はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

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んあーーーってなった
やべーであります

色を見た時にトーンと色相番号と
明度まで把握できてねぇ

あと二週間ってとこなんだけどいけるんか、、??
ガチれば余裕(最悪)

あーーーー落ちたくないなぁ

でも色一つ一つのことを知った時にその色の歴史についてふれるっていうのはなんか...ステキね...

コバルト色なんて すごくいい色に思うけど
化学実験によって出来上がった人口の色なのだと
不思議なもんだなぁ....

デジタルイラストだって、その系譜かもしれないなぁとか思う
画面の描画技術の向上によって多種多様な色を出力することができるようになった
当たり前にやっていることだけど、ときおりすごいことだよなぁって思ってデジ絵をかいている

ということを思った一方で、紙の上に線を引く感覚っていうのは、というかこれこそ源流なのだろうが、やっぱり気持ちいい

どんどんさかのぼっていったら洞窟壁画とかになるか,,,

というので思い出したのだけど
ブルーピリオドのお話。森まゆ先輩が言っていた。
「絵は祈りだと思っている」というお話。
源流をたどっていくと、きっとそうなっていく

ラスコー、アルタミラ,,,そういう壁画が、「祈り」によって描かれたもので、人と生きもののつながりを考えたのだろうか

生きものに対して なんの「祈り」をささげたのだろうか

...

考えていくと無限に広がってしまうね。
そういや、
僕は、「絵」と「イラスト」の違いについてちょっと思い当たったことがある
それは、『正解の有無』なんでないかということだ。(個人の感想です)
絵には正解がない。ピカソのような抽象画もあれば、日本画だって線が少なく計算された画面構成だったり、スーパー写実主義で絵を描く画家だっている。「絵」、「絵」にどんな世界を見出すか。それは観た人の感受性に委ねるところが大きいとも思っている。感じ方にも正解がない。
で、イラストレーション。これはかなり具体的に用いられる。もっと限定的なことをいえば、アニメのワンシーンでもいい。変身した美少女がキメポーズをとる。イケメンがふふっと笑う。ドキンと赤くなる女の子。必殺技をぶっ放すヒーローの迫力あるひとコマ。それらは、用法が定まっている。どう感じてもらうかも、明確だ。カワイイ!キュンとする!カッコイイ!燃える!とか。
その意図を伝えるために、描き方の「型」が、わりとある。あるし、技法的に、最終的に、ぱっと見では似通ってしまうかもしれないところがどうしてもある。そう伝えるための「型」≒「正解」があるのではないか、と思った。
でも、正解を描けばいいってもんじゃない。そこに忠実になるすぎると、イラストレーションいえどもたんなる真似の一芸で、いわゆる「パクリ」になってしまうとか、見慣れたものだからすぐに忘れられる...とか、色々あると思う。それでも思う。
結局のところ、どちらも「確固たる正解」そのものはないと思う。思いたい。でも、正解への距離感の近しさが、絵画<イラストレーションなんだと思っている。
で、どちらもアートで、ものづくりだ。絵画とイラストレーションを区別したけれど、区別なんてほんとうはしなくてもいいと思う。
心を豊かにしてくれるものづくりがあれば、それだけで幸せだと思うから。(強引なしめくくり)