スクショ晒し文化きもい消えればいいのに
Netflixで思わず観てしまっていたのが、
「Followers」だ。Netflixオリジナルドラマ。
いわゆるデジタルネイティブ世代付近、インターネットっ子どストライクな年代である僕は
、やはりこういった
「SNS世代の現代劇」というものに、ひどく惹かれる。
で、その描写が巧みでテンポもよく、わかりやすく進むがために思わず視聴しているというワケだ。
断言するが、僕はTwitterが嫌いだ。
インスタグラムも嫌いだ。LINEは普通だ。
Twitterというものに、浸かったが故に「嫌い」なのだ。
この作品にて、SNSへの批判的論調がいくらか織り込まれている。
(決してSNSを批判しているわけではない。そのような主張の人物がいるという描写にとどまっている)
「現代は個人の価値が数値化される時代だから嫌だよね。昔の人がうらやましいなあ」
まさにそれだ。これこそ、僕がTwitterを嫌う一番の理由だ。
そして誰もが、この「数値」に取り憑かれる。僕でさえそうだった。
フォロワー数。いいね数。リツイート数。リプライ数。ツイートアクティビティ。
イヤでも、時折きになるのだ。
どんなに、「そんなの気にしぃよ!」という態度でいても。
「数を確認すること」は、誰に見られずとも、数回画面をタップさえすれば、出来てしまうもの。
「俺さ、フォロワー数なんて気にしてないからさ」
そんなことを言う人間がいたとしても、こちらはその人のフォロワー数が気になる。
そのツイートのRT数が気になる。だって、大きい方が説得力出るんだもの。
そうだ。文脈如何より、「数値の大きさ」だけが重視される。その大きさ=正しいと、直感的に判断する。してしまう。
これは、論理の飛躍であるにも関わらずだ。
そして、それが論理の飛躍であることを考えさせてくれない。考える暇を与えてくれない。
何故か。「他のツイートが、すぐさまTLに流れてくるから」だ。
一つ一つの情報を精査する、考える時間など、与えてはくれないのだ。
その分、情報がいっぱい得られる?
いやいや、情報だらけになって迷って、しどろもどろになるだけじゃないか。
こういう作業を、生業とする人ならいい。それが仕事であるならば、その作業との向き合い方を覚えるからだ。
でも、そうでなければ。プライベートとして利用するならば、余計なストレスとなる一方だ。
...どうやら脱線してしまった気がするが、
これが、僕の言い分だ。
閑話休題?タイトル文の話題に戻ろう。
「スクショ晒しきもい」。
こういうものに、生理的嫌悪を覚える。
同作の第四話「炎上」にて、
主人公・なつめが、同じくモデル達のグループLINEの「某ブランドはまじありえないよね?」とディスりながらなれ合う流れに、「なつめもそうだよね?」と同調することを迫られ、それに屈して自身も「まじでありえない、仕事だからたまたま使っただけ」と述べてしまう。グループの一員が、鬼の首をとったとばかりに、すかさずその発言をスクショ、Twitterにてアップする。それが拡散し、SNS上ではなつめに対する「マジかよ最低だな」というような罵詈雑言の反応で埋め尽くされる。
それまで躍進していたなつめだが、一気に信頼が地に落ちる...というシーンでラストが締めくくられる。
吐き気がする。
このような事に関わる生きものは、人間じゃない。「動物のやること」だ。
「動物のやること」。その場その場の条件反射と、その瞬間を食いつなぐことのみが目的で、基本的にやることなすことが対症療法的。何かの目的に沿った行動を紡いでいくわけではない。
「人間のやること」。目的があり、そのための行動をし、社会との折り合いをつけ本人なりの折半をし行動をつなぐ。基本的に「その場しのぎ」の段階を脱している。
ダレかを蔑むためだけに、自分が気持ちよくなりたいがためだけに他者をないがしろにし、悪意のある投稿をする。
それを見た人物は、他人の不幸は蜜の味とばかりに、気持ちよくなって「なつめも地に落ちたな」と書き込む。その人より、自身の方が立場が上だと錯覚し、それで気持ちがよくなる。
当たり前だが、これは何にもならないやり取りだ。
実に不健全な気持ちよさのループ。この問題を解消したところで、マイナスをゼロにしただけで、時間的精神的リソースの無駄遣いである。
ダレも、人の心を大事にしない。
だから、こんなことが起きてしまう。
なつめも、人の心を大事にしなかったのだ。
そのブランドの、アイテムの制作陣、その場を用意してくれた人たち、決して一人でその場にいるわけでもないに関わらず、それを蔑ろにし、ブランドを貶す。
批評ではない。「貶す」なのだ。
これが発端であったといってもいい。
だからこう言いたい。
「人の心を大事にしない世界を作って、何になるんだ!」(カミーユ並感)
だから僕は考えている。
人の心を大事にするというのは、どういうことなのかと...
テーマが飛躍してきたところで終わり。
人の心を大事にすることと資本主義社会はなかなか相容れないけど、
頑張って折り合いもつけられるということを最近思えてきた。
それにしても、こういう考えることを想起させてくれる作品を作ってくれるというの、本当に素敵なことだと思う。
そういう意味では、間違いなく名作だ。