はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

『リメンバー・ミー』みた

昨日の水曜日、観に行きました。メンズデイだったので。

 

以下ネタバレあり感想。

 

ピクサー作品ということでビジュアル面は本当に素晴らしい。キャラクターのディフォルメが本当に上手。かといってディテールをオミットしまくる、とかそういうことでなく、例えばおばあちゃんであれば、フォルムはディフォルメさせるが、シワなんかはガッツリ描きこんだモデリングにするなど、『記号』の表現が凄いなぁと本当に感心する。こういうディフォルメじゃ、向こうのお国に勝てそうにないね...。

 

本編のストーリーは、家族愛がテーマなのかなぁと思った。

演出なんかはとても効果的で、抑える部分も抑えて...と王道な感じで、ちょっとグッとくるところもあった。

が、あえて僕の本音を書こうとおもう。

 

泣けねぇ。

一辺倒な家族愛の描写。偏った価値観の訴求。勧善懲悪。

 

 

●勧善懲悪

物語には、主人公のひいひいおじいちゃんということで大スター(エルネスト・デラクルス)が登場するのだが、実のところ、彼は主人公の家族ではないと判明する。

どころか、大スターになったというのも、デラクルスは自分が甘い汁を吸うために、本当の主人公のひいひいおじいちゃんであるヘクターを毒殺していたということが判明する。

この物語における黒幕はデラクルスであった。そしてこのデラクルスの作中の扱いのあまりの雑さというか、容赦のなさに、僕はある種、「気味の悪さ」「ゾッとする感情」を抱いた。

 

全ての悪をデラクルスが背負ったのだから、あとはこのキャラクターをどのような目に合わせても問題はないだろう、という扱いだ。

挙句の果てには、彼は二度目の「死」を迎える(おそらく。EDやその後などで彼が姿を現すシーンはなかったので、死亡したと推測される)。

 

当たり前だが、デラクルスは人間というキャラクターの見た目をしている。

そうである以上、僕はこのキャラクターにも興味が沸くし、感情移入のひとつもしたくなる。

そのようなキャラクターが、ただの悪逆非道を行う人物として描写され、挙句の果てに因果応報としての死を迎える。あまりにも虚しい。

「根っからの黒」を描くなら、もはや対話や感情移入の余地を残さない人物として、ビジュアル・キャラクターともども描写されれば、まだこのような「虚しさ」は抱かなかっただろう。

しかし、物語での「主人公の先祖だった」というミスリードを誘うためには、このようななりをしていないといけないという制約もあるのだから、これは難しいところだろう...。

 

ともかく、この作品の「勧善懲悪」的価値観は、日本でいうかつてのチャージマン研や、マジンガーZ的な、感情移入の余地を残さない容赦のない「恐ろしい」ものだと受け取った。

まじストーリー、ビジュアルがしっかり作られている作品だけに、その歪さは際立ったものとして捉えられる。

 

●家族愛

僕の家庭の話をします。

父は頑固だが嗜好は独特、芯の通った考えはあるが融通は利かない、仕事の忙しさ、苦労にこたえ余裕がある人物ではない。

母は優しいが本音を父に言えずで、判断を決断力のある父に委ねるところがあり、それでも家事やパートはこなす。働きアリ気質な所がある。

父も母も、お互いに対して、僕に対しても本当に心に寄り添うことはせずだ。

そのようなことを僕が分かっていながらも、そうすることから逃げている。今も。

姉はある時期から心の病気を患っていると発覚し、社会生活からは距離を置いて彼氏と同棲し、穏やかな生活を送っている。

 厳しい見方をすれば、僕の家庭は、一歩踏み出すことをせず、かといって取返しのつかない失敗とはいかず、しかし成功とも言えないが、やっていくことはできている家庭だ。

自分の家族のことを思うと、いつも後ろめたい感情がこみ上げてくる。だから、そのことに関してはあまり考えないようにしている。

 

この作品の家族の在り方はどうだろう。和気あいあいとして、皆仲の良い、息の通じ合った家庭。

家族を愛することの大切さを訴えているように思えた。だから、見ていて辛かった。

家族に本当の本音をぶつけ、向き合うことが怖いからだ。

さらに、僕の本音の根底に、愛なんてない気がするから。だから言えないでもいる。

そんな自分と、作中のあたたかな家庭。

自分のみじめさが嫌になった。

 

 

 

 

作風や価値観に、国柄、国民性というものがあるのかもしれない。

その違いを少し感じ取った気がした作品だった。