被疑者となった
今日、警察から電話がきた。
交通事故の相手は首の痛みにより通院、診断書を提出したことにより、物損事故から人身事故となった。
そのため、僕自身は被疑者という形で供述書を書くこととなった。(といっても話に僕が答えて向こうが書類を作るというものだが)
警察からの出頭を終えると、その後に、罰金や違反点数に関してなどの電話がきた。
罰金は、素直に状況を認めたこともあり、過去の判例を鑑みるに、おそらくないとのことだった。
しかし、違反点数が大きい…。
免許停止を喰らうかもしれない。
それにしても、思った。
いずれ早いうちに、免許を返納したく思う。
僕は注意欠如の性質が人一倍強い自覚がある。
これは、車を運転する人間の資質としては致命的なものだ。
運転し始めるようになってから約1年で、はやくも2回事故をおこしてしまっている。
また、轢きかけたことも何度か。
正直、一年目でこうも自分の不注意から危険な目に遭ったばかりだと、自らの能力の低さを嘆きたくなる。
先天的な感覚は、明らかに平均を下回っているだろう。
また、運転技能に対しての向上心、ビークルに対しての関心も薄いというのも自分の欠点だ。
この欠点を自覚できているため、もちろん後天的に改善を行うことはできよう。
しかし現状、そのためにリソースを割く気になれないのだ。
このことが、取り返しのつかない事故につながることは必須と思える。
これが、いずれ免許を返納したく思う理由だ。
そういや、今日はバレンタインの日なのだった。
とりたててその話題が上がるでもなく、今日という1日は終わった。
バレンタインにしろ何にしろ、「◯◯の日」にかこつけてマーケットが動く、イベントごとに対してアンテナが強いコミュニティというのは、「横に広い集団」の中で起こり得ることなのではないか、と思った。
横というのは、集団を形成する人員の年齢の近さ、人数の多さだ。男女比も五分五分に近い方がより良いか。
つまり、それが当てはまるのは、義務教育期間の一クラスが顕著だ。
職場も、そのような性質が強いのなら、こういった「◯◯の日」に対するアンテナが強いのではないか…と仮定したが、事実は知らない。
僕の職場は、この条件には当てはまらない。
しかし、このことは良いこととも思える。
「誰それがああ動いているから、自分も」というような強迫観念めいたものとは無縁でいるのだ。
例えば今日なら、「バレンタインなら、チョコをもらえない男は、モテないやつだ」という想いとも、今は無縁でいられる。
世俗的な話題の流れを無視して、刹那的な日々に対する自分のあり方でなく、
今ある自分がどうなれば、もっと先のことに対して戦っていけるのか、だけを考えることができる。
その一点だけを考えれば良いというのは、楽だ。
振り回されることなく、自分のことだけを考える。そのような時間を持てることは、安らげる。また、健全な向上心であるとも思える。