今の状況に至る言い訳を考えながら。


両親からは、案外、歓迎された。っぽい。

実家では、家の庭を使って久々に家族でバーベキューをした。
父と母、長男の僕と祖母(父方)という4人の面子だ。

父がどんな態度で僕に接してくるのだろうという恐れはあったのだが、
存外優しい態度であった。
話をしていたり、対応を見ていたりすると、父の中での僕の印象は、「身の丈に合わないような激務をなんとか3年間やってこれた息子」として...そこそこ良かった。みたいだ(僕視点)。
怒鳴られるとかはなかったし、こんな境遇が原因で家族の不和というか居心地悪い空気になるとか...というのはなかった。

僕の家族には、二人の兄妹がいる。
僕と姉だ。

僕もふだんは一人暮らしだし、姉もそうだ。

そんなだから、多分、親としては、いつもいた家族がいないちょっと欠けたような感じとか、単純に同居人が少なくなることの静かさのようなものを、味わっていたのかも知れない。

僕というかつての同居人、もしかしたら客が来たような感覚なのかもしれない、そんな人が来て、少しは嬉しい気持ちになってくれたのかもしれない。

そうだ...僕は、実家にいても客人のような気持ちになる。

実家にいても、あまりいい気持ちはしない。
僕の部屋だった場所に置いてある、かつて僕が使っていた物々は、当時の自分の能力の範疇でしか使いこなせなかった物たちだ。
黒歴史のようなスケブ、少しセンスの悪い__というか今より無頓着気味な部屋レイアウト、学生時代、価値をうまく活用できなかった参考書たち、拙い出来のガンプラetc...
過去の自分の「拙さ」がそのまま置いてある、しかし大いに生きた痕跡は残る化石のような部屋だ。
そんな時が止まったままのような部屋で、僕は眠りにつく。つこうとした。

なんだか、落ち着けやしない。
否応なく「過去」を突きつけられるかのようなこの部屋で眠ると、
自分がまるで学生時代に戻ってしまうかのような感覚がした。
その感覚は、同時かつ連鎖的に、それまでの交友関係があった人々への思い出や、興味を掘り起こさせる。

あの人はどうしているか、あの人にはあの時ああやって言ったきりだ、あの人には出過ぎた事言っちまったな、あの人には素っ気なくしすぎたな、と。


分かっている。こんなの回顧だ。
しかし、回顧が止まらない。それで、眠れない。


ただ、その回顧の中で、印象が最も変わったのは、父と母に対してだ。

 

  父さん。
無骨というか職人肌、ぶっきらぼうかとみえてどこか妙に繊細で。仕事柄身体も引き締まっていて、大柄ではないのだけど、思えば少し威圧感をおぼえるというか。
実家に暮らしていた学生時代、僕は距離を置いていた。一見変人のようには見えないが、その実どこか変人的というか...アイデンティティの強い人だと思う。
働くようになってから、こう書くのもおこがましいのだけど、父の立派さを知った。
一人で自営業を立ち上げ、家族をもうけ、一軒家を建てる。そのことが、どれだけ大変なことかって。
仕事、恋人、結婚。子育て。子供を育て上げる。カネを維持する、増やす。文字にしてしまうと、どうしてこう、月並みで、単調になってしまうんだ。
大人のやることだ。やるとされていること...で、大変なことだ。
それを、楽しめるか?楽しいとか、楽しくないとかいう話じゃないのかもしれない。
ただ、父がそういうことをしてくれたおかげで、僕は今、この文章を書いている。
その事は紛れもなく幸福そのものだ。

 父の人となりが嫌だった。何を言っても率直な返事でなくて、漂ってくるタバコのにおいは嫌だったし、僕のことを評価する事なんてあまり無かったと思う。
父に認められたいと思っていた。お前スゲェなと、堅物の父から思わず言葉が出るようなことをしてみせたいと思っていた。理解されたいと、応援されたいと。
でも、そのいずれの感情も持たれていないと、僕は思っていた。
そんなモチベーションの中で仕事が始まった。始まると、自分の目先のこと以外は考えられなくなる。家族がどうのとか、考えられないんだ。
けど、そういうモンだよなと、なんとなく思う。
誰彼同士の関係性に、明確なマイルストーンなんて、きっとない。
動いていくのは、瞬間瞬間なのだと思う。現実のドラマチックなんて、信じやしない。
過度に劇的な心の動きというのは、いきすぎた期待や、ことばの不意なんかをきっと生んでしまうから。
だから、これでよかった。
父への煮えるような、コンプレックスかもしれない、そんな思いは、もうない。
今あるのは、感謝だけだ。落ち着いた心意気からくるささやかな感謝だと思う。

父さんが僕に気遣うとき、仕草や言葉がぎこちない。
僕も父さんに何かをするとき、同じくぎこちない。

言葉ではあまりやりとりをしないけど、互いがいることは分かっていると思う。
そういうとき、男は背中で語るものだ、という言葉を、なんとなく信じる。

ああ...結局僕もドラマチックを信じてしまっているか?
仕方がないじゃないか...そんなに大それた人生経験なんてしちゃいないんだぜ...

 

 母さん。
いつも優しかった。だから僕は、母によく頼み事をしたり、甘えてしまったりしていた。たまに出かけるときに連れて行ってほしいところに行ってもらったりとか。出かけついでに少しばかりの値段の物を買ってもらったりとか。そういうことは、大学生になっても多少機会があったかもしれない。優しいのだけど、案外放任的である。

独り立ちをしてから、家族として時折連絡をくれたのは母さんだった。
ことばでコミュニケーションをしてくれるのが、母さんだった。

母さんは、生きるのが上手な人だと思う。うまいことSNSで仲間を作り、交友関係をつくり、パート先では勤続年数からくる重鎮的ポジションで信用される。買い物の工夫をする。小まめに美容や医療のケアをしにいく。

実家にいたとき、僕は父の愚痴を母さんにこぼすことがあったし、その逆も然りだ。
亭主関白のような__しかし言葉でそう書くほどの光景ではないかのような...
今思えば、健全とは言い難い、少し陰湿な家族関係。
そんなだから、僕が仕事で一人暮らしをした後の夫婦関係はどうなのだろうと、少し怯えもしたが...今は案外平和ぎみに冷めた関係を続けている。
少し話が逸れるが、僕は、そんな父と母の冷め具合が嫌だった。親がこんなだから、自分は、人を愛せないのではないかと思うこともあった。けど、今思えば、考えすぎなんだよな。それは。
他人の振り見てなんとやらとあるが...ありゃ他人の振りを見過ぎていたよ。
見過ぎてビビってなんも出来ないじゃしょうがねぇ。頭に入れ込んどく程度の理解で良かったんだ。過度に嫌悪するのもおかしいしな。

で、先述した、放任的なところ。僕が自分の進路の話をしたとき、母はほとんどふたつ返事で「ナオ(本当は僕の名前)が決めたことなら...」と了承してくれた。
が、たいてい父が怒る。...今思えば、父が怒るのは当たり前だと思うし、そうやって却下されることなんかがあったおかげで、本当にこっぴどい誤りみたいのは避けられたのかもしれない。
...とはいえ、そんなだから、母の判断基準に、自分で相談しておいて「えっ?案外普通に聞いてくれた?」というような肩すかしを喰らうような時もあった。

まあ...書いていけば、色んなことを思う。父にも、母にも。

実家に帰って家族の団らんなんかをしてみれば、社会通念的な価値観の違いというか、そういうのを感じたことがある。
あれ、案外短絡的な考えじゃん、とかちょっと思ってしまうところがある。ヒキニートのくせしてな。
けど、だからこそ思った。僕は頭でっかちなんだなと...
社会で生きていくために色々実務をやってきた大人が言うことと、
机上でシコシコ考えたり書いたりしているだけの人間の言うことなんて...どっちがサマになるよ。


バーベキュー中、家族で火を囲んでいるとき、父がこう漏らしていた。
「まあ一人暮らしの方がいいな、ちゃんと生活していくんなら絶対その方がいい」
母もそれに追従し、
「そうそう、お互い親離れ子離れしなくちゃね」
とは言っていた。
それもそうだと思う。

実家にいる僕が、安心しながらもどこかムズムズする感覚を覚えるのは、きっと、ここにいてばかりじゃいけない、という気持ちなのだと。

 

今現在。
父も、母も、仕事に行った。
人には、それぞれの戦場がある。
僕の戦場...は...どうしようか...(BAD END、、てオイイイイイ!!(激寒))

俺たちの戦いはこれからだ!(主語がでかい)