はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

『竜とそばかすの姫』感想

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みてきた。

感動できた。けども、色々思うことはある。

 

 

<肯定的な感想>

・ビジュアル面


 ビジュアルレベル凄すぎる。ベルのデザインすごいすき。CGなんだけど二次元的で、かといってお目々も大きいしクリックリなんだけど萌えというよりディズニーのそれによるデザインを感じさせるというか。そういうアバターと由緒正しい日本アニメ的青山浩行的キャラデザのギャップ。これほんとすごいいいギャップだと思う。現実と架空の世界の断絶、「バ美肉」感めっちゃするのね。
 Uの世界の見た目もすごいスキだなぁ...すごくスペクタクル。デザイナーのエリック・ウォンさんは建築家らしい(パンフレット情報)。
 あとヒロちゃんのアバターの動き。これにめっちゃ驚いた。めちゃめちゃコミカルな動きするのにCGキャラ的な情報量を感じさせない。なんていえばいいんだろう...金田伊功的な動きをCGディフォルメキャラでやっちゃうみたいな。かなり衝撃的だった。その一方でベルの仕草はディズニーヒロインチック。こういう表現幅が『U』の世界を感じさせるなぁ...

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 そしてウワァかわいい~~~~~と思ったのが竜の城に住む、竜の配下(?)みたいなSDキャラ達。名前わからん...
手塚的ケモナー心というかマフェットちゃんっぽいのいるというか...めちゃくちゃそそられてメタルチャームを購入(↑の写真)。
 物語的な立ち位置はメーテルリンクさんの「青い鳥」のチルチル達を導く精霊って感じがした。


・テーマソングの数々

www.youtube.com


 すげーカッコイイ。作品内のUの世界のビジュアルの絢爛さに圧倒されない迫力がある。中村佳穂さんの歌唱力に説得力を感じる。アイドルアニメとかもだけど、「その歌をつくるまでのエピソード」をさし挟んでくることもあって聴いていてとても高まる。
作中の「U」、「歌よ」、は現状Apple musicで視聴できた。(アーティストは[
「U」が「millennium parade&Belle」、「歌よ」は「Belle」。

 

・エモシーンはきっちりつくっている


 この映画で個人的にとても感動的なシーンが3つある。
 夜空で竜とベルが抱き合うシーン。なかなかに感動的。美女と野獣感。
 次に、竜にベルが歌を届けるためにアバターを解除してすず本人の身体でUに顕現して必死に歌うシーン。それに同調し、当初は非難囂々でもあった聴衆たちもやがて息を呑んで見守り涙とともにすずと一緒に歌う。みんな感動して光の球みたいのぽっと湧き出すんだけど(ぶっちゃけどういう意味合いの描写だか忘れちゃいました......)、その光景が暗い夜を照らす人の意志の光、という美しい光景で「人の心の光」と思わずにはいられなかった。
 最後に、すずのお父さんが「ありがとう」と行間でLINEを飛ばすシーン。親にとっての子は、やっぱり知らずしてどこかで知見や、行動力を得て、想像の範疇をいつの間にか脱するものなんだなぁ...と思い、ジーンときた。親子愛的な描写に弱い。めっちゃ弱い。


<批判的な感想>

 


 ガンダムオタク的に言うと、
なんか最初から操縦経験値ほぼMAX状態の1stアムロ(16歳)がいきなりVer.Kaのνガンダム(WFF状態)に搭乗してサイコフレームの共振で軽傷でアクシズ押し返して無事帰還できた話

て感じ。

※個人の感想です

 

・おおまかに思うこと


 いろいろモゴモゴ考えているけど...
まとめて考えてみると、たぶん「紆余曲折」感が足りないのかなぁーーって思う。
 個人的に、すずの自意識こじらせ成分が足りないっていうのがかなり大きい。
なんかすずもだけど、やっぱ全体的にみんな優等生すぎる...というのが印象。
幼い頃に母を亡くして以来閉じこもったすず。そんな折に現れたVRサービス「U」。そこで思いも寄らぬ自己実現を果たすことによって、仮想世界全体をも、ひいては現実へも影響を及ぼす歌姫となる...という過程。

 ...いいのか?

なんか、なんか解像度が足りないんだ。
すずの増長が足りない。
数え切れないくらいのフォロワーを得て、現実空間とのギャップへのリアクションは、取り立てて以前とそう変わるわけでもない。腰を低くして「バレたらやばい...バレたらやばい...」してるだけ。なんか、自分がものすごく突如として有名になることに、ギャップへの驚きとともに「自分の最強感」って出てくるもんじゃないか?そうなると、例えば現実でナニか気に障らないこと言われたときに「あいつうるせーなぁただのガキのくせに。歌姫に向かって何言ってるんだよ」だとか、「Uじゃ私はフォロワーめちゃくちゃいるんだぞ、イキってんじゃねーよ」くらい...はっきり、そう思うor言う、...まではなくてもいいけど、それを匂わせる、みたいな、腰が低いようにみえて実は...というアンビバレント的な造形はちょっとほしかった。(表情を曇らせるとかやつあたりっぽいことをするとかそれをした形跡があるカットを描いて匂わせるとか)

なんかね、怖いんだよ。
この作品のネット空間の全肯定感、ちょっと怖いんだわ。
そしてその肯定のニュアンスがそのまま世界からの賞賛とつながってスーパーヒーロー(ヒロイン)になるっていう、ちょっと安直めいた図式が恐怖に拍車をかける。

そのことへの批判描写は作中ではある。SNS上でのすず(ベル)の姿勢へのdisの描写はある。
が、正直批判的な目線ってそれくらいなのね。「匿名でナニか言われる」程度でしかない。
これがどういうメッセージかというと、「ヤジは飛んでくるかもしれないけどそんなん気にするな!!ガンガン行け!!」という、むしろ肯定を加速させる描写にもとれてしまう感じがする。

 

ヴィランについて 


 オトナがヴィラン(わるいヤツ)としてお話を動かす。全体的にオトナの描写がリソース配分の影響かオトナの役でこう喋るヤツ、こういうことするヤツ、という表面的な造形に成り下がってます。 
 自警団のボスみたいな人(竜を追い詰めていた奴)。『はき違えた自治厨』を描写するのがテーマだったんだろう。これ例えばSNSやヤフーコメのコメ欄で記事ツイとか一コメするとか、自治厨的な人たちの戯画化をすればよかったんじゃ。で、本人の主張の隣に口数少なめな側近を置いてボスが大口叩く度に目そらして表情曇らせるとか。すずがレスバで論破したときとかにその側近は「ちゃんと言ってくれてありがとう」ってやるとか。とにもかくにも、この人は『正義をはき違えたまま力を身につけそれを振るい押しつける人』という表現だった...と思っている。のに、なんかただ正義の味方っぽい見た目でわるい顔して悪役のやりそうな構図の描き方して振る舞うに留まる。スカっとジャパンかよ。
 恵くんの父さんも絵に描いた悪い奴すぎ。DV振るうシングルファザー。オレに逆らうな!誰のお陰で生活できてると思ってるんだ!勝手なことするな! 
このお父さんはUに対して、というか多分インターネット文化に無頓着。で、たしか東京に一軒家を構えている。ルックスは平均以上で身なりも清潔感がある。という一見平均的な外見なのだけど...という感じ。
..............ファンタジーじゃね....?僕は東京全然詳しくないから分からないしイメージで書くが、東京住みで中年で一軒家構えるくらいの収入あって(ちゃんと生活できているかは分からないけど)、それでインターネット無関係で生きるって.......できる...?ネット無関係というか、無頓着でいる状態というのがファンタジーみ強い。
 無頓着というのでなく、その時の精神状態がとにかく外の者に対して否定の感情をぶつけまくる状態だった、というのもあるか。うーんそれにしてはなんか抑揚つけてちゃんとした怒りって感じの怒声の感情をぶつけて子供たちを怒ってたしなぁ.....。
 というか、ほぼ「現実に代替可能なファンタジー」として描いてているのに明確なヴィランがいるっていうのが肌に合わない。

 

・閉じている感じのセカイ系


 劇場オリジナルアニメのセカイ系ということで、HELLO WORLDを思い出した。あちらは「僕と私」に見せかけた「私と僕」を描いて、典型的セカイ系的物語に一つ変化球を加える+お話はストレートだけどちょっぴりビターテイストを交えた恋する少年の成長劇という形で着地点を「ラブ」に明確化させてスッキリ終わった印象。このスッキリが心地よいので、セカイ系特有の外界のディテールのなさを気にさせないパンチの強さを感じた記憶がある。伝えたいことが明確になっているので、外界の造形が必要最低限でも気にならないという塩梅。
 で、一方同作『竜とそばかすの姫』。こちらもセカイ系といってもいいと思う。で、そのセカイというか...外界の造形。動画上現れる、ミュージシャンや野球選手など、ナニかをやっている大人たち。各国からのメッセージの双方向のインスタントなやり取り。コンタクトを取りたいと思えば、一瞬で遠く離れた地と日本とでビデオ通話ができる。
......普通...
しかも最終的に竜の中の人の恵くんも東京住みでなかったら、すずちゃん電車で行けてなかったくないか...?
やっぱセカイ系の限界こういうとこだよ。結局閉じざるを得ない。
インスタントに広がれて/世界国家 ということを感じさせる、インターネットとセカイ系の特性の極地のような所を描けずドメスティックな部分に、物語都合でも限界を描いちゃったと思わざるを得ない。
 何度も書いてるけど、リアリティライン高めて「セカイの変革」を描こうとして逆にどん詰まり描いちゃったことに繋がっちまっている気がする。
 これさーーーーどうすればいいんだろうね。恵くんブラジル人とかにして(そうなると名前も違うだろうが)会話するのにすり合わなくて必死になるも歌とか歌ってニュアンスで言葉をこえてコミュニケーションすることを通じて実際には合わなくてもなんかUの内部でまた抱き合うシチュエーションとかに発展して「だいすき」って言葉だけ通じたかも...みたいにするとか。...これじゃネトフリっぽいか。

 

・どうすれば2021年のセカイ系になれるのか?


 現実空間のお話。プライベート時間、多くの時間をSNSはじめ、youtubeだとか、若者...というより、国民全体の間でそういったインターネットサービスのコンテンツ消費に時間を多く割く。というより、多く割くのがもはや無意識レベルの話であり、しかも、多くの人が非SNS時間においても、そういった場面での自分の「みられ方」につながる行動、時間の費やし方をする(例:動画制作、「インスタ映え」を意識する飲食店巡り、ゲーム実況、イラストetc...)。
 ネット断ち、SNS断ちのような言説は、こういった行動がスタンダードとされているからこそ出る言葉だとも思う。
 インターネット世界は、たぶんもう無意識の段階もハックしてしまった。で、インターネットコンテンツの大枠を作っているのは、当然企業であり、その企業はいかに自分たちのコンテンツに迎合するか、コンテンツへと時間を費させるか、を目的として立ち回る。総じて言うに、現在のインターネットと現実という関係は、「営利企業が個人をハックした世界」と捉えることができなくもないと思う。少なくとも、10年前と現在を比較すると、「ネット」と「カネの周り方、カネのお話」の距離は確実に近くなっているし、その匂いを意識せざると得ないと思う。
 ...というお話のうえで「2021年のインターネット系セカイ系」、でかなりリアリティライン高めのフィクションを考えるとする。「若者」、「世界を変える」、「インターネット」の間に「カネ」、「企業」が否が応でも入って来ざるを得ないのでは?と思うのが僕の持論だ。じゃあ、そういうお話で改変するとしたら。
 企業に属する人間を配して、そこにいる人物が、もしかしたら一人の人間の人生を左右してしまったかもしれない、そしてそれが、たんじゅんに善か悪かでは受け取れない自体なのだという、批判か問いかけかもわからない描写がほしくなる。
...という世界目線において、ひとりの少女の自意識を描くとしたら。
そうなると、自分という存在の正しさをもしかしたらハッキリ自覚できなくなるかもしれない。誹謗中傷を間に受けてしまうかもしれない。自分の存在とカネ、という数値化されてしまう関連性にアイデンティティが揺らいでしまうかも知れない。
それでも、自分をしっかり保つ。もつためには、きっと愛が不可欠だ。純粋に、歌をつくるって歌って、届けることへの喜び。誰かを救えるかも知れないという希望(正直他人を救うというお話はあまり乗り気じゃないけど...)。歌そのものに乗せる思春期の感情の揺れ動きでもいい。現実空間の、生身の身体を以てつながった人からの紛れもない賞賛と確かなつながり。17歳というひとりの人間が背負うには、とうてい重すぎるかもしれないが、得たものの大きさ故の重さと喜び。
...なんか妄想になっちゃいました。まあともかく、通説的にも「ネットとGAFA」みたいなお話が今に始まったでもなく4,5年前から言われていた気がすることなので、リアリティライン高めのお話で、インターネットのお話にそういった運営企業の目線がなさすぎることにはなんか写実性高めてるのに抽象的なものを感じた。作中で「"U"には警察機構をおかないなどと創設者は言っているが...」とかそんぐらい。

 

・設計図的なお話づくり


 テンポ重視にしてる感が否めない。というか下手の邪推なんだけど、たぶんミュージカル映画という作りに注力していることの弊害なのか、「歌をうたうシーン」と「歌づくりまでの小エピソード」の尺をしっかり割いているおかげで、物語全体は、ここでこの人物はこういうことをして、こういう結果になる...という「脚本どおり」なお話になっている印象を受けた。なにが言いたいかというと、スペクタクル感の中に忙しさを感じたというか。歌うたいのシーンに対して、ウワアアアアってなりたい...この瞬間がずっと続けばいいのに...ってときに、余韻をも許さず、ああ次、世界はこういう状況だ、こうしなきゃ!という慌ただしさを覚えないでもなかった。

 

・まとめ 


 ビジュアルと音楽が最高。要所のシーンの感動的な描写は圧巻。
全体のお話や世界観については...ナオキです

 というか、僕が批判的になっている理由。
 すげーーーリア充っぽい世界観だから。以上!!!!!!!!!
あと、黒富野的リアリズムの信者だから迎合できない。つまり、個人的な好き嫌いなのです。ゼッタイこれある。これはサマーウォーズみたときもちょっと思ったけど、みんないい子ちゃんすぎだろ。
というか僕の中で細田守監督がめちゃくちゃ徳の高い人物なのでは疑惑あるわ。人生何周してんだよ。でも、この世には明確なわるいヤツがいるっていう世界観は受け入れられません。それじゃあこの世から謂われのない痛みを受ける人は消えない。個人的にはおおかみこどもの雨と雪くらいのバランスが大好きです...