はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

やんないじゃない出来ないんだ

書いて伝えたい自分のこと

 

休日の深夜。ふっと叫びだしたのを覚えている。
「誰か助けて!!!!!!!!!」と大声でいきなり叫んだ。
その時、自分が殺されるようなシチュエーションの夢を見ていたと思う。

その時に覚えていたこと。

助けても誰もきてくれないだろうなという諦めが、その時あった。
今の僕は、誰の気持ちに心を傾けようとしていないから。そうすることには、文字通りエネルギーを費やすものだし、いたずらにしていいことでもないから。また、そのような余裕がないから。色々である。
だから、むしろ、誰にも助けられない方がいい。恩というものを感じたら、返したくなる衝動にとらわれるから。
恩とは、返報性を求めてすることでないと、理念ではわかっていても、返さなければ、何かしなくてはという強迫観念が働くから。その時の焦る気持ちは、疲れるから。
それで、実際にお返しをしたとする。それはそれで関係が続くのだ。返して、返されての関係か?
でも、何もしなければ、何もしなかった自分を「恩知らずめ」と心の中で毒づくもう一人の自分がいる。それもあるし、他人からそう思われているのかも、と思うと、恐い。

そうだ。

面倒なのだ。

人との関わりができたその瞬間、こうまで思索を張り巡らせる。

面倒なのだ。

だから、誰にも助けてほしくなかった。

それでも、「助けて!!!!!!」と叫んだ。
発作的に叫んだ。自分の命が大事だと実感した。

こう書くと、つくづく、自分にしか興味のない人間なのだなという気がする。
今は、その通りだ。

こんな夢を見た自分にも驚いた。
我ながら、心の後ろ暗い部分が残っているのかと思って、微妙な気持ちになった。

承認欲求。自己肯定感。自制心。その他諸々。
そういった、自分にふりかかるストレッサーを可能な限り排除し、健全なメンタルを保てるよう生活することを心がけて、それができている自覚があった。
ようするに、外観はともかく、内心「のびやかである」のだ。

にも関わらず、こんな夢をみたし、こんな反応をした。

心が引き裂かれるような感覚がした。

仕事をしている自分。今の仕事。今の人間関係。そして今したいこと。して楽しいこと。おえかきをしている自分。そのことに向き合う自分。向き合うことを楽しいと思うよう心がける自分。そうなり始めて来ている自分。

自分のやっていることを、自分で肯定できている気がしたが、それとは別に、仕事において自分の存在価値の怪しさを感じるようにもなっていた。

このギャップに、心が引き裂かれそうになったのだと思う。
それでだ。それが心の闇になって、こんな夢を見たのだ。

でも____そんなことに気づいたって、どうすればいいのだろうな。

 

仕事にエネルギーを割きたくない。

こんな一文は、本当に哀しく、不幸な一文だと思う。しかし、そう思っている。

「ここじゃないどこか」を、結局、この3年間、いやもっと長く空想し続けてしまっていた。

...この文章は重たいな...面白くもない。


今日の日記。

後輩の一人が、仕事でミスというか、実力不足を痛感していたようで、落ち込んでいた。
僕もその尻ぬぐいの一端を担ったし、そのことでたいした仕事もできず今日は終わり、このことだけが原因でないのだが、おつかいしかせずに一日を終えたことにかなりの虚無感を覚えて、早く帰宅したい一心になってしまった。
「帰っておえかきでも本でも読んで元の気分に戻ろう!」という気概であった。

しかし、残酷なメンタリティである。

後輩のメンタルケアなど微塵も思いもしなかったのだ。
慰めの一言でもかければよかったのに。ああ言うときの仕事を終える感覚というのは、とても苦いものだと僕は知っているし、共感する感覚をもっている。

しかし、そんなことにエネルギーを割くのも面倒だと思ってしまったか、いや、そういうアンテナ自体が、こうして振り返るまでに隠れてしまっていたのかもしれない。

自分にしか興味がない状態というのは、とても楽だ。
だが、その状態に陥りすぎて、他者をみるということがすっぽり抜けてしまっている。

だけど____
人に興味を抱くのは恐い。


例えば、今の僕は、人に対して期待を心底していないのだから、その人がどんな迷惑行為を働こうと、少しはイヤだが、「ふーん、そう」で流せる。誰かが何かを発信したとき、嫉妬をしたり、色んな感覚が渦巻くものだが、あえてそのアウトプットに深く付き合おうとせず、心のウズウズが煮えてくる前に、シャットアウトをして、割り切ることができる。「や、僕は僕だし!」と。

このようなメンタリティは、間違いなく自分の中で成長だと思っている。

だけど。
人に興味を抱く、ということをしてしまったら、余計なこと___嫉妬とか期待とか失望とか、そういうものも過剰にしてしまって、また辛くなるだけなのではないか。

そう思っている。


この日記は、センチメンタルに浸りたいだけだ。


こうまで書いたが、確実に僕の中に、


「そんなん知りません^^僕が悪いことはなんもねぇ!!!明日も健やかに生きていくぅ↑↑」
みたいに思っている自分がいる。

 

 

アニメ『灰羽連盟』で、自分が本当に辛いと、寂しいと思ったとき、レキは、明確に「ラッカ、助けて!!」と、「ラッカ」の名前を叫んだ。

 

凄く勇気のあることだと思う。

ラッカのことを信じようと思ったし、打ち明けようと思ったのだと思う。

 

僕は、辛いとき、誰にも辛いといえばいいのだろう…