はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

成長プロセス

というのは、学校のような「強制的な擬似社会空間」の中で数々のタスクをこなさせたり、責任もたせたり人間同士のやりとりさせたりすることでしか発生し得ないのだろうか。

 

僕は社会人というくくりには入っちゃいるが、所属する社会空間というのがあまりにも狭く感じる。

会社の中の固定的な人間関係、それでも日々の業務の情勢は変わっちゃくるが。

 

そりゃ、毎日タスクをこなすわけだから少しずつ全体や容量が見えてくるわけだが、以前書いたのとだが「受け身でも成り立つ『慣れ』」にしか過ぎない。これと成長を同義としたくはない。

 

自分で考え、動き、自分で掴み取り、実感を得、痛みを得る。全てを、まぎれもない自身のこととして肌感覚で感じ取る。

そういうのが個人的に思う成長プロセスだ。

 

なんかさ、じゃあもう個人事業主にでもなれよというような理屈だよな。

 

 

結局は、未だにどこか、会社という誰かが必死に作ったレールの上にいることに安寧してしまっているフシがある。