はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

女性遍歴…と呼ぶにすら値しないナニか ①

恋愛脳寄りな気質なのに何もしてこなかったツマラン童貞の自分語り。

 

①:「あの人」篇

 

小学校時代

 

小学生の頃から、好きな人がいた。

(以降、好きな人のことは僕の気持ち的に「あの人」と書きます。)*1

 

 

 

当時の僕より一回り背が高く、スレンダーと形容するほどの体型ではなかったかもしれないが、どちらかというと細身な方。体型もバランスがよかった、というよりスタイルが良かった。

クラスでも程よく目立っていて、少しばかりか気が強いというか、大して物怖じをしない性格である。少し男勝りというか。集団の中でも個性をはっきり出す質であった。

ルックスも、特別良いという訳ではなかったと思う。でも、中の上くらいには言えるだろう。

かといって、決して不細工であるということはない。少し面長だっただろうか。

ルックスがどうとかというより、声の抑揚や表情が、独特の明るみを発していたのだ。(…それも「ルックス」と言うべきか?)

その「明るみ」のようなものに、とにかく僕は惹かれた。

 

そして、それ以上に、僕がその人にとって関心を持ったのは、「頭が良く、絵が上手い」ということだった。

彼女は、学年一と言っていいだろう、それくらい絵が上手だった。

 

僕も、当時は勝手に、「学年内の男子でなら、一番絵が上手い」などと思い込んでいた。描けば周囲が褒めてくれたのだ。そのような事態が、当時の僕を増長させていた。(今となっては定かでないし、どうでもいいことだが。)

 

しかし、あの人の絵だ。授業での課題、自由時間での落書き、etc…。とにかく飛び抜けて上手なのだ。

 

それらを見るたびに、悔しさや、感心、嫉妬、様々な情が浮かんだ。自分が周囲から評価され、それで自信を持っていることすら滑稽に思えた。

だから、それらの絵、作品を創ったあの人のことは素直には褒められなかった。もちろん、内心、とても上手で、自分などより遥かに上だという自覚はしていた。

 

あの人はまた、情緒に対する理解もあった。

それは、例えば「詩」や「文化的なもの」に対して、気持ちをアウトプットしたり、文章にして書き綴ったり、人を情緒的な気持ちにさせる能力が秀でているということだ。

 

つまり、絵だけでない。

感受性が豊かで、その表現能力もとても秀でている人だったのだ。

 

で、勉強もできる人間だった。

いわゆるペーパーテストでは、常に高得点を取っていた。

机上の勉強だけができる人間、というわけでは決してなく、周囲とのコミュニケーションはとれるし、リーダーシップもよく発揮していたし、もともとの頭の良さも感じさせるような人であった。

 

総括すると、元の人となり、見てくれの雰囲気だけでなく、それ以上に、「絵が上手くて、頭が良い」部分に、もっとも僕は惹かれた。

 

 

僕は内向的な人間であった。要するに、「典型的な、インターネットの世界に浸っていそうなオタク」の一人なのだ。

彼女のことが好きでも、素直にそれを表現する行動や、言動が出せない。

ましてや、小学生だ。

好きという感情を、どう処理していいか分からなかったこともある。

「付き合う」という言葉、「カップル」という概念は知っていたが、それらの行動は小学生には早いだろう、と思っていたこともある。

 

そしてもう一つ。僕が彼女へと接しづらく思っていた要因がある。

 

あの人に対して、「気後れ」するのだ。

あの人は、絵が上手い。頭が良い。

比べて自分はどうだ?あの人ほどに、そのどちらも能力があるのか?

自分の中で、答えは出ていた。「あの人より自分は格下である」と。

 

そう心の中で決めつけ、自分で勝手に、あの人に対しての壁を作ってしまっていた。

それでも、あの人は持ち前のフレンドリーさで僕に接してくれていた。

好奇心旺盛であったのかもしれない。

 

そんなあの人の性質を知っているものだから、また、通学路が同じ部分があるということもあり、ある日僕は気を引くような行動をしてみせた。

あの人が僕の後ろで歩いていることを知っていた。僕は少し遅めに歩いて、通学用のリュックサックを、あえて胸の前で交差させるように背負う、「ヘンな背負い方」をして気を引いて見せた。

そんな様子をみたあの人が、案の定というか、声をかけてきた。「なにその背負い方」と。そこから別れるまで、僕らは一緒に下校した。そんな機会が、何度かあった。

他愛もないが、今でも良い思い出だ。

 

またある時は、放課後の校内の掃き掃除で同じ班になったことがあった。

一緒に作業ができる!と僕は張り切って、あえて自分の手すらホコリまみれになるくらい張り切って掃除をした(はずだ。どんな掃除の仕方したんだよ)

そんな僕の様子を見たあの人が、確か濡れたタオルだかなんだかで、僕のホコリを払ってくれた、なんてことがあった気がする。

この辺りは記憶があいまいだが、

「僕が掃除を頑張った」「それをみたあの人が、僕の汚れをとってくれた」「そんなときに軽い肌の触れ合いがあった」こんなことがあったことだけは覚えている。

 

 

他にも、何かとあの人とは作業が一緒になったことがあった。

同じになる度、心底嬉しかった。気を引きたいがために、心底張り切った。

そうすれば、あの人は僕を見てくれる。僕に話しかけてくれる。笑ってくれる。

そういう気になったのは、後にも先にも、この時くらいかもしれない。

これらの思い出の大半は、クラスが同じだった小学3・4年生の頃の話だ。

5,6年となると、あの人は僕とは違うクラスとなった。

小学5,6年生の頃の、あの人との思い出は、びっくりするほど思い出せないというか、大してなかった気がする。

 

あの人と僕は、友達という訳ではない。

だから授業以外で遊ぶなんてことはしなかった。僕は女子を誘うのがとても恥ずかしかったから、それをしなかった。

そんなこともあり、5,6年生になると、本当に接点はなくなった。

 

 

そして、

関係に進展があるとか、どういう展開があるでもなく、小学校を卒業。

 

中学校時代

 

中学校に入ると、美術部に入部した。

あの人も同じく美術部であった。

 

だから、僕は嬉しかった。

かといって、やはり異性を意識してしまうのが僕だ。

同じく美術部に入った男子の友達と席を寄せ合い、毎日オタク談義をしながら、ゆるゆると作業に取り組んでいた。

 

そのような光景も、今となってはとても良い思い出だ。本当に良い思い出だ。

しかし、もっとあの人と接することができれば。

欲を言えば、「友達だとか、恋人になれれば」という悔いが残っていることは事実

だ。

 

それでも、あの人とのエピソードはいくつかある。

何が発端となったかは忘れたが、僕があの人のことをちゃかすような言葉をかけた(気を引くためにだ)。売り言葉に買い言葉で、あの人もそれに反応する。

それがヒートアップして、部室内で二人でおいかけっこする、なんてことがあった。

でも、それくらいだったかもしれない。

それでも、この出来事は僕の心の中に焼き付いている記憶だ。

アホくさい書き方をすれば、僕にとってこの記憶は、「砂浜で、キャッキャウフフと乳繰り合いながら追いかけっこをする男女」に相当するものなのだ。...相当するものなのだ!!

 

あとは、部内の男子とあの人が会話しているところを見ると嫉妬したし、会話に割り込めるとふんだらずかずかと入り込んでいってた気がする。

 

...というのが、中学1年生ごろの出来事。

 

人間は、年齢とともに「相対的な自分の能力を思い知る」「論理関係で物事を考える」ようになる生きものだ。もちろん、本人の主観の域は出ないが。

 

何が言いたいかというと、中学生になると、先述した「彼女への気後れ」という気持ちが強くなった。

いわゆる「好き避け」というよりは、「気後れして近寄りがたい」気持ちが強くなり、同じ部にいながら、時が経つにつれ段々とあの人とコミュニケーションをとることは無くなった。

 

ガンダム的にいえば、「どんどん私のもとから離れて行っちゃうのね、アムロ...」

アムロ違うわあの人は私達とは違うの」というような気持である。

 

自分の程度を知り、「僕って、この程度なのか...」という諦念のようなものは、このときはっきりと味わった。

 

中学2年になったころあたりでその気持ちは大きくなり、それまでは部内ではビッグマウス的発言や「うるさいイキりオタク」的な気質の強かった自分であったが、段々と角が取れていった。

 

いつしかそれを自覚した頃、僕は部内の別の女子と接する機会が増えていたように思う。(これについては②で触れます)

 

中3の頃、僕があの人と話したのは、準備室で「僕らもう卒業するんだよね」「お互い頑張ろうね」というような、本当に当たり障りのないような会話程度しかしなかったかも、という気すらする。(もちろん、活動に関する事務的な会話はしていたが)

 

 

高校時代

 

僕は普通の偏差値の普通科高校に入った。その中で写真部に入部、ぬくぬくと過ごした。この時の自分を殺してしまいたい。

(そのような平和ボケが災いし、志望大学には浪人までするも、落ちた。

結果として、またも普通の偏差値の私立大学に入学。Fランは辛うじて免れている...と思いたい。)

 

...で、高校3年生のある時。「あの人」と偶然出会う機会があった。

志望大学へのオープンキャンパスへ向かうバスの中だ。偶然出会ったのだ。

 

始めてみた私服。当時の面影を残しつつも、なんだか少し可愛くなったような、大人びて見えたようなあの人の姿。

 

本当に驚いた。

でも、あの人は母親と同行していたので、僕は向こうの親がいる手前何を話しかけていいかも分からず、声をかける程度でバスの中の時間を終えてしまった。

というのもあるし、やはり「気後れ」からの声のかけづらさだ。

このような2つの気持ちから、接することを避けてしまった。

 

その後、あの人は推薦入学でここに合格したということだ。

僕の結果は...先述した通りである。

 

 

大学時代

 

成人式ともなると、同窓会の声がかかるというものだ。

中学時代の同窓会の連絡が誰からかきて、なつかしさから僕も出席することとなった。

 

地元の居酒屋を借りて、大勢が集まって会を始める。

僕はスクールカーストでいうと下側に属するような、「ギーク層」的人間である。

だからそんなに交友関係が広いという訳ではなかった。

しかし、かつての同級生たちが、成人する頃にどうなっているか、は興味深かったし、互いの近況報告の話題は、相手が誰だろうと楽しかった。

 

で、途中から皆、席をとっかえひっかえするようになった。

僕は、美術部時代の面子で話をしよう、ということで声がかかった。

 

そのときに、「あの人」と席が隣り合う機会がきた。

本当にドキドキした。

 

またも時間が経ち、あれからのあの人の姿を見る。

あの人は既に少しアルコールが入り、頬が紅潮気味であった。

僕もその前にアルコールの入った飲み物(とはいえ、サワーを飲んだ程度だったが)を口に含んでいたから、少し気分は高揚気味であったし、身体の感覚も少しフワフワしていた。

 

それでも、あの人を前にすると、スッと酔いが抜けたというか。

緊張と、アルコール由来のものとはまた別の気持ちで高揚し、心臓の鼓動の高鳴りを身をもって感じた。

 

お互い乾杯を交わす。互いの近況を報告し合う。この飲み会でどんな話をしていた?

なんてことを話し合う。

 

あの人は、少し呂律が回っていなかった。時折、僕のリアクションを茶化したりもしていた。

 

相変わらずのフランクさというか、明るさだった。

そのことに嬉しくもなった。

しかし、僕を前にしても、まったく態度を変えないのだから、

あの人は僕に、別段特別な感情など抱いていないのだな、と感じた(自惚れもいいところだが)。

 

彼女と話していると、確実に「今、この時を歩んでいる」姿を見せつけられ、やはり複雑な気持ちになった。

 

それでも、と思い、少し踏み込んだ話をした。

それまでの会話の流れなど、半ば無視して聞いた気がする。

 

「〇〇(あの人の名前)は、付き合ってる人とかいるの?」

「いや、うーん今はいないよ。先輩方とは仲良いけど(うろ覚えの台詞)」

「じゃあ、今までに付き合ったりとかは?」

「それもないな。けど、高校の時に部活の男子から告白されたことはあった」

「そうなの?して、付き合ったの?」

「いや、断ったよ。何か付き合うとか分からなかったし、考えたこともなかったし」

ああ、そうかと思った。このとき僕は、またあの人のことを知った気がする。

本当にストイックというか、芯となるものを持っている人なのだ。

「絵を描くのが楽しい」。楽しいことを本当に追及している。

それを、ロジカルにだとか、アカデミックに...ということでなく、天性の気質からそれをやっているのだ。

彼女の爛漫さやフランクさといったものは、根本の「楽しい」を突き詰めようとする気持ちからきているのだと思った。

それは、知的好奇心ともリンクしている。

だからこそ、絵だけでなく、詩だとか、文化的なものに対するアウトプット能力も備わっているのだな、と、このとき思い知った。

それと、男女の恋愛だとか、人に対して情動的に好きになる、という気持ちは平行線を辿っている...というか、おそらく彼女には無かったのだ。

あるのは、たんなる好奇心。

だから、小学校時代は僕に対して話しかけてきた。僕が「気になる男の子」というよりも、「この人のココ、面白そう、何やってんの?w」というような気持ち。それが由来だったのだ。

 

当時の、この時の気持ちを言語化すると、以上のようなものである。

 

...泣きそうになった。

 

 

僕の根底には、彼女への知的好奇心があった。それと同じくらいか、それ以上に、彼女への「情動的な好き」という気持ちがあった。恋心である。

 

あの人には多分、そういうものはなかったし、あったとしても、その対象が僕となることはなかったのだ。

 

でも、この実感を、失恋と呼んでいいのか?

僕にはわからなかった。

気持ちの整理がつかなかったから、

 

「え、あっ、そうなんだ。〇〇ってなんていうか、いい感じだから、付き合ってたりするのかと思ってた」(ほめ方が意味不明)

「何それw」

それで、何か茶化し合っていた気がする。

その後、少し間が空いて、僕は、(伝えなきゃ)と想っていたことを伝える。

 

 

「あのさ、僕は、〇〇のこと、今までずっと好きだったんだよね」

こう伝えたときのあの人の表情は、さすがに驚いていたような気がする。

「え、ほんと?今も好きなの?うちのこと」

「今も、うん、...そりゃ、好きだけど...」

 

その後のことは覚えていない。

というか、この辺りで会がお開きになった。

 

 

僕は、「男らしい立ち回り」を決めようと、この時に心に誓っていた。

男らしい立ち回りとは、以下の2つだ。

 

1:あの人に想いを伝え、「付き合ってください」と伝える。つまり、告白する。

2:気持ちを清算するために、前は好きだった、とはっきり伝える。そのうえで、彼女のことなど忘れ、今これからを生きることにする。

 

この2通りを考え、2番を実行した。

この時は、気持ちが清算できたつもりだった。

 

しかし、今となって思うと、後悔しかない。

この2番の立ち回りは、まったくもって男らしくない。

男らしくないというよりは、潔さがない。

「前、あなたのこと好きだったんだ」って。前の気持ちを伝えられたところで、昔そうだったから何?じゃあ今はどうなの?と、なるに決まっている。

で、今どうなのか。そのことに対する明確な回答を、僕は持ち合わせていなかった。

だから「今も好きだけど...」という、なあなあな返答で終わってしまったのだ。

自分の気持ちを一方的に伝えるというのは...独りよがりな行動でしかなかった。

 

 

かくして、それ以来あの人との接点はまったくない。

実にあれから4年。

 

あの人はおそらく、自分の道を進んでいる。

僕は、僕も、それができていると思いたい。

そう思わなければ、壊れてしまいそうだからだ。

 

 

それでも、時折、センチメンタルに浸ると、あの人のことを思い出す。

時に、名前をググる。なんて陰湿なのだろう。なんて女々しいのだろう。

 

このようなことをするくらいなら、

いっそ、当時のあの人の周囲の仲の良い人に、あの人と会えるツテを探して会う、くらいの行動をすべきなのだ。

今はそうしようと思わない。今は今で、僕は別の行動をしている。

 

今、僕には、付き合いたいと思う女性がいるからだ。

そのために行動もしているのだが...空回りばかりで、心が折れそうだ。

 

いずれ、恋愛沙汰は抜きにしても、あの人と出会う機会を作らなければいけないと思っている。

決して、独りよがりな、思いの独白などではなく。

今度はもっとじっくりと話すのだ。もっとコミュニケーションをとるのだ。

 

 

 

(女性遍歴…と呼ぶにすら値しないナニか ① 完)

 

 

 

 

 

 

*1:女性を三人称で記述するならば、普通は「彼女」と書くが。「彼女」という字面が、世間一般でいう「ガールフレンド」の意を示すそれを想起させてしまう。僕は、あの人にとっての彼女でもなんでもないのに、「彼女」と記述すると、胸が苦しくなりそうだ。だから、あえてやや遠回しな表現である「あの人」と書いている。