かゆみについて
(しょうもない話)
頭皮のかゆみを患っている。
皮膚科に行って薬をもらっていた。7月頃である。
8月に入って、途中で薬が切れた。
で、いざ行こうとしたら休みだったり、タイミングが合わずで面倒になって、まーいいやと市販のムヒみたいのを買った。
しかしこれがよくなく、塗ったところで独特のメンソール成分?ヒリヒリするのが肌に刺激がとてもあり、これまたかゆみを誘発するし、シャワーを浴びる時のお湯の暑さもかゆみを誘発したりで、ほんとうに地獄だった。
とはいえ、シャワーを浴びた直後に薬を塗ればなんとかそこまで痒みはなく治められるので、シャワー+ムヒのコンボでどうにかかゆみを凌いでいた。が、騙し騙しに過ぎなかった。
しかしそんな日も一週間と続かず、本当にかゆすぎて頭は掻き毟るわ、痛みもあるわで何もせずとも泣きそうになる思いだったので、いよいよ意を決して頑張ってタイミングを作って皮膚科に行った。そしてまた頭皮の塗り薬と痒み止めの錠剤をもらう。
ここからが嘘のように快調だった。
夜のお風呂上がり後+塗り薬&痒み止めのコンボ、翌朝にもちゃんと塗り薬と痒み止めを飲む…ということを続けて、早くも2日目頃から、かゆみを感じなくなっていった。
塗るのをサボってしまったとき、ちょっと痒いな…みたいのはあったが、そのとき慌てて塗ることで対処できた。
薬はコンスタントに使ったので当然消耗も早かったが、その分症状は嘘のように引いていった。
今日、また皮膚科に行き、薬をもらってきた。
現在も頭皮の荒れは無いわけではないと思うのだが、先生曰く「前回よりとてもよくなってる」との事だった。
うれC。
薬とは、本人の治そうという前向きな意思との相乗効果なのだと思う。
薬ときくと、人工的であるとか、足りないものを補うとか、虚弱者にとっての依存するものであるとか、そういうネガティブな捉え方を、もしかしたらしがちなのかもしれない、というか、僕はそういう捉え方をしていた。
しかし、「治りたい、善くなりたい」という、望む自分がいて、それを成すための補助装置として薬がある、という捉え方をすればどうだろう。
薬に僕が使われるのでなく、僕が薬を使うのだ。
心と体がそう望んでいるからこそ、僕は、体が善い方向へと向かっているのだと思っているし、信じたい。
と、大げさなことを書いた。
諸々、理由はあれど、しかし、良くなった原因は何かと言われれば、薬への捉え方が変わったからとしか言いようがない。
後、望むものを達するために、もったいぶってはいけないということも、やはり分かった…騙し騙しじゃいけないんだなと…。
しかし、かゆみがほぼ治ったということ一つだけで、本当に身体が軽やかになった気がする。
軽やかにいきていきたい…