はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ガンダムSEEDのキラ君かわいそうすぎる

クロスレイズでSEEDシナリオ辿って
ネトフリでSEEDの最終回を改めてみてみた。
改めて思い知らされた、キラ君可哀想すぎるよ.........


(基本的にガンダム主人公可哀想というか不幸めだけど)

その生い立ちからして根幹の世界の歪みを一身に引き受ける存在となってしまってるのね
スーパーコーディネイターという言葉、皮肉効いてるよなと思う...

SEED世界のデフォルトがナチュラルとコーディネイターの完全な二項対立が出来上がっててイデオロギーだの国家利益だのの段階をもはや通り越して敵対種の根絶という最終段階まで行ってしまっているのでまずこの世界の前提が地獄すぎてガチで恐ろしい

CE世界は最終戦争を描いている作品そのものと言って差し支えないだろう
個人的に全ガンダム世界の中でもダントツに地獄度が高い世界だと思っている

その世界に産み落とされた時点でどちらの陣営か/根幹思想は(ナチュラル/コーディネイターの)どちらかが決まるから身が震える

続編のDESTINYの結末を迎えても作品世界への明確かつ前向きな回答は結局用意されずに終わったよね。
デュランダル議長のディスティニープランは明確に否定するものとして、じゃあどうするか?はこれからという所で終了。
この事が作品世界のシビアさというか末期度を示していると思います。
で、キラ君の「かわいそうすぎる」という部分に関してなんだけど、SEEDでは同じく作品世界の歪みの象徴ともいえるクルーゼに対して「守りたい世界があるんだ」と反論の意思をみせた。とはいえやっぱりレスバで負けてるのな。

ではDESTINYではどうだったかというと「覚悟はある。僕は戦う」と、明確なファイティングポーズを見せる。SEED時点では力を持ちその力の振るい方を自身でも把握しきれぬまま事切れたかのように見えたラストだったが、DESTINYでは己の力の自覚とその振るい方を身につけたのだと思う。
ようは
SEEDのキラ→口喧嘩微妙だけど殴り合いの喧嘩はガチで強いのでギリギリ無理矢理どうにかなった

DESTINYのキラ→口喧嘩も多少なりともできるようになった 殴り合いは相変わらず強いぞ
みたいな...(個人がいくら強くても世界の歪みが酷いんだけどね)
が、これはキラ君個人の前進のお話であって、本人が行ったことは
「世界に対して明示された一つのステップをぶっ壊した」ことには変わりが無い。
ある種再びパンドラの箱を開けてしまったのだと思う。
しかし図らずしてそのようなことをした訳では決してない、なぜなら、だからこそ「覚悟はある」と本人が豪語しているのだから。
それを踏まえてキラ君の生い立ちと行動、言動は重みに重みを重ねていると思えるし、そんなでも尚世界へと立ち向かっていく姿勢そのものがCEという地獄そのもののように思える世界へ示される希望なのかもしれない
とはいえ希望とは名ばかりで、その後、世界に更なる血が流されたかもしれない。更なるカオスに世界が包まれたかもしれない。
だからこそ、キラ君たちは「自分は正義ではないのかもしれない、それでも」と立ち上がった。やらない善よりやる偽善というか。ていうか、やらない善よりやる悪か?
と、お話を冷静に辿っていくととてつもなく絶望的な方向に広がっていってしまう気がするCE世界だが、それでも魅力的なのだからすごい。
何かって言うと多分やっぱ「キャラクター」「演出」の力なんだよな。
キャラクターでいえばMSやキラ・アスラン+シンの陣営と関係性の交代劇
演出でいえば種ポーズとかサンライズパースとかも言われるようにもなった名演出の数々
いい意味で分かりやすくて気持ちいいもん。
ガンダムSEEDの「表面的なカッコよさ・伝わりやすさ」の部分って多分全ガンダムの中でも一番ストレートだ。
ほんとに良い意味で。
そして、それに対して作品世界のグロテスクさね。ダントツで地獄ですよ。
表面はカッコイイ、中身は地獄、すんごいコントラストだと思う。
そこがどことなく狂気を帯びてみえるというか...
という、そういうカオスさもまたSEEDシリーズの魅力だなぁと感じるのであった

で、これの次のシリーズがOOなんだから面白いなぁと思う
いわばキラ達第三勢力は作中で明確な言及こそされずとも世界に対するテロリストだったともとれる。
OOにおけるソレスタルビーイングという組織は、既に作中当初から成立する存在であり作中でも「テロリスト」と明確に指摘される場面もある。

SEED DESTINYでの「ラスボスを倒しました、けど結局キラ達その後具体的にどうするんだ?何の主張でそれを行ったんだ?」という最終末への具体化されなかった部分に対し、
OOでは開始時の時点で「世界から隔離された/テロリスト的立場となったとしても武力介入を行う」というスタンスを明確にしている。
世界に対して主人公達は何をしたいか、を明確に明示してお話を始めているのね。ほんっとにシンプルだ。「戦争根絶」という4文字だけで片付けられるんだもの。
そういう意味ではOOってSEEDシリーズへのアンチテーゼ的というか、シリーズ内での自己言及的な要素も含んでいる気がした。ある種、OOシリーズはSEEDシリーズのテーマを一歩推し進めた作品とも言える。と同時に、「機動戦士ガンダム」シリーズを通して描かれる「対立する両者がわかり合うこと」への明確な一つの回答も最後まで具体的に描ききった(劇場版)。
この手法は本当にスマートで凄いことだと思う、"戦争根絶"~"わかり合う"の流れをシリーズでオチつけているんだもの。
そういう意味では数あるガンダムシリーズでもテーマ的に総括してシリーズ一つで「ガンダム」が分かるものといえばOOだと僕は思う

で、そんな風にお話のテーマ論をキッチリ片付けてしまったらその後のシリーズはどうするかといえば出てきたのがガンダム的な設定・要素への「お約束」へ徹底的に逆張りするという発想で生み出された「鉄血のオルフェンズ」。
ビームライフルの否定、苦悩し悩む主人公の否定、わかり合うことの否定、勝利の否定、...
テーマ論の面では決着をつけちまったので今度は表現論での逆張りという「演出面」からひたすら勝負を仕掛けにいった作品という印象。
そしてこの「逆張り」の姿勢は最後の最後まで貫いた。清々しいまでに。
鉄血のオルフェンズという作品は、主人公機の最終形態たるルプスレクスのビジュアルをみれば、ああ正統派ではないんだなというのが一目瞭然だ。
「暴力」や「殺意」という言葉を体現したかのようなフォルムのルプスレクス。本当に突き抜けていて素晴らしいデザインだと思う。けど初めて入ったガンダムがオルフェンズだっていう人がもしいてしまったら正直何かの価値観が歪みそう(僕は初めてがオルフェンズでなかったから大丈夫だったけど)。

なんかキラ君かわいそうという感想からクロスレイズ出演作のSEED以降の作品を突発的に振り返ってしまった。

自分の中では
SEED→優等生と思いきや中身は底知れぬめっちゃ腹黒いものをかかえたやべーやつ(けどめっちゃイケメン)
OO→ガチの優等生
鉄血→問題児 
みたいな印象。
作品として、SFとしても完成度が高いのはOOだと思ってる。
作品のキーともなるから当然ではあるけどGNドライヴ回りの設定とか演出とかやっぱり凄いという言葉しかでない
演出の面(GNドライヴ、飛翔するガンダム、飛び散るGN粒子)からも一目であれが時代と一線を画す「ガンダム」という絶対的な存在と分かる、先進的な存在、というのが凄く分かりやすいしほんとスゲーという言葉しかでない
初代ガンダム以来ずっと続いた、推進力を「スラスターノズル」で表現するんでなくてGNドライヴの「コーンスラスター」で描写するようになったの、ほんとに演出的に革命だったと思ってる...この真新しさは本当に色あせない

でも僕は鉄血大好きなんだ........
血と肉と暴力しか表現しないような、どこまでいってもパーソナルな演出に集約されてしまうような世界
でもパーソナルな部分を描きまくったからこそキャラクターの独特な肉感がある
そして何よりロックな姿勢...どこか露悪的な姿勢...

まあなんというか...言葉でいくら語ろうともやっぱ愛は理屈じゃないのだと思う...
真実を知ってもなおマッキーを愛するアルミリアの気持ちになってる...(は?)

(おやすみなさい)