はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

行間 2019年10月21日

●キャッシュレスに嵌まる
 国の方針がそうだということで、僕もそれに従うこととした。所属する国家に尻をたたかれて、生活スタイルを変えようと、今更重い腰を挙げるというのだ。
齢24歳にして、変化におっくうであってはいけないという、ちょっとの焦りの念があった。
ここでクレジットカードを作る、電子カード化等に切り替えるというのは良い契機であるかもしれない。「キャッシュレスなら○○%還元」は、僕にとって良いインセンティブであった。
ま、そんな雀の涙程度の差額よか、元から安いものを探して買うことが一番であろうが...しかし安いものを探すことも時間的リソースを割く行為だ。
ともかく、キャッシュレス割引云々はともかく、できるだけあらゆるものは現金支払いから遠ざけたいというのが僕の念だ。キャッシュレスな生き方かっこいいぜ。しかも財布開いガチャガチャしなくていい。カードをシュッてするだけだぜ。短時間でおわる。ビジュアル的にもカッコいい。最高にスマートである。てか、何故今までこうしなかった。
...手続きが面倒なのよな~~、今思えば。だけど、それで一度手続きしておけば、後で財布を開いて現金を確認して出す、なんて行為を幾度となくする時間と比べれば、前者のがよほど短くすむということは分かるし、トータルでみればこちらのが時短よね。

~最近の消化作品~
仮面ライダーアマゾンズ Season2
すげ~~~~~~~よくできてた。泣いてた。
当初、千翼とイユってなんだよ?ポっと出困るな~~~ええい新キャラはいい!悠を出せ悠を!となっていたものの、物語が進むに連れ主要キャラの人間関係の矢印が、悠、仁、駆除班の大きく3つに集約されドラマを畳むという構成が素晴らしくて舌を巻いた。
そしてそれぞれに、人間とアマゾンという二項対立の「どうしようもなさ」を訴えてくる。

この作品は、主要な登場人物それぞれが、対立する者に対してある種の「甘さ」をもっている。
美月なら悠に、駆除班ならマモルに、仁ならば七羽に、千翼とイユは、お互いに...。
これらの人物は、人間とアマゾンという対立関係ではいるものの、境遇やコミュニティには共通点がある。
共有するものがあるから、「狩る対象」として徹しきることができない。それでもどこかで折り合いをつけなければいけない。それは、互いの境遇からしてそうなのだ。

折り合いをつけなければいけない結果として、アマゾン側は、千翼をはじめとして、まるでその存在を許されぬかのように命を散らしていく。

アマゾンを生み出したのは、間違いなく人間のエゴによってである。
そしてアマゾンを終わらせる事由もまた、人間のエゴによってであった。

おそらく、その事実を一番強く認識している人物でもあるのが悠と仁であり、彼らはそれぞれ「アマゾン」、「人間」として、両者の立場からその代償を一身に背負っている(し、覚悟をしている)。

・千翼の最期
個人的にだが、彼はおそらく、オリジナル(覚醒)形態(?)にはならずして戦いに敗北し、散ったのだと思う。それは、アマゾンでもなければ人間でもなく、『千翼自身として』、彼自身の人生を全うするためだからだ。もっとも、彼は最期の最期まで生き抜くことを諦めなかっただろう。明確に、「生きたい」と願っていたのだから。
千翼自身のパーソナリティの根幹は、真っ当な思春期の少年のそれなのだ。「恋する女の子に惚れて添い遂げたい」これだけだ。
しかしながら、それを阻むものがあまりにも大きすぎた。なぜならば、彼自身の出自もそうだし、イユ自身の事情にしたってそうだ。


う~~んこの作品、脚本の巧さが半端でないと思う。Season1からSeason2に切り替わるにあたって登場人物を増やしたにもかかわらず、それをうまく畳みきる手腕。本当に見事。
「ヒトか、非ヒトか」をテーマに、そしてそれらの二項対立の闘争を描く作品...なんかで、寄生獣が思い浮かんだのだけど、この作品、寄生獣のテーマ性を見事に刷新している気がする。まあ、刷新した結果、これらの対立の根深さにはある種の「どうしようもない」という結論も叩きつけたようで、ちょっと絶望というか、残酷な一面もある気がするが...。

●グランベルム
最近やっと最終話を見終えた。なんか視聴に間が空いてしまったためか、まともな感想が出せそうにない。最終話だけの感想でいったら、戦闘コンテがガンダムというか富野作品的すぎてなんともいえない気分になった...。
ファンネルと前方位レーザー、ピンチ時の緑調の色彩変化、カットイン、NT的「閃き」がよぎる演出、そして構図まんまなのが、水晶がトドメをくらったときの断末魔(=シロッコ)からの「貴様の魂も一緒に連れて行く」と同じ構図...。
うーん、ギャグとして描くなら「パロディですよ~~」っていう自嘲を感じられていいんだけど、この作品そうでないからなぁ。かなり真面目に「魔力は必要か否か、なぜ魔力を欲するか」についての問答を全編通して文字通り命を散らして対決をし合う作品であったのに、そこにこうも分かりやすいトレス的表現をされてちょっと真顔になってしまった。
まあ、ガンダム的演出でいえば、カットイン、戦闘時の問答なんかは全然許せるけど、武装とコンテまでかぶせられては...という感じ。
でもこの作品はやはりオリジナルアニメとしてのどこか気概を感じられた。少なくとも真・主人公たる新月は「魔力を無くす」ことの決意をし、それを成し遂げた。そしてその代償も引き受けた。この過程を描ききったという点では、ブレずに作品を描ききったということでもあろう。そういう意味では、スジの通った作品で好感がもてる。
惜しむらくは演出技法や、先述したようなコンテなんかだと思う。おそらく「お話の盛り上げ方」にちょっと失敗してしまった気がする。
でもこういう作品が後の大作のプロトタイプだったりするんだぜ。今にみてろよ~~(何様気取りだ)。

仮面ライダーゼロワン
5話まで視聴。第3話は録画し損ねて未視聴(憤慨)。
ともかくこの作品、とにかくフレッシュな雰囲気。で、各話で訴えてくるメッセージ性なんかはとても分かりやすく、でもダイレクトな台詞回しでこっちに響いてくる。
この作品もお話作り巧いと思って舌を巻く。
毎話毎話、究極的には「人間とAI(≒ヒューマギア)の共存の在り方」について、様々な立場の人間を配置し登場させることでその可能性を描いていく。
これは半ば思考実験にも近しいかもしれない。
ただ、このようなイマジネーションは、確実に必要である。それも、純然たるデジタルネイティブ世代ともいえる今の小学生など、メインターゲット層には特に馴染めて、そして再考させ、身につけておいて損はない、「根幹の価値観」である。
その根幹の価値観とは、「AIは人間と共存可能な、善い存在である」ということだ。

昨今の、たとえばシンギュラリティやオートメーション化技術に際して注目される話題は、その技術の導入や刷新性よりも「人間の労働力が代替可能となってしまい、不必要とされることの恐れ」が注目されることが多い。新技術の到来は、まるで恐怖であるかのような論調だ。とりわけ年齢とともに悲観論に傾きがちな世論などは、そのことにだけ目を向け、AIや技能の「たのしさ」「面白さ」「新しさ」なんかに、目を向ける労力を嫌ってか背けがちなのだが、そうではないということだ。
そして、これは僕自身にもいえることであり、そのほんの数ミリのステップとして、先述もしたようにキャッシュレスで生きられるようにライフスタイルを少しでも変えようとしている次第である。要するに時代に合わせてちょっとずつ自己を更新して、でも根幹は忘れないで生きていきたいねということだ。終わり。
でもそんなことより、「新しいもの大好き詳しいの」ってなりたいだけかもしれない(歌マス並感)。

 

 

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手癖で描いた女の子。正味思うけど、露骨なオタサー姫っぽいというかメンヘラかも感ある格好の子と仲良くなりたい(願望ダダ漏れ)。

コピックの楽しさと複雑さを改めて知ったけど色塗りやっぱおもろいわ。

 

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Switch liteオシャンティー化計画。

Switchの周辺グッズ、Amazonで調べるとあまりにもありふれていて驚く。

未だにソフトがない問題。まあポケモンでガッツリ使ってやるから覚悟しろよ!

あとGジェネクロスレイズ、まじめに欲しい…。

原作再現の緻密さと派生作品の網羅がめちゃ丁寧でめちゃ欲しくなった。というかオルフェンズ目的。ルプスレクスの戦闘アニメで唸る。