レールに乗らざるを得なくなったはずレールガン

1ヶ月くらいの期間でスピード内定を狙う。

日記

朝は6時半に起き、9時ごろに今の住まいから実家へと自転車で向かう。

10時半ごろに到着。

その後、午前中は実家で撮り貯めたアニメをみる。ひそまそフルメタ

 

お昼を食べてからは車の運転の練習がてら、助手席(兼監督)に母を乗せて、前田森林公園まで行った。

 

初めて誰かを乗せた。誰かの役に立っている感じがして、楽しかった。

 

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帰り道はもう夕方に。実家の近場のスーパーで買い物。

 

母の買い物に付き合ったのと、100均で自分用のお菓子を買い込み、そして、本屋で久々にニュータイプ6月号を購入した(ダリフラ特集が読みたかった)。

 

今日は、母との会話の端々に「母の日」なんて言葉が出たけど…。

もちろんプレゼントは買ったのだ。初任給も入ったことだし。

しかし、ロフトで発送手配を済ませ、サプライズでお届けものとしたかったので、僕がナニかをしたことは言えずじまい。少しムズムズした。だから、そういう話題ははぐらかすしかなかった。

 

帰ってからは、お風呂掃除をしたり、晩御飯の野菜を切るのを手伝ったり、晩御飯はしゃぶしゃぶで、家族で食卓を囲んだりした。

家族とのコミュニケーションを、何故かとりわけとりたくなった一日で、とって楽しかった一日だった。

 

あ、今日ダリフラリアタイで観ます(ワクテカ)。

 

 

 

 

 

アニメの話、映画の話

(とても雑多な話題での前振り・近況報告)

前回の愚痴のような記事から、もう一月が経過した。

そして、僕は新社会人になっている。

と同時に、一人暮らしをも始めた。だいたい毎週末に、実家から荷物を持ち帰る関係で実家に帰っているが、だいたいそんな頻度である。

本当は、自分の環境の変化について記すところ、話したいことはとても多いのだけど、

それを全部書くのも大変だし、全部書くと記事が汚くなるし、そもそも中身のある話題かというと...てなワケで、控えめに!前振りの文章だものな、これは。

 

かつて(?)趣味であったお絵かきだが、日々のやることに少しばかり疲れてそれを続ける余裕がなくなったのと、会社の環境に慣れることにちょっとばかし時間がかかったので、ここ一か月はほぼ描いていない。

おかげさまで今はそのブランクゆえに、何かを描くことにビビっている。

 

がしかし!なんと今日、初任給が手に入った!!

(おおむね大学新卒者の平均的な金額なので、推して知るべしな値段です...多分。)

両親や、お世話になった方々への贈り物を買って、あとは自分へのプレゼントとして、コピックチャオのセットをここで一式そろえようと思う。

 

なにせ、コピックの色を全部持っていなかったというのはモチベーションが上がらなかったことの要因の一つ(言い訳じみているが)。それをお金の余裕ができて、作業道具が揃ったというのならやる気も沸くというものだ。

そして再び、お絵かきを再開しようと思う。

 

 

社会人になってからの一か月ちょっとの日々も、やはり濃密なものだったと思える。

ので、近々会社生活に関する出来事を記した記事も書こうと思います。

 

 

 

 

<アニメの話題>

 

春のアニメで観てるやつ。

ひそねとまそたん

 

ダリフラ(継続)

 

フルメタ

 

銀河英雄伝説

 

メガロボクス

 

ガンダムビルドダイバーズ

 

なんかどれもやたら面白いんだよなぁ。

順位付けられないけど、強いて言えば、個人的にはひそねとまそたんダリフラが毎週楽しみ。

 

特にダリフラはOPが変わって、演出の変化がめちゃめちゃイイね。

今までの赤を基調としたOPから打って変わって、ひたすら画面が青い。晴れ晴れとしたイメージで、閉塞感を漂わせた前期OPから、拓けた景色を見せるかのような青、空の青、地より底の海の深い場所を示す青、色々想起させるものがある。

そんな明るみを感じさせる青でありながら、OPではゼロツーやヒロが消えていく演出なんかもなされている。これは明らかに不安を煽る演出にみえる。

そういう「明るさ」と「不安」...明暗の描写を交わわせる演出が見事。二色の陰と陽のコントラストがはっきりしているというか。

 

ダリフラは、フランクスのフェイス部に青と赤の走査線を映してメカ起動を表現する描写があったり、タイトルロゴにも青赤の走査線が入っていたり、交わる「青」と「赤」この二つの色がキーになっているのかな、と感じる。その二色が、ダリフラという作品の何を象徴しているのか、色々と想像させられる。

 

この作品は、とにかく色使いが丁寧で、キレイだ。

情緒的な演出をする際、それを観る者のイメージをつかむときに大事なのが「色」だと思うので、その色の使い方をとても大事にしているこの作品は、イエスだね!

 

...閑話休題

 

そして、ニコニコでGW中に一挙放送をやっていたとらドラ!

これも全話観ました。面白くて、3日間くらいで全部観たかな。

 

長井龍雪監督、キャラデザ田中将賀、脚本岡田麿里という個人的どストライク作品でありながら今まで観ていなかったので、いい機会だった。

 

最高だったなぁ。

生の感情のぶつけ合いが激しい、記号的かと思いきやそうなる境遇や、一言ではなかなか言い表せそうで言い表せないそれぞれのキャラクター、色々面白かった。

OPED等、主題歌もとてもイイ。青春モノということで、とても胸にクルものがあります。春の季節って、妙にセンチメンタルになるから、こういうの刺さるんだよね...。

 

ハルヒもその後ちょいちょいつまみ見。この作品は、まるでパズルのピースを埋め合わせるかのように、シナリオや場面の配置なんかが非常によくできているなぁと感心させられた。ほんとにすごいとおもう(小並感)

 

<映画の話題>

(劇場で観た)

・パシフィックリム アップライジング

リズと青い鳥

 

(レンタル等で)

・パシフィックリム

ダンサー・イン・ザ・ダーク

・サカサマのパテマ

イヴの時間

・カッパのクゥと夏休み

 

 

リズと青い鳥は凄く良かった。(以下、ネタバレ含む感想です)

 

作品の中で童話を挿入する構造、僕は凄い好き。(ダリフラも「まものと王子様」があったり、オルフェンズだと微妙な線だけど、ヴィダールガエリオ)に討たれるフェンリル(マクギリス)...という見方で北欧神話になぞらえられたり。こんな個人の嗜好で例えずとも、色々な作品でこのような構図はあるだろう)

作品中に別のお話になぞらえて...という作りをすることで、

その作品の登場人物の相関図を再整理できたり、その後の物語がどうなるのか、を想起させたり(逆にミスリードさせられたり)、作品を面白くさせる要素が多いと思っています。

リズと青い鳥では、みぞれがリズで、のぞみが青い鳥...という関係と思いきや、実はその関係性は逆。

のぞみに依存していると思えたみぞれは、かえってのぞみという鳥かごにとらわれて羽ばたけなかった(才能を無自覚に自ら抑制していた)。そんなみぞれこそが「青い鳥」であると気付かされ、その気づきが演奏にフィードバックされ、曲の表現が最終的に腑に落ちることとなった。

 のぞみはそんなみぞれに対し「自分は(みぞれを)支えるから」と、半ば諦念を含んだような物言いをする。二人の関係性は少し前に進んで、終わり。

 作品中、登場人物自体はそれなりにいるけど、完全にこの二人の関係性だけに終始する構造で、心情描写や作中劇もこの二人のために描いているのであって、とても二人の気持ちがどのようであるかを感じ取ることができた。

 色使いやパースを利かせたカメラワーク、横顔でもキャラの描き分けがしっかりしている...という所も感じた。京アニ作品、本当に「巧い」

 

 

パシリムは3,4週間くらい前に観に行ったのかな。正直あまり内容覚えていない。

僕の感想は、ユニコーンガンダム、オブシディアンフューリーのバイオ兵器感、カッコイイ戦闘とメカ描写...という表面的な「良さ」「カッコイイ」を感じ取ったくらいだった。

人物描写やストーリー構造には、気づかされることや感情移入できるような所は個人的にはあまりなかった。

 

巨大メカ好きのための映画なのかもしれない。つまり...オタク向け映画?

 

 ダンサーインザダークはGyaoで観たのだけど、これが素晴らしく良かった。

二度目も観たいかと言われれば、思わず口を紡いでしまうのだけど...。

しかし、ダウナーな方向での「熱量」がすさまじい作品だと思えた。

どんなシチュエーションでも、歌やダンスでその場を表現しようとするセルマのあふれ出る感性、それを挿入歌で表現するという...こういうのはミュージカル映画というらしい。

そのような表現手法が個人的にはとても良かった。セルマという人物の掘り下げにつながっていたと思えた。

で、その曲があまりにも良いなと思ったものだからTSUTAYAでこの映画の劇中ソング集を思わず借りた。

(どれも好きなんだけど、個人的に工場で踊り出す「Cvalda」という曲が好き。)

 

等々、まぁ色々観てるかも。

今後は週末、空いた時間に近況報告...できればいいな!

 

 

 

 

 

 

 

家にいるとイライラする。

早く一人暮らしの状況整えたい。

 

というか、1ヶ月以上近く引っ越し間かいなことやってるの流石にストレスだ。

『リメンバー・ミー』みた

昨日の水曜日、観に行きました。メンズデイだったので。

 

以下ネタバレあり感想。

 

ピクサー作品ということでビジュアル面は本当に素晴らしい。キャラクターのディフォルメが本当に上手。かといってディテールをオミットしまくる、とかそういうことでなく、例えばおばあちゃんであれば、フォルムはディフォルメさせるが、シワなんかはガッツリ描きこんだモデリングにするなど、『記号』の表現が凄いなぁと本当に感心する。こういうディフォルメじゃ、向こうのお国に勝てそうにないね...。

 

本編のストーリーは、家族愛がテーマなのかなぁと思った。

演出なんかはとても効果的で、抑える部分も抑えて...と王道な感じで、ちょっとグッとくるところもあった。

が、あえて僕の本音を書こうとおもう。

 

泣けねぇ。

一辺倒な家族愛の描写。偏った価値観の訴求。勧善懲悪。

 

 

●勧善懲悪

物語には、主人公のひいひいおじいちゃんということで大スター(エルネスト・デラクルス)が登場するのだが、実のところ、彼は主人公の家族ではないと判明する。

どころか、大スターになったというのも、デラクルスは自分が甘い汁を吸うために、本当の主人公のひいひいおじいちゃんであるヘクターを毒殺していたということが判明する。

この物語における黒幕はデラクルスであった。そしてこのデラクルスの作中の扱いのあまりの雑さというか、容赦のなさに、僕はある種、「気味の悪さ」「ゾッとする感情」を抱いた。

 

全ての悪をデラクルスが背負ったのだから、あとはこのキャラクターをどのような目に合わせても問題はないだろう、という扱いだ。

挙句の果てには、彼は二度目の「死」を迎える(おそらく。EDやその後などで彼が姿を現すシーンはなかったので、死亡したと推測される)。

 

当たり前だが、デラクルスは人間というキャラクターの見た目をしている。

そうである以上、僕はこのキャラクターにも興味が沸くし、感情移入のひとつもしたくなる。

そのようなキャラクターが、ただの悪逆非道を行う人物として描写され、挙句の果てに因果応報としての死を迎える。あまりにも虚しい。

「根っからの黒」を描くなら、もはや対話や感情移入の余地を残さない人物として、ビジュアル・キャラクターともども描写されれば、まだこのような「虚しさ」は抱かなかっただろう。

しかし、物語での「主人公の先祖だった」というミスリードを誘うためには、このようななりをしていないといけないという制約もあるのだから、これは難しいところだろう...。

 

ともかく、この作品の「勧善懲悪」的価値観は、日本でいうかつてのチャージマン研や、マジンガーZ的な、感情移入の余地を残さない容赦のない「恐ろしい」ものだと受け取った。

まじストーリー、ビジュアルがしっかり作られている作品だけに、その歪さは際立ったものとして捉えられる。

 

●家族愛

僕の家庭の話をします。

父は頑固だが嗜好は独特、芯の通った考えはあるが融通は利かない、仕事の忙しさ、苦労にこたえ余裕がある人物ではない。

母は優しいが本音を父に言えずで、判断を決断力のある父に委ねるところがあり、それでも家事やパートはこなす。働きアリ気質な所がある。

父も母も、お互いに対して、僕に対しても本当に心に寄り添うことはせずだ。

そのようなことを僕が分かっていながらも、そうすることから逃げている。今も。

姉はある時期から心の病気を患っていると発覚し、社会生活からは距離を置いて彼氏と同棲し、穏やかな生活を送っている。

 厳しい見方をすれば、僕の家庭は、一歩踏み出すことをせず、かといって取返しのつかない失敗とはいかず、しかし成功とも言えないが、やっていくことはできている家庭だ。

自分の家族のことを思うと、いつも後ろめたい感情がこみ上げてくる。だから、そのことに関してはあまり考えないようにしている。

 

この作品の家族の在り方はどうだろう。和気あいあいとして、皆仲の良い、息の通じ合った家庭。

家族を愛することの大切さを訴えているように思えた。だから、見ていて辛かった。

家族に本当の本音をぶつけ、向き合うことが怖いからだ。

さらに、僕の本音の根底に、愛なんてない気がするから。だから言えないでもいる。

そんな自分と、作中のあたたかな家庭。

自分のみじめさが嫌になった。

 

 

 

 

作風や価値観に、国柄、国民性というものがあるのかもしれない。

その違いを少し感じ取った気がした作品だった。

 

 

 

 

 

 

 

アイマスDS 絵里シナリオクリア

 アイドルマスターDSをプレイ中。

今月の上旬あたりに買って、やってます...。

 

絵里シナリオ、すごくよかった。

ド・ネタバレ感想。

 

ネットアイドルとして活動し、どこか悶々とした日々を送る絵里が、

彼女の才能を見込んで引き抜いた尾崎玲子という女性プロデューサーに導かれ、トップアイドルへの道を進む...という王道なストーリー。

 

そこまでの紆余曲折がすばらしい。

 

尾崎さんが失敗したアイドル時代の自分の過去を絵里に重ね、今度はプロデューサーという立場から、かなえられなかった未来を絵里に託すという構図は、アイドル自身が主人公となるアイマスDSならではのシチュエーションだと思う。

 

プロデューサーである尾崎さんの人物像の掘り下げがここまでできたのも、やはり主人公がアイドル(絵里)であり、プロデューサーはあくまでサポートキャラであるからこそだろう。

 

終盤、絵里、尾崎さんが、すれ違いやつかみ取った成功を経てつもりに積もったお互いの感情を吐き出すシーンはボロボロ泣いた。思い出しても泣ける。

 

このシナリオでは、絵里は精神的に本当にとても強く成長する。

自分の仲間を想う気持ちが強く、自己主張が強くできるでもないが、しかし終盤までにはハッキリと自分の伝えたいことを伝えられるまでになる(選択肢次第でもあるが)。

その極地が尾崎さんに自分のすべてをぶつけるシーンだろう。

 

「プリコグ」完成までの過程もすごい良い。尾崎さんの事務所の社長が、彼女のための歌として嘘偽りない想いをつづるも、世に出ることがなかった歌詞、それを尾崎さんが持っていて、絵里へと紡ぐ。人から人へと想いが紡がれ、それがようやっと一人のトップアイドルの歌として脚光を浴びる。

失敗はあったが、次につながる何かが結び、大きな成功へとつながる。小さな結び目かもしれないが...とても大事な絆。

 

あと伊織が最終話に出てくるけど、いおりんすごいいい立ち位置だよなぁと感動。

絵里にアドバイスは送るも、おんぶにだっこというワケでもなく、がんじがらめになっている絵里にすべきことを伝え、発破をかけ、あくまで「ライバル」としての立場から対等に立つための手助けをする。伊織はこういう子だよなぁ。

脇役としての立ち位置で、かといってキャラが立ってないでもなく、端役として消えるでもないとてもオイシイ感じに登場できていた気がした。

そして、ひとことでいえば「ツンデレ」タイプの伊織になるだろうが、同作に似たような属性の夢子とは、似ていても違うキャラクター性が描かれていて、キャラの立ち位置の描き分けが上手だなぁと感心した。(夢子は駆け出しで、進むためなら手段は選ばない...という意気込みの持ち主。二人の性格をわけるならば、「成長している/成長の途中」という立場が大きな要因となるだろう)

 

シナリオの良い点として、「現実の人間関係」「ネット上の人間関係」どちらも否定することなく、肯定的にそれらを捉えて描いている点。

水谷絵里という子は、アイドルデビューしてからは現実の関係(尾崎さんや876プロの仲間たち)を大事にしているが、ネット上の関係(自分のファンやサイネリア)をないがしろにしているワケではない。どちらも同じウエイトを置き、大切に思う気持ちがあればこそ、最終的に尾崎さんのもとにたどり着けたのだと思うし、ネット上での「炎上」も鎮火できたのだと思う(この鎮火については詳細はよく描かれていなかった。しかし、絵里のネームバリュー、人となりがたくさんの人に評価されたとなればそれも道理と思える)。

ネットと現実のはざまに生きるような、どこかはかなげな雰囲気を醸し出す水谷絵里というキャラクター、とても魅力的で、その「はかなげな」感じをうまく出せている花澤香菜さんを声優に使ったというのは本当にGJと言わざるを得ない!!

 

というわけで、絵里シナリオ、最高最高アンド最高でした。

アイマスという贔屓なしにみても、マジで、本当にいいストーリーだった。

 

おっとりめなんだけど頭の回転は速い、いざという時は動けて、とっても仲間想いで...

水谷絵里ちゃん、本当にいい子です。

 

 

レッスンやりまくって毎回オデ受けてたので、分岐見ずに全部成功√でシナリオ見ちゃった。ので、全部の分岐は見れてない。暇があれば見るためにやろうかなぁ。

 

アイマスDSはゲーム要素がちょっと薄いが、その分シナリオのテキストが多く、ストーリー方面はがっつり濃ゆい(いろんな意味で)のでとても楽しめています。

 

デグーがいってしまった

我が家で飼っているいきもの。

カメ二匹、デグー二匹、コオイムシ一匹。

...と、コオイムシの生き餌となるメダカたち。

 

 

そのうちの、デグーの一匹が、昨日の夜にいってしまった。

方やキキ、方やララ、と名付けていた。両方ともメスだ。

だめになっちゃったのは、キキの方。

 

飼い始めたのは2013年の6月ごろ。双子の姉妹として生まれてきたようだ。

 

キキはララよりも周囲の物音なんかに敏感で、身体能力が高かった。

キキはせっかち、ララはおっとりな感じ。

 

家の中では、ケージの中から出してよくリビングで遊ばせていた。

周囲を僕が歩くと、よくそれについてきていた。

かといって、振り返って捕まえようとすると、すぐに逃げる。

デグーという、捕食されるものとしての性ゆえか、自分が捕まることには凄く敏感だ。

 

そんな風にして、家ではよくこの子たちと遊んでいた。

...あまりなついてはいなかった気がする。慣れてはいただろうけど。

 

で、具体的にどのタイミングだったかは定かではないのだけど。

おそらく、昨年の4月ごろ。

キキの歩き方がおかしくなっていた。

おそらく、骨折をしたのだと思う。いったいいつなのかは分からない。

 

左の後ろ足の動きが明らかにおかしく、常に体制をよろけさせて、まるで歩くたびに転ぶかのような進み方をするのだ。

直進することはかなわず、だんだんと左にそれていくように弧を描くような進み方しか出来なくなっていた。

 

見るに痛々しい。

母が、周囲の動物病院のいたるところに電話をかけたが、どこも診てくれないか、たらい回しにされて終わるような口ぶりで終わる様だ。

解決策として示されていたのは、患部の断脚。つまり、3本肢になるということだ。

 

それは可哀想だと思った、だから、この家庭では、このままキキの様子を見守ることにした。

もしかしたら、治るかもしれないと期待を込めつつ。

 

それからというもの、治るどころか、日に日にキキが衰弱していくのが良くわかった。

 

あげたごはんは、食べているのか食べていないのか分からない始末。

いや、だんだんとやせ細っていたから、食欲がなくなっていったのだと思う。

加えて、自力じゃうまく動けなかった。

だから、ごはん皿からエサを散らばらせてこぼし、あまり食べられないなんて光景もよくあった。

 

デグーといえば、ジャンプ力に優れている。だから、自分の身長の3倍程度の高さのものなんかは、軽々と飛び乗ることができる。

キキは、骨折したと思われる当初は、(おそらく無理をして)それができていた。

でもいつしか、這いずるような歩き方しかできなくなったから、そんなことはできなくなっていた。

 

 

 

 おとといの夜、寝る間際、僕はキキを自分のお腹の上にのせて寝た。

これが今わの際だと思うと、気が気で仕方がないからだ。昨日の夜もそうした。

 

本来なら、人に触れられてじっとしているなんてことは、うちのデグーにとっちゃあり得ない。

だからすぐに逃げるのだけど、それすらかなわないほど衰弱していた。

 

そして、昨日の夜。僕は本を読みながらキキと一緒にいた。

23時30分頃。「キュイ、キュイ」と小さく鳴くキキの声が聞こえた。

キキは体をうねらせたり、もがくように前足や後ろ足をゆっくりと、しかし懸命に動かしたりしていた。

僕はそんなキキの様子をじっと見守っていた。

前足、後ろ足、しっぽの先、と動かしていき、しっぽをピンと張らせた後、

何かが抜けたようにしっぽが垂れ下がった。

 

このときにキキは力尽きた。

そうだという確信がなかったから、おでこを撫でたり、前足...手先を軽く握ったりしたのだけど、全くリアクションがなかったし、どこか「硬さ」を感じた。

そこでキキはもうだめになったのだと知った。

 

 

 

 

僕は、ふと「命は等価値ではない」と思うことがある。

 

デグーという生きものは、げっ歯類にありがちな「産めよ増やせよ」の原理に則った、生態をもっている。

多数が死んだとしても、生殖に必要な個体数さえいれば、その種を存続させられる。

あらかじめ多数の死を前提としているため、生産の時点でその数は多い。

 

そのようなシステムに組み込まれた、一個体に過ぎないデグーは、骨折をしても自己修復機能など与えられはしなかった。身体の強度にも限界があるのだろうか。それを治す環境も用意されなかった。

あとは骨折を機に弱り、死へと近づいていくだけだ。

 

今回の出来事を通じて、命の価値の差を改めて感じた。

このような価値観を抱く僕という人間にも、ひどく傲慢さを感じ、自らを憎悪したい気にもなる。

 

生きものを飼う人間は責任を負う必要があるし、ある種僕がキキを殺したような思いはある。

自分がもっと気を配っていればキキは長生きできたかもしれない。

 

ペットを飼うということは、別れがつらいから、今後飼うにあたっては一考すべきだと思った...。

 

 

 

 

 

 

どうして、僕らは働くのか?

今までの面接で、こう聞かれたことは二度ある。

 

最初の面接では、要約すると「生きるため」と答えた。

 

そのとき、担当官からは「それでも全然いい。俺は、マザーテレサの『人は、誰かに必要とされるために働いている』という言葉を聞いて以来、それが働く意味だと考えている。そして、それから40年ほど経った今、この言葉は正しいと確信を抱きつつある」と言われた。

 

なるほど、と思った。

今僕の目の前にいる人は、そのような哲学を抱いて生きているのだと思った。

そして、自分と相手には、どこか根本的に違う価値観の「何か」があることを、直感的に感じ取った。

 

僕の価値観。自分がいて、自分が生きることは、働くことは、全て他人ありきなのか?

それは違うと思う。僕の人生には、確かに他人がいる。

しかし、人生全てを他人のために捧げようと思えるほどの奉仕精神を、僕は正直持ち合わせちゃいない。

そうしようとしても、そこまで向き合うことに逃げて、しかしそのことに後悔して、今までを生きてきた。

 

違う、こういうことは、働くとはどんなこと?とは無関係な理屈のはずだ。

 

 

  そして、いつぞやの面接。またも聞かれた。

「あなたは、何のために働きますか?」

 

このとき、数秒、いや数分だったか。深く考え込んだ。

以前の時以来、このことに関して考えはまとまらなかった。

 

面接で聞かれて、受け答えをするという名目のためなら、「誰かに必要とされるために〜」の話を使おうと思った。でも、それは全く僕の考えることじゃない。

だから、

「…申し訳ありません、正直、何のために働くかは、自分の中では答えが出ていません。月並みですが、『生きるために働く』程度のことしか思い浮かびません。」

このように答えたと思う。

 

すると向こうの人は、

「そうですか、全然それでも良いと思いますよ。こんなことは、これから働く上で見つけていけば良いんです」

と返してくれた。

どこか救われた気がした。

しかし、働くこととはどういうことか、それを考えることから逃げることを由とするためにそう思った訳じゃない。

 

自分の、分からないという感情が認められたような気がしたからだ。

そして、このとき、この問答はサラッと流れた。

そういうどこか淡白な、しかし押し付けでない向こうの方の質を、なんとなく僕は好ましく思った。

 

このとき面接したところから内定を頂いたのだ。

やはり、ここに行く、と返事を出したいなぁ、と思う…。

 

さて、再び本題。

 

なぜ働くのか、ということに関しては…

「自分が生きた証を残すため」

なんとなくこう思う。

僕は、せめて働く以上、そこでこんな業績を叩き出したとか、こんなヤツがいた、だとか、そこでの「語り草」になりたいと願う。それがどんな職場であろうとも。

もちろん、イイ意味での語り草だ。

 

結局のところ、僕の根底にあるのは自己顕示欲なのだと思う。

ポケモンをやり直して、結果を残してやるぞ、と思うこと、絵を描くのもそうだ、評価されて、コイツは良い絵を描くと思われたい、そういう思いだ。うだつは上がっていないが…