レールに乗らざるを得なくなったはずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

『天気の子』観てきた(ネタバレ感想)

う~~~むおもろい。

新海誠作品、エンタメ気質がどんどん高まってきている。

実に健全なボーイミーツガール、ジュブナイル感のある物語だ。

 

 主人公・帆高くんに対する、個人的な評...

「男の子はこのくらいの方がいい(byCCAアムロ

好きな子のために、手を尽くしきる。

それがどれだけ周囲に迷惑かけるか?知ったことか!!!俺は陽菜が好きだ!!!

という、実に青臭く向こう見ずな帆高君の突き抜け具合が、個人的に見ていて気持ちがいい。彼は決して優等生ではない。

だけど、若い人間なんて...いくらだってロックにやっていこうぜ!!

 

ジュブナイルものにともすればありがちな、セカイ系的な肥大化した少年(or少女)の自意識が社会全体に影響を及ぼしすもののその報いを受けることがない...という図式の物語は好むところではないのだが、

この作品では、きっちりと「成人し、社会を構成する大人たち」と「未熟な少年・少女たち」の対立構造と、少年少女が社会に対して働きかけるアクションの限界をきっちり描いているため、リアリティとロマンスの両立のバランスが良い。

 

●少年少女の限界

→帆高にとっての「銃」

作中、ひょんなことから拳銃を手にした帆高。状況の打開のため、そして16歳という判断力に欠けることもあって、彼は切羽詰まった際、銃口を対峙する大人に向け、事態の打破を試みる。

これは、「持たざる者」たる少年が、職業etc、社会的にある程度の力を有する大人たち...つまり「持つ者」に対して、同じ土俵に立つための対抗手段である。

 

→陽菜の力

作中のキーとなる、「祈りによって晴れを可能にする」能力を持つ彼女。

しかし代償として、自らの体が徐々に犠牲になっていく。

天気が晴れるほど、彼女は天界の孤独な世界へと近づいていく。しかし、雨のままだと、彼女は傷みを負わない。

世界にとっては、当然晴れることはいいことだ。

しかし帆高にとっては、雨のままが良いことだ。なぜなら、陽菜と一緒にいたいから。

全てを好転させられない。二者択一でしかないという限界がしっかりと描かれている。

 

→「家出少年」という立場

帆高は16歳の高校生だ。両親がいるという立場である。単身、家出をして東京へと乗り込んだ少年だが、家族は当然捜索願を出している。

これは、常識的観点からすれば親の行動は当然だ。

そうなると、警察は彼を引き返すべく捜索することとなる。

これも当然のことだが、「社会」という労働人たちの枠組みにおいては、家出をする子供に対しては、仕事として、きっちり親元へ返さなくてはならない。

これはもう、日本社会において出来上がってしまっている手続きである。

なにも、帆高は自ら社会に反旗を翻そうとした訳ではないが、結果として彼の行動は日本社会と衝突を避けられぬ状況となった。

未熟な一人の少年と、手続き化された社会。「力」がどちらが大きく及ぶかは明白である。

 

 

●登場人物たちの関係性

作中の登場人物達の矢印が、複雑相互に絡み合う。

作劇中では人物達のキャラクターは、それぞれ職業・年齢・性別等諸要素からしっかりと描き分けられていて、かつそれがデザインにも落とし込まれているため、わかりやすくまとまっている。ので、基本的にストーリーで混乱することはないし、掛け合いもテンポが良い。

これに関しては好みも大いにあるのだが、田中将賀キャラデザはアニメで動かしやすく描き分けも分かりやすいので、見る側にとってすごい馴染めるんだよな。

 

●つっかかり

→「3年後」の描写

時間が進む以前までは、本当に完璧に思えた。しかし、「3年の月日が流れた」後が問題だ。

この月日が流れ、陽菜が戻ってきたあと、やはり天気は一向に晴れることはなく、大雨が続き、東京は多くの地が水没することとなった。

その描写自体は、なかなかいいと思える。

なぜならば、少年が行ったことへの、現実としての結果をしっかりと示しているからだ。

「世界はどうなってもいいから、陽菜といたい」という行動の結果を、オブラートに包むことなく示している。

 

ただ、自身が「世界を変えた」ということへの気づきに関してはつっかかりがある。

というのは、直前に帆高は、須賀から「自分が世界に影響を及ぼしたと思うのか?うぬぼれるなよ青年」(というニュアンスの台詞)と指摘を受ける。

これに対して、行動は起こすものの、陽菜との運命的な再開を果たした際に、

明確な理由は持たずに、気づきとして「僕たちは世界を変えた」という彼の台詞に至る。

「一少年に何ができた」という指摘→(反論はない)→「僕たちは世界を変えた」

という気づきへの、ロジックの整合性の怪しさにやや首を傾げたくなってしまい、ここだけが個人的につっかかる...。

つまり、須賀の指摘へのリアクションが欲しかったのだ。それを無しに、「世界を変えた」、そして陽菜との再会という、演出的な大団円に持って行ったことが、個人的には「強引である」という印象を抱いてしまう。ここはなんか本当に惜しくなる。

 

→キャラクターの背後設定

主に帆高、陽菜に対して。

帆高には、「なぜ家出をしたのか」という根幹の理由や、家族との描写はない。

それは、陽菜に対してもなのだが、彼女がなぜ東京で弟と二人暮らしをせざるを得なくなっているのか...という境遇に対しての描写はない。

 

これらは、意図的にオミットしているだろう。

というのは、「ストーリーにいらないから」である。

この作品で見せたいのは、あくまでも「少年少女のボーイミーツガール」、「異能の力をもつ少女とその代償」、「世界をとるか、好きな女の子をとるか」といった部分であり、それらを掘り下げるにあたっていらない部分はまるまる切り取ったということであろう。

これは中々思い切ったことをしていると感じる。人によっては、人物の境遇の掘り下げの少なさに疑問を抱くかもしれない。個人的には、補ってあまりある主張がされていると思えるので、許容ができる。

 

 

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というわけで、全体的に考えると、かなりおもろかった。

キャラクターたちの快活具合が好きである。

 

でも帆高くんも陽菜ちゃんも陽キャっぽいんだよな。

「恋する~フォーチュンクッキー♪」

「胸の中にあるもの~♪」

イエーイパフパフ!!

チクショウ、ああいうノリは僕は自主的にできないから見ていて苦しかったよ!

 

でも僕も、一人の女の子のために必死になりたくなった(小並感)

物語は...現実で生きる力を与えてくれればそれでいい!!!

そういう力は確実に与えてくれる作品だったので、かなり好きであった。