はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

プレイバック・ハサウェイ・ハイライト(下巻)

ネタバレ有。(原作なんで30年も前の作品だが…)

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先日、閃光のハサウェイ、下巻を読み終えた。

無情感にとらわれた。

そういう作品であることは間違いがないのだが…

 

ともあれ、個人的に印象深いシーンを抜き出してました。ラストは印象深いけど、あえて抜き出していません。気持ち的にも振り返るのが辛い。というのもあるし、そこまでやっちゃったら捕まりそう…(ファスト映画の事例見てこんなことやってるのがどうなの、て感じだが)

 

 

●マフティーの演説

「......自分が、マフティー・ナビーユ・エリンであります。きょうまで、自分を中心とした組織が、地球においでになった連邦政府の閣僚たちを粛正してまいりました。そして、そのたびに、なぜ、こんな暗殺団まがいのことをしてきたかを、説明してきました。それについては、かなりの世論の支持を得ていることは、連邦政府の関係者もご存知のはずです。にもかかわらず、連邦政府は反省の色もみせずに、ここアデレートでは、さらに、地球汚染を再開するような法案の成立をもくろんでいます」__p13.L4~


「......本格的な閣議は、明日からはじまり、マフティー掃討のためには、どのような支援も行われるであろうという合意がなされます。しかし、それは、連邦政府の関心が、われわれにむけられているというていどの問題でしかありませんから、それについて糾弾はいたしません。テロは、あらゆるケースであろうとも、許されるものではないからです」__p14.L3~


「......我々はマフティーの名前のもとで、Ξガンダムとともに、連邦政府と戦うのは、組織におぼれた人々を粛正する目的があるからです。これが理想の戦いでないのは知っているのですが、宇宙移民法にあるとおり、すべての人々が宇宙に出なければ、地球は、ほんとうに浄化されることはありません。現在、人類は、宇宙で平等に暮していけるのです。オエンベリでは、地球に不法居住しようとする人びとが、軍を組織しようとした非はあります。しかし、それを力ずくで排除したのは、幾多の種を絶滅させた旧世紀人のやり方と同じではないでしょうか?問題は、新しい差別を発生させて、連邦政府にしたがう者のみが、正義であるという一方的なインテリジェンスなのです」__p14.L16~


「......今回のアデレート会議が、この連邦政府差別意識を合法化するための会議であることは、どれだけの方がご存知でしょうか?アデレート会議二日目の議題のなかに、地球保全地区についての連邦政府調査権の修正、という議案がありますが、これはとんでもない悪法なのです」__p19.L16~


「この第二十三条の追加項目にある文章は、官僚の作文なので意訳しますが、たとえば、連邦政府の閣僚から要請があれば、オーストラリア大陸に土地を所有している方々からも、任意にそれらの土地を提供しなければならないことになります。もちろん、正規の居住許可をもっていらっしゃる方からでも、土地を取りあげることができます。代償は、収容する土地と同じ面積の土地を所有者の指定するスペース・コロニーに請求することができるというものです」__p17.L6~


「......これらの法案が、アデレートで可決されれば、地球の自然が復活する芽も摘みとることになります。それでは、人類が苦難をのりこえてスペース・コロニーに移住した意味がなくなるのです。考えてみてください。特権階級の数万の人びとが、地球にもどりたいための法案が可決されれば、地球にもどる人びとが、数十倍になるのは簡単なことなのです。もう一度、思い出してください。旧世紀の最後の一世紀だけで急増した人類が、地球そのものにも、瀕死の重傷をおわせたのです。しかも、スペース・コロニー移民がはじまって一世紀もたっていない現在、地球の海は、まだまだ化学薬品が残留しているのです。雨にも、まだ化学物質が混入したままなのです。まして、植物と小さい生物たちの命は、じゅうぶんに復活していません......それは何をいみするか?そうです。地球には、まだ人類はもどってはならないということです。なのに、連邦政府は、人類が地球にもどれる準備をはじめて、その前に、自分たちの既得権を手にいれようとしているのです。それが、このアデレートで行われようとしている会議の真相なのです」__p19.L6~


「......で、中央閣僚会議が、これらの法案を廃棄しないかぎり、閣僚たちの粛正をここで実行することを宣言します。この放送をきけば、関係者はアデレートを一斉に逃げるかもしれませんが、これ以後、アデレート周辺から逃亡するものは、無差別に粛正の対象にします。しかし、我々は一般人をまきぞえにするつもりはありませんので、関係者以外は、これから二時間のあいだに、アデレートから退避してください。その後、アデレートから出ようとする乗り物と人は、すべて我々のターゲットになるものと思っていただきます」__p20.L3~

マフティーの総意として、ハサウェイが攻撃宣言の表明をする。これらの演説を文字で起こしてみると、1800字ちょいのボリューム。

読み上げるとおよそ5分ほどの長さだ。それほどの長さの声明というのは、生々しさを感じる。

というのもあるし、この声明文こそまさに「閃光のハサウェイ」の作品テーマそのものだろう。僕は、閃ハサを人類批判の作品だと思っている。富野監督が「人間の数はこれ以上増えない方がいい」とはっきり言い切っているので、そう確信した。

 

 

●ライバル心、友情

「......よくやってくれるぜ......」
 ケネスは、あのするりとした青年が、結構の覚悟をもって、対抗してくるのを実感して、ひそかに嬉しくなった。
 友人というのは、できがいいほど、自慢できる宝になる。
 ケネスは、ハサウェイに、そんな複雑な感情をいたきはじめていた。
 そして、現実の立場のちがいが、そういう友人と知恵比べをさせる。それは、ケネスのロマンチストの部分を刺激して、男を際立たせる時がきた、と実感させるのである。
 若返った気分、というのは、こういうことをいうのだろう。
__p33.L9~

ここはカッコいい。仕事に燃える。張り合いのある相手が出てきてやりがいを感じる。

体制がどうとか、状況がどうという話ではなく、個人の感覚として、絶対普遍に湧き上がるものがある。

ケネスはそういう感受性を忘れていない人だろうし、だからこそ、キルケー部隊を率いることができているのだろう。

ケネス大佐…というか准将、いい男で憧れる。

 

●ハサウェイとギギ、最後の時間

「......ぼくは、まえにニュータイプといわれた人びとに会ったことがある。彼等は、年齢に関係がなく、大人社会にくいこんでいったけど、いい結果を手にいれられなかった。それに、ぼくには、ニュータイプ的な才能はない......となれば、地球を中心にした体制にふくまれている毒をとりだして、根源的な問題を、人類のすべてに認識してもらうためには、こんなことしかできないな」
 慨嘆である。
「......でも、いまハサウェイがやっていることは、人の血を噴き出させるだけでおわるよ」
そういうギギの息が、ハサウェイの頰にかかった。
ハサウェイは、不愉快になった。
「......勘がいいくせに、狭いな」
「いけない?あたし、ハサウェイが好きだから......」
「ありがとう......でもね、愛しあうということを上手にやれる人ばかりではないのが、世間なんだ。だから、こんなことを、やらなくっちゃならなくなる......」
ギギの息が、ハサウェイの頰に、フゥーッ、とかかかった。
その溜息がどういうことか、分らないではない。
しかし、今は、ゆれるテントのおかげで、ギギの微妙な反応を感じないですむのは、ハサウェイには、ありがたかった。
__p41.L12~

スンゲーー男のダンディズム入ってると思うけど、好き!!!

悩ましい男、寄り添う女。

ここの一連のシーンが、「ちゃんと」会話するハサウェイとギギのラストです。

なんて哀愁なんだ…たまらない

 

●”パイロット”の専門家、レーン

「誰もが好きに生きられたら、世の中メチャメチャになっちまう」
 その一言は、連邦政府の巨大な組織が、組織の悪癖に隠れておこなわれる好き勝手さについて、投げかけられて良いものなのだが、軍人のレーンには、その発想はなかった。
 彼は、若い。
 まして、モビルスーツパイロットである。
 パイロットとして優れた資質をもてばもつほど、その感性のすべてが、パイロットをやっているだけで充足してしまうために、組織という概念を敵にすることはしないし、他の部分に想念を敷衍することもない。
 だから、彼にとっての敵は、人そのものになってしまって、時には、ケネスやギギが、彼の敵になるのである。
__p77.L12~

富野監督のプロフェッショナル批判。

けどこれ、ほんとそうだと思う。仕事が辛くて愚痴る、愚痴の要因の対象が上司や先輩というのは、視野が狭いのでは、といっているようにも聞こえた。耳に痛い話だが。

担当直入な意訳だと、ここは「視野をもっと広く持て」という話なのだと思う。

ただ、レーンの扱いは、ケネスも地の文も短所を上げるところはあるが、悪く言い切っていない。作中でも、レーンは失敗をふまえて反省し、着実に成長をしている。ハサウェイとも渡り合えるほどに。レーン個人の勝利とはとうていいえないが、パイロットとしての仕事は全うしている。

「ちゃんと仕事をしている限りはいいもんだ」と思ってくれているのだと思う。ガンダム作品でもわりかし珍しく、鼻につくような所は多少あろうともちゃんと仕事をこなして行けるようになる若者という扱いのレーン君。パトレイバー…というか、他作品なら間違いなくレーン君が主人公ポジションなんだよね…

 

●ギギの純情

 デコボコの激しいアスファルト道を、ともかく、はしるようにした。
 ハサウェイのことを確かめなければ、これから以後、ひとりで暮らすにしても、どう暮すかも決められないと思った。
 このために、ギギは、ホンコンで送れるはずの快適な生活も棄てたのである。
 ギギは、はしった。
 胸が、苦しかった。暑かった。
__p119.L6~

すごく切ない。ギギの情熱が詰まっているシーン。

個人的にだけど、ギギは展開が進むにつれて少女的な部分が露わになっていく。

このシーンなんか、ハサウェイを見届けたい一心で駆け出すという、純心そのものを感じて切なくなる。

言葉にすると安直すぎるんだけど、ギギアンダルシアという、少女と女性、ハサウェイとケネス、大人と子供…色んなはざまで「揺れ動く」立場ながらも、立ち振る舞いそのものはそれらしくしてみせるという造形が圧倒的すぎて、僕の言葉では表現しつくせない。

 

 

●軍による飼い殺し

「こういう噂があります。艦長は、ニュータイプの統括なさる部隊にいらっしゃったから、なんというか、連邦軍の人質みたいなものだったんですよ」
「人質?自分がですか?」
「まあ、表現は悪いんですがね、アムロ・レイやらカミーユ・ビダンですか?そういうニュータイプといわれる突出したパイロットを部下にして、あつかえた方です。つまりね、連邦軍の内部に、ニュータイプの再来とか反逆があった場合、楯にするという意味で、拘束していたんですよ。そういう考えがあったとききますな」
「......楯ね......」
 ブライトは、副艦の方をみて、
「そんな器量が、おれにあるのかな?」
 と、苦笑した。
__p161.L5~

 

●たたずむΞを見上げるブライト

「フム......ガンダムらしいが、このなんというかな、マシーンとしては、複雑になっていく一方なのが、気にいらんな」
 ブライトは、このコクピットに、自分の息子のハサウェイがすわっていたことなどは、想像がつくことではなかった。
「でも、艦長。不穏分子がつかうモビルスーツに、ガンダムという名称をつかうなんて、許せないでしょう?」
 メカニック・マンが、整備台でいった。
ブライトは、シートの下から抜け出し、ガンダムの煤まみれの顔を見上げて、
「そうでもないさ。歴代のガンダムは、連邦軍にいても、いつも反骨の精神をもった者がのっていたな。そして、ガンダムの最後は、いつもこうだ。首がなくなったり、機体が焼かれたり、バラバラになったり......。しかし、反骨精神は、ガンダムがなくなったあとでも、健在だったものだ」
「そういうものですか?」
カニック・マンは、整備台を降りはじめたブライトのあとから、ガンダムを振りあおぐようにしてつづいた。
__p173.L11~

まあなんというか、ファン心をくすぐられるシーン。時代の反骨精神の象徴、ガンダム

初作品が世に出てから今に至るまで四十数年、ガンダムとはそのような立場として描かれてきた。

 

 

 

 

最後に…シーンというか、終盤のハサの台詞だけ引用。

「マフティーとしていいたいことはいった。いつかは、人類の健やかな精神が、この地球をまもると信じている。それまでは、人の犯した過ちは、今後ともマフティーが、粛正しつづける」__p194.L7


「これまで、ぼくに関係してくれて、ぼくに豊かな人生を提供してくれた人びとすべてに、心から感謝する」__p194.L15

テロ讃美に近しいかもしれないけど、思う。

ハサウェイは個人として、己の信念に準じた。

その行動はエゴであったかもしれない。

しかし、一個人の人間として、人間総体のことを思えばこそ、自らの手で、人を罰し、罰されることを望みつつもそうしたのだと思う。

ハサウェイの人間らしいところは、自らも地球に住み、そのうえで、地球に住む一人の人間として、アースノイドの目線から人の未来を見据えたことだ。これは、同じく連邦の粛正を行おうとしたシャアとの決定的な違いだ。

閣僚を、遠く離れた宇宙から隕石を叩き落として殺すシャア。

同じ地球の大地から、モビルスーツの銃で直接撃ち抜いて殺すハサウェイ。

 

テロ行為は、モビルスーツを使わずとも行える、いや、本人が戦わずとも行える。しかし、あえてそうしたとも思える。

なぜなら自分の手で人を罰する、いや、殺しをしたかったのだと思う。

作品は違えども、ハサウェイは「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ」を文字通り体現した人間だ。

そして、モビルスーツで戦う戦士だからこそ、同じ戦士たるレーンを、友人たるケネスを感じとることができた。

ハサウェイは、パイロットとしての共感をレーンに、作戦士官としての共感をケネスに見出したのだと思う。

 

このことは、間違いなく良い経験であったと思う。

 

 

でもさあああやっぱだめだよ……

親より子が先に逝くなんてだめだろ……

フィクションのくせして生々しく殺しすぎなんだよ……

「死ぬくらいは僕にだってできるはずだ」あたりのくだりとかいる?(いる)苦しすぎるわ

 

宇宙世紀ディストピアすぎてつらい

救いがないことを詳細に記述しすぎるのがいけない

 

ハサウェイ大好き…