『FOLLOWERS』泣いちゃった。
"汝の道を進め、そして人々をして語るに任せよ"
めっちゃめちゃおもろかった。
全人類に見てほしい作品であった。
僅か9話という尺の中で、ジェンダー論と社会生活論、SNS論がとても盛り込まれていて素敵であった。
視点が視点だけに、女性側での偏りがあるかもというのと、どうしても尺の都合上大団円サクセスストーリーへのつながりがスムーズな感じもあるのだが、そういう理屈は抜きにして、演出もテンポもガッツリ最高。
最終回なんかコンテめちゃめちゃカッコいい。
以下、グサっときて画面をスクショ(物理)したもの。
だ、大丈夫、だよね…?
むしろこんないい作品だから是非Netflixで観てくれという宣伝の意図がある。
最初の1ヶ月無料やぞ!!その内でも観ちゃおう!!
(というかこの全9話、1話45分という構成が、有料加入しなくてもいいからとにかく観てほしいという気概すら感じる。楽しく世の中を変えていきたい意欲をも感じる)
ガンダム の話をしよう。
戦争という、闘争という状況があった。
その中で戦う器は、人型を模した巨大なもの、モビルスーツであった。
戦争は、戦は、身体が丈夫で、鍛錬を積み、それをするにふさわしい者たちが行った。
大人の男たちだ。
時代の武器がモビルスーツいえども、戦うのは、男であった。
しかし、戦争は男たちだけで進むものなのだろうか。男たちだけの想いと、血と、行動で決まるものなのだろうか。
そうではないことを示すものもまた、時代の武器たるモビルスーツである。
武器とは、機能さえ果たせば、誰が使おうが同様の効能を果たす。
使用者が誰であろうと、引き金を引けば誰かを討てる。
一市民の少年にすぎなかったアムロは、武器を、モビルスーツ____ガンダムを手に入れた。
アムロにとってのガンダム。それは、大人の男たちの世界への入り口であり、武器なのだ。
で、現代社会における僕らの武器は、SNSなのだ。僕らにとってのモビルスーツは、ガンダムは、SNSなのだ。
僕は、SNSが嫌いだと以前書いた。
その状況もまた、時代の武器を使っていないという意味において、そして、嫌う理由においても、完全に健全なものではないのだ。
僕は今、おそらく、時代の武器を使いこなさない選択をしている。
そして、その選択を改めて問い、「その選択をして良かったか」「その選択は何であったか」を、明確に答えられる必要がある。
僕は、ガンダムに乗っていない。
とにかく!
Netflixはサブスクの中でもかなり『いいもの』の部類に入って、人間度を上げてくれるような感覚がある。ありがとうと心底思う。
同じことはYouTubeにも言える。
僕が今好きな映像コンテンツは、NetflixとYouTube。