勉強2
2日目…p63まで
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今日はわりと可処分時間の許す限りできた気がするが、まだ無駄がある。
合間合間にニコニコ動画を覗いてしまう痴れ者である。
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仕事面でも割と降りかかるタスクが多く、細々としたことだが、準備に期限にも追われていたりもする。降りかかった仕事はきっちりこなしたい。しかし、勉強もこなしたい。
頭を使わねばいけないし、おそらく一日のどこかで思い切り、健全に腑抜けるようなタイミングを作る必要がある。
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年下の友達から、少しの間家に滞在したいという声がかかった。なんでも、僕に頼みごとがあるとかで。
このことは、嬉しかった。しかし、タイミングがタイミングで…今の僕は、本当にキャパシティを超えそうだ。
こういうとき、禁句めいたことを思ってしまう。つまり…「学生だったらなぁ。時間があったらなぁ」
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今更ながら、アニメ「SHIROBAKO」をAmazonプライムで視聴し始めた。おっっもしろい。
なんでこういうのリアルタイムで観なかったかなぁ〜〜。
当時20くらいだった。あの時は、モラトリアムどっぷりというような体たらくで、実社会での自身のあり方のことなどまるで考えていなかった。僕自身のキャリア含めて。まるで、大学には通えども、どこか浮遊感があり、液晶の中で過ごしているかのようだった。
自分からそうなりに行っていたのよね。現実と向き合おうとしている人とはとことん距離を置いてた。
というわけで、実社会の想起性が高いこのアニメも、本当は興味津々ながら、もれなく目を背けていました。
しかし、PAワークスのアニメ、ビジュアルのディフォルメ具合が絶妙だなぁ。
ドラマよりではあるけどアニメ的演出は欠かさない。というか、実写ドラマで描くようなことをアニメーションの文脈で解釈して出力する感じ。で、そのおかげでいい具合にポップさが出ている。かなり独特の温度がある。
とにかく…
「今、ここで」戦うことを思い出したのだから、その想いを補強してくれるものを求める。
いや、創作物の根幹の主張は、大抵、何だってそうなのかもしれない。それに僕が気づかないだけなのだろう。
その程度の想像力しかないから、それが分かりやすい作品を求めるのだ。
「今の職場で頑張る物語」…こんな題材は、まさに分かりやすく示される「今、ここで」戦う物語そのものだろう。
……
鉄血のオルフェンズ、三日月の最期を思い出す。
孤立無援となり、それでも仲間の逃げ道を確実とするために自らが捨て石となり時間を稼ぎ、ギャラルホルンの大部隊の前に、奮闘むなしくついに力尽き倒れるミカ。
遠のく意識の中、自分とオルガが立ち上がった日のことを思い出す。
それは、「本当の居場所」を探すための一歩だった。
そして、それからの戦いを俯瞰したとき、その過程で、実はもう、「本当の居場所」がそこにあったと______仲間との日々と、そこに自分がいたという事実こそが、「本当の居場所」そのものだったと気づく。
彼は、「今、ここで」戦うことに満足して、その命を散らした。
俺たちはもう、たどり着いてた。
俺たちの、本当の居場所…
………
そう、思い出しはしたが。
今のこの場を、僕の居場所と思うことは…少し抵抗がある。
ぶっちゃけると、組織のスパイとして入ったやつが、組織の仲間の暖かさに触れ感化、本来の仕事を果たすために裏切ろうにも葛藤が…みたいな心情になっている。そこまで大それた役じゃないが!
しかし、ある程度感情にフタをしてもいいとも思える。それで、やらなきゃと思うことをする。
そういう割り切り方はしてもいいと、やはり今は思う。
人はいつか、時間さえ支配できるようになるかもしれないが、僕らはまだ、限りあるその時間に対して、四苦八苦して、戦っていかなければやっていけない段階にある。…と、思う。
勉強日誌
1日目 p39まで
………………
今日から、ITパスポートの勉強を始めた。その進捗を書き記すことにする。
試験日は、7月23日。
正直、タカをくくっているのが現状だ。
しかしナメきらないようにしたい。というワケで、進捗を記すのだ。
僕は、怠け者である。さらに、頭がいい人間(抽象的だが)という訳でもない。
だから、毎日テキストをするか分からない。
更に、これに受かるかも、分からない。
しかし記録だけはしておきたい。そして、それを誰かの目に留まるように残しておきたい。
それは、そうすることに価値を感じるからだ。
生々しく、自分のタスクの取り組み方を具に記すことで、自己の客観化につながるだけでなく、誰かが、何かに取り組む際の一事例となることを望むからだ。
参考になるか、反面教師と捉えるか、その価値観の形成の一つの糧となれば幸いと思えるからだ。
そんなで、これから記していく。
ちなみに、今日は休日であった。
それでも残った作業の追い込みや、仕事関係含む買い出しに行くということはあった。
それが自分に言い訳をするきっかけとなり、結果として、思うようにテキストは読み進まなかった。
ゼータをほとんど観終えた
Amazonプライムで、中盤あたりから騙し騙し視聴して、先程最終話も観終えた。二週目か三舟目くらいか。
改めてみると………
ものすごくキッッッッッツイ作品であると感じた。
個人的には、視聴後の精神的ダメージが生半可でないということだ。
それは、フィクションの中でも、その作品世界での現実ごととして、「人間というものの可能性の限界」「可能性を示そうとも分かり合えない」ということを徹底的に描くからだ。
カミーユは、時代の動乱の最中において、人間として優れた能力を持っていながらも、傲慢さを見せ、その傲慢さの元に覇権を握らんとする者たちへの「修正」を誓い、その信条に準じて行動をする。
ハマーンやシロッコへ対峙する動機は、エゥーゴの兵士であること以上に、カミーユ個人の価値観から、という部分が大きいだろう。
しかし、そのために動いていても、自体は戦争をしている。だから、身近な者の死が付きまとう。
その死の要因は、「戦闘をしている」といことはもちろんだが、戦闘に参加する個々人の想いの軋轢が、互いを擦れ違わせ、それが殺しあう動機となり、結果として死につながる。
おそらくカミーユは、「戦闘における死」から連なる事象と因果の様々を、体感として全て、まるで自分のことのように感じ取る想像性をも身につけてしまった。
人間に、喜怒哀楽のアンテナの強度のパラメータがあるとすれば、カミーユはその全方向のステータスが、限界を振り切っている…というようなものだ。
人の優しさ、人の悲しさ…生きものは、黙っていると「悲観」の方向へ感情が向いてしまう。
カミーユのイマジネーションは、それら全てに、多大な力を以って向けられてしまったがために、最終的に「悲観」の方向へと傾いてしまった。シロッコの今際の際の悪意が、彼をその方向にさし向ける決定的なトリガーとなった。
…そういや、シロッコも、ニュータイプと称される存在でありながら、自身の最期は、そのときに後悔するとか、認識を改めるということは一切しないんだよな。「カミーユを忌々しく思い、悪あがきとして何かしら報いようとする」ことしか考えない。(「貴様の魂もいっしょに連れて行く」のシーン)
逆説的に、このような精神性こそ、まさに傲慢であると思うし、「理解をする」「共感をする」方向には全くシフトしていないことが突きつけられている。
これもまた、「ニュータイプは相互理解ができる」ことへの確固たる反証材料となってしまっている…。
「出来ることといったら、人殺しだけみたいだな」
ロザミィを撃った後、カミーユは、自身の行いをそう嘆いた。
冗談か本心かも定かではないその言葉が、そのままカミーユ本人の行く先を示してしまった。
「機動戦士Zガンダム」という作品ひとつでは、カミーユは、人殺し以上にはなれなかった。
この作品、個人的に全ガンダムどころかほとんどの創作物の中でもトップクラスにキツイ。
50話もかけて主人公が善き力を身につけようと、自身なりに正しい方向を向いてそれを示そうとするのに、最終的に破滅を迎えるという様をじっくりと如実に描写する。エグすぎるだろ。
それが示唆的だとか、観念的な描写なら、まだ現実感がなくて救われるが、完全な現実描写として「主人公の心の崩壊」が描かれる(カミーユの様子を見たファの描写は、主人公の状態を客観的にどのようなものかを説明している)。
カミーユの状態もそうだし、物語世界の大局部分においてもそうだ。
エゥーゴ、ティターンズ、ジオン残党という三つ巴の戦いは、ジオン以外は壊滅状態に陥り、シャアも撃墜される。趨勢は絶望的であることを示し、フィナーレ。
カタルシスはない。
リアルタイムでこれ視聴していたらと思うと、正直ゾッとする。色々立ち直れないかもしれない。
ゼータは、1stガンダムでアムロたちが見せた宇宙時代の人々のあり方…というコンセプトを完全に殺しにかかってる作品に思える。それも、徹底的に前作否定に近い固い決意を感じる。怖いよ。
でも面白いんだよね〜〜…ゼータ。
架空三国志もののような、シャアとハマーン、シロッコという3大勢力の情勢の移り変わりと勢力図の塗り替わりはピリピリしていて、ドラマとしても政治バトルとしてもなかなか珍しい面白さがある。
更にモビルスーツカンブリア紀とでもいうべきか、奇抜なデザイン群と機構を持つモビルスーツ達。
ビジュアル面の完成度の高さがやっぱり惹きつけられちゃうんだよな。
総合的に考えると、本当にカオスな作品だと思う。
現実と向き合わなければならない
上司から、最近細かなミスが続いていることを指摘され、発破をかけられたというか…追求というか、問い詰められた。
その様相は、チーム活動が大事なスポーツ系の部活で失態続きとなってしまった部員にキャプテンが問い詰めるとか、普段ちゃんと勉強しているのに成績が芳しくなくなってしまい、親から問い詰められる子とか、そんなようなものである。
原因をとにかく遡られる。
そのことが、正直苦しかった。
僕の最近の、形の掴みようもない、悩みなのか、ただの空想なのか分からないものが、いよいよ現実というか、実生活の活動をも侵食し始めているかもしれないということを、こう詰められて分かったのだが、その感覚は、言語化が難しい。
このように、何も覆い隠すこともなく、一切の忖度をもしないこの場で書き記すに当たっても、言語化に困っているのだ。
なので、「家族の不和に、悩んでいます。それが原因なのかも…」というようなことを、答えるしかなかった。
そして、そのことに関して、とてもアドバイスをされた。
僕には、アンビバレントな感情が産まれた。
自分の心の中に、入ってこないで!という、避けたく思う気持ち。
そして、そこまで親身になってくれるのか、という、暖かみ、情を感じる気持ち。
心が感じる気持ちと、頭で理解する気持ちがせめぎ合い、その感情の奔流に狼狽した様子で、僕は応じるしかなかった。
しかし、そのこと自体はいいのだ。
どうあろうと、僕は目が覚めた。
仕事に向き合おうとしなかった。…というより、意図的にシャットアウトしようと必死になっていたのだが、中途半端だった。
だから、こうなってしまった。
これは、悪い事態である。
だからこのように、叱責を受ける事となってしまった。
僕にとっての、目の前の確かな現実は、「仕事がある」ということだ。
それは、嫌なことだった。だから、今の仕事をしている自分など、認めたくなかった。
何せ、興味のないことだから。元から、お金の為と割り切る気持ちから選んだことだから。
そのような心持ちからだと、適当にやってもお金もらえるからいいや、という取り組み方で、パフォーマンス云々は知ったことではなくなってしまう。
しかし、そのようなやり方をすることに、限界がきた。
とにかく、目の前に降りかかる諸々の仕事は、かかる時間などどうあれ、全てやってみせようと固く決意をした。そして、それらに抜けのないようこなすこと。もう、これだけで良い。これだけは決めた。
僕は…CCAアムロのようになりたい。
REガンブラスター(&MGV2AB)
立ち姿ちょいアオリ。
初手すこしピントズレ...。
カメラ遊びということで、せっかくなので撮影してみた。
バックビュー
ほんと撮影うまくいかない;;;;;;
ライフルとバズーカ構え
別角度
ビームシールド発生
銃口を向ける...
ん~~全体にピント合わせられないものか。やはり接写しすぎなのか?
ちょっとライティングしてます。
サーベル
横向き。この写真がいちばんうまくとれてるきがする。
ん~~~ガンイージタイプの頭部造形ほんといいよなぁ。
V2ABです。できました。でもデカールはるの諦めました....
今回軽くスミイレしかしてない。他はシールで妥協。
というか、段差できる所がパーツごとにきちんと分割されているため、あまりスミイレの余地がない。パーツパーツで印影が作られている。
全体映すとこんなにもなる。サイズは15m級ながら付属物が派手派手なのでかなりスペース食う。
そして撮影ブースはこれもうだめだと分かったのでやはり新調します。
さすがに手抜きだ(
画用紙ごとの継ぎ目が出てるのマヌケすぎる...
V2ABはポージングさせるとどこかのパーツがポロっておちて紛失したりとか
パーツの接合部が折れてしまったりとかがおきそうでこわい。ので触る気がおきない。
作りが緻密すぎる。
そして同時にそんな緻密なつくりの設計士さんたちほんとすごいわ。
ガンプラというか、架空メカの機構再現シミュレーションモデルというコンセプトでいえば、このキットは本当に一つの到達点なのではないだろうか。
監修もデザイナーのカトキ氏自身ということもあり、このV2のスタイルはまさにアニメのV2設定画のプロポーションそのままで立体として出来上がる。
個人的には、これが「本物の」V2であると思う。
ガンプラは、プラモデルいえども色んなコンセプトでアプローチして、そしてその方向で洗練させていくというやり方が面白いなぁ。
ジオン公国みたいだよね。MSからMAからMSもどき、MSは水泳部サイコミュ極地仕様etc,色んな機体作ってその可能性試していく。
でも財団Bは「うまくいっている」ジオン公国。潤沢な予算と成功の採算ありきで、おふざけに見えても全力でふざけてはマーケティングコンセプトに則った作戦展開である。だから存続し得る。
とりあえず最近買ったガンプラほとんど消化したのでしばらくはいいかな。
満足した。
来月時間あったらシルヴァ・バレト・サプレッサーをつくって撮影遊びします(ポチっちゃった)。
フェルミ研究所
の動画好きだったけど見るのをやめた。
大人と子供、という二項対立は使いたくないが、あえて使うならば、子供の動画群である。
勉強になる…と見せかけて実はマイナスしかない。
「自らの立場に近しい目線のオピニオン達を身につけて正しいロジックを形成する」ことは出来る。そして、身についたロジックも正論そのものだろう。
「ある一点の立場」においては。
その一点の立場とは、「高校生〜社会人1,2年目」程度の10年も幅のない、わりとピンポイント的なターゲットだ。
………
現代人には、メディアとの付き合い方に関してよくああだこうだ、これを読め、これは辞めろ、と言われる。
僕は思う。
「メディア」と称される媒体の、なるべく全部から情報を仕入れろ!!!!!!と。
姉との逢瀬
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なんか!ボーナスが入った。
僕にそれほどの付加価値があるか分からなくて、ビビりもするが、貰ったことは事実である。僕の資産となったのである。それは、喜ぶべきことだ!
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MGV2です。ウッソと、母を繋げてくれたマシン。そのように捉えられるなら、シャクティは好きだと思えるマシン。
ここまでできた。死ぬほど、フォルムが美しい。金色パーツの発色の美しさよ!
てか、水転写デカールの量頭おかしいだろ…
今回は意を決して全貼りしたい。
そもそも、このキットパーツの組み合わせもすごい複雑だから組み立てに関しても時間かかる。
HGメインに作ってるとMGの設計の天才的さと造形の解釈の魅力に唸る。
キット作るのを通じてカトキ氏の脳内を垣間見ている気分になるのだが、本当に天才かという言葉しかでない。
あ〜〜〜〜思うこと書いてたら永遠に止まらない!!
てか、HGシルヴァバレトサプレッサーでたよね。ほしい!しかし!作る時間どうする!!
………………
本題。
こないだの休み。姉と、姉の彼氏さんと会ってきた。半年ぶりほどである。
僕の近所での食事がてら、互いの近況報告をした。
僕のキャリアについて、姉たちとの今後の動向、などなどをした。
レストランの後、カフェで食べたぜんざい。
僕は、普段はカフェなど行かない。どころか、一人だとしても外食すら行かない。
ので、普段口にしないものを口にするのは、とても美味しく贅沢なことと思えた。
さて、カフェの後、僕の部屋で話をした。
で、途中から、家族論の話になった。
姉と僕の、両親への認識のすり合わせである。
そして、僕の、両親への鬱憤のようなものを、姉に吐露した。
鬱憤なのか、悩みなのか。
僕は、「冷え切った両親の関係を少しでも関心のあるものにしたい」という事を話した。
姉は答えた。
「私は、もう父母間の関係には、もう割り切ってる。あとは好きにやっていればいい」というような旨の発言だ。
そして、今両親にどうのこうのしたり、考えたりする余裕がないとも。
逆説的に、僕は思い、答えた。
ああ、僕は独り身だからこんな事を考える余裕があるし、したいと思うのか。
なんというか、自分の想いが少し子供じみている気がした。
自分が親に何かして、親同士を変えてやる。
そんな理想じみたことをしようと考えている。
でもそれ自体、することはとても困難だ。
人を変えるなんて…不可能なことだとは知っている。
それでも、と思ってしまう。
姉は、僕に言った。
「ナオも、彼女作りなよ。そうしたらナオの考えも変わるから」
これは、その通りな気がした。
そんな僕の姿を見せれば、父母間の関係も動くのではないか、とも思った。
人と人が、それも家族の一人が、誰かと好き合う姿を見せれば、何かしら思うことがあるのではないか、と感じるからだ。
それもそうだし、僕は、父と母が好き合う姿を見たかったからだ。それがなければ、自分が示したいと思うからだ。
しかし…「親を喜ばせたくて、変わってもらいたくて彼女を欲する」動機って、どこか不誠実さを感じる。
そして、僕が恋人を求めるなら、今はその動機しかない。
いいや!
そもそも、僕は可処分時間の使い方に、これから資格をとる、勉強をするという予定がある。
だから、どのみち、善き理由なく求めるものなど、今は要らないと思うことで、「恋人は求めない」としたい。
こうして、僕の鬱憤は、おそらく晴れた。
そして、僕は、「家族コンプレックス」のようなものにかかっているかもしれなかったと思った。ちょっとシスコン?ファザコン?
………………
なんか、こうして日記を書き綴っていると、本当に止まらない。
「お母さん、聞いて聞いて!あのね、今日こんなことがあったの…それでね、こんなことがあってね…」
そんな気持ちである。
結局、ヤマナシ、オチナシ、イミナシの類かもしれないけど、書きたくなってしまう。
僕の最近の毎日、仕事もエピソードがあるし、消化物に対して思うことも色々ある。
あぁでもね、消化物に浸っているだけの最近も楽しいけど、それはそれで発信欲が高まって、また鬱憤にもなる。
発信欲は!描きたい欲である。
が、局所的な感情かも分からないというのだ。
そういった想いのコントロールなんかもして、すべきことは何か?を考えて生きていかねばならない。