はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

カテジナさん

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唐突だけど、Vガンダムカテジナさんについて考えている。

カテジナさんは可哀想な人だ。
僕はカテジナさんが好きだ。
彼女が辿ってきた運命と作中の末路のことを考えると胸が締め付けられるように苦しい。

カテジナさんは、選択を間違えてしまった人だ。
でも、何を間違ったのだろう。

彼女の本音は、
「私は、クロノクルという巣を見つけたんだ」という言葉に隠れていると思う。
カテジナさんは、自分が落ち着ける場所がほしかった。

でも、故郷のウーイッグにいた時、不甲斐ない親を見て苛立っていた。
最初に合流したカミオン隊でも、大人たちのモチベーションとウッソの扱い方に疑問を呈していた。それもあったし、自分の意見を通そうとすると煙たがられた。

リガミリティア側にいたとき、子ども達に対してカテジナさんはどう感じたのだろう。
子ども達よりは確実に年長者であるから、少なからずそれらしい立ち振る舞いを要求されたか、もしくは「しなければ」と感じたかもしれない。
でも、元来居場所だったウーイッグの実家では一人娘で、存分に愛されていたかというと、そうではなかったろう。
いや、本人の立ち位置への違和感というより、子ども達にも、大人達にも戦争への妙な迎合感に違和感をおぼえていたと思う。
そして、何より自分に近しい存在がいないのだ。年齢的な部分において。
これは、凄く寂しいと思う。

そんな時に、クロノクルという男が現れる。
好きになるかどうかはさておき、そんな腐ったモチベーションの中、自分の話が、境遇のことを話しても受け入れられるかもしれない、と思える存在は、救いになると思う。

そんな気持ちと、リガミリティアへの違和感というか不満が相まってベスパへと身を置いてしまった。
易々とそうしてしまう気持ちはわかる。
今までカテジナさんがいた場所はウーイッグで、地球の一都市で、戦争状態というものへの確かな想像力は育めなかったのだろうから。

本人のマリア主義への傾倒や、地球クリーン作戦への賛同は、自身はフォローしていると「思い込みたかった」のだと思う。
かつての故郷を離れ、今はこんな所にいる、遠くまできてしまったこと、そんな自分を認めるには、その場所にいることを正しいと自認することだと。

アイデンティティの確立とマリア主義の容認が合致し、その不協和を認めたくないがために、ウッソと敵対することも顧みない。

「思い出というものは、遠くなってしまうものだから、宝にもなるのいうのに...あなたという人は、ピーチャカと動き回って!」
そう吐いてウッソへと銃口を向けるカテジナさん。
ウッソを思い出としたかった。思い出と割り切って、過去として、今の自分にとって関係のないものとしたかった。
それでも引き金を引くのをためらうカテジナさん。
かつて自分への熱烈なアプローチをしてきたウッソ。それをけむたがったこともあった。
それでもカサレリアからの戦闘の日々では協力し合ったし、ウッソの機転に助けられたこともあった。そしてウッソは素直だった。
ウッソへの情はある。恋愛感情はさておき、好いている気持ちがあることは確かだ。
しかし、敵対する状況に身を置いてしまった。素直な気持ちは向けられないし、自身がその気持ちが何であるかを明確化することはできない。
そんなモヤモヤは、フラストレーションだったのだと思う。
そして、殺しを容認してしまう戦争という状況は、己の不満の解消を、銃火によって遂行することを可能にしてしまう。
自分の気持ちの在処の行く末を、戦争というものに託してしまったのかも知れない。
でも、カテジナさん自身、そんな自らの内心の揺れを自覚できなかった。
でも、動けてしまったし、戦えてしまった。
そんなカテジナさんを見て、ウッソは叫ぶ。
カテジナさんおかしい!おかしいですよ!」
この言葉が、どれだけショックであっただろうか。
そして、このウッソの叫びは心底からの悲痛そのもので、清らかな心の持ち主のそれそのものでもある。
その”正しい”ウッソの激白が、どれだけカテジナさんの心をえぐったのだろう。
だって、カテジナさんは自分の心の拠り所を求めていて必死になっているだけなんだから。
そんな風にもがいている自分を、「おかしい」と決めつけられた。
そして、ウッソの言う「おかしい」に、妙な説得力がある。
利他心を忘れないウッソ。年相応のかわいげもあるウッソ。行動力があり、その行動を務められるだけの知性と機転を備えたウッソ。
そんなウッソが、自分を「おかしい」という。
じゃあ、ウッソの言う、おかしくない、いわば正しいカテジナさんって何なんだ。
「年上で、どこかいじらしげで、甘えさせてくれる、自分にやさしいオネエサン」
そうじゃないから、おかしいって言われた。
冗談じゃない。
カテジナさんも、ウッソも、面識は少なからずあった。
でも、結局この時、「オネエサンをやっててほしかったのに!」と叫ぶようにみえたウッソの本心に、すごく寂しい思いをしたかもしれない。
それが、二人のすれ違いである...。

 

●甘いよねぇ、坊や!
カテジナさんは、ウッソを攻撃するまでに全部フリやためらいがある。
どこまでいっても、どこか直接的じゃない。

ましてや、終盤でウッソをナイフで刺した時さえ、急所を外していたフシがある(要もっと考察だが)。
どころか、刺した直後に妙な間があるのだ。
ウッソを殺そうとするのなら、近づいていざ刺すというとき、ウッソの後ろに回した手に持ったナイフで心臓部を突き刺しても良かったし、でなければ、腰に刺した直後、うろたえたウッソを突き落としても良かったかもしれない。
でも、そんなことはしなかった。
刺した直後、カテジナさんは少し動きを止める。
もしかしたら、一瞬冷静になろうとしたのかもしれないし、エンジェルハイロゥからのサイコウェーブの奔流に何かを感じ取ったのかも知れないし、それまでのウッソとのやり取り始め、何かが頭をよぎったのかもしれない。
ともかく、一瞬、センチメンタルになったのだと思う。
いや、元々センチメンタルだったのだ。ウッソに放った「だから殺して頂戴」は、建前などではないと思う。
だけど、この時のウッソは、カテジナさんを殺そうとしなかった。
それ以前、ネネカ隊とガンイージを用いてウッソに奇襲を仕掛けたとき、ウッソの反撃はためらいが無かった。どころか、カテジナさんへのウッソの「消えて、消えてください!」は言葉通りの意味そのままに、カテジナさんの乗るコクピットめがけてサーベルをすぐさま突き立てた。
その一貫性のなさというか、状況によってはものを分かってくれるようなウッソの態度に、やはり逆上してしまったのかもしれない。
やられたらやり返すくせに、殺してと懇願すれば否定する。闘いのポーズの正しさを体現してくるウッソ。自分はなりふり構わず仕掛けているというのに。だったら、なりふり構わないまま、ウッソを陥れてやろう。
そうは思うも、詰めきれないのがカテジナさんだ。
ウッソを憎みきれない。その素直さを否定しきれない。その正しさを否定しきれない。
少年として、戦う男としてのウッソを認めたかもしれない。人としての好きと、生物のオスとしての好きを、ウッソに見いだしていたのかもしれない。
だから、殺せない。
だから、クロノクルとウッソを、オスとしてどうみるか、天秤にかけようとした。

断言できるが、カテジナさんも、ウッソが好きで、認めているのだ。
むしろ、最終盤までくると、ウッソの方がカテジナさんを倒すべき敵として捉え直せている。

 

●「まやかすな!」
エンジェルハイロゥの一区画内で、V2と対峙したとき、カテジナさんはリガミリティアの面々の思念がウッソを導く姿を幻視する。
仲間達とともにいられるウッソ。居場所があるウッソ。
居場所を求めるも必死なばかりのカテジナさん。
もっているウッソ。もっていないカテジナさん。
でも、”もっている”ように見せているのは、あの幻影達だ。
それは自分を惑わすものだ。そんなものは消せば良い。
だから「まやかし」なんだろう。
で、惑わすものなんて見たくなかった。
こう叫んだとき、カテジナさんの視界はおかしくなる(瞳のハイライトが消える演出)。
心の底から何も見たくなかったのだろう。それでも、自分を拒絶するウッソだけは、この時本当に許しがたく思ったのだろう。だから、最後の最後に来て、ゴトラタンの放ったビームは、直撃すればV2を落とせていたであろう位置へと放っている。

しかし___結果は、V2は光の翼を以てそのビームをはじく。最後の一撃は、ウッソのV2には届かなかった。
この時のカテジナさんは、ウッソが自分の攻撃を防いだかどうか、もはやわからなかったかもしれない。視力を失っていたのかもしれないし、見たくも無くなっていた。
それでも、好いた人へと引き金を引いたという感触。それが彼女に刻まれたことは事実だ。


●「雪が降ると、訳もなく悲しくなりません?」
エンジェルハイロウでの一大攻防戦を乗り越え、放浪者となったカテジナさん。
その表情は虚ろで、かつての禍々しいほどの覇気は感じられない。
シャクティと思いがけなく再会するカテジナさん。誰かと認識せず、ウーイッグへの行き先を示してくれたシャクティに一礼すると過ぎ去っていったカテジナさん。そんな彼女を、シャクティは「道に迷った旅人」と評する。

道に迷った旅人。これがカテジナさんの本質だったんだ。

ザンスカール戦争の最中、どんな選択肢をとるのか、どんな道へ進むのか。
その針路とりに、最後まで軸足を定められず、それでも動けるだけの力を持っていた。
でも。力があろうとも、軸足が定まらないんじゃ、どこへ進んでいるのかはっきりしない。最初から最後まで、「ハッキリと」進めなかったカテジナさん。機動戦士Vガンダムというお話の「道すじ」にうまく乗れず、迷い込んでしまった旅人。それが、カテジナ・ルースという人なのだと思う。

 

カテジナさんは、居場所がほしかった。
でも、どこにも居場所なんてなかった。
だから、自暴自棄になった。
そして、その報いを受けた。
最後は、永久に、たどりつくはずもない居場所を求めて彷徨うだけとなってしまった。

彼女には、クロノクルもいなければ、その行き先にウッソがいるわけでもないのだから…。

 

だから、カテジナさんは、笑うことが許されない人間なのだと思う。
だから、カテジナさんが、どうしようもなく、可哀想な人だと思う。