はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

水星の魔女にのぞむこと① タイトルロゴのお話

~タイトルロゴの話~

 

けっこう期待しちゃうんだよね。近年のガンダムの人間描写重視路線がうかがえるかと思う。どういうことかというと、タイトルロゴを手掛かりに書いていく。

まず地上波作品では今のところ最新であった鉄血のオルフェンズ(2015~2017)。

 

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次に現状映像作品として最新作の閃ハサ(2021)。

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で、水星の魔女(2022~)。

 

 

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タイトルロゴに占める「機動戦士ガンダム」の割合がどんどん小さくなっていってるのね。

 しかも、「水星の魔女」という副題には造語が含まれていない。(「オルフェンズ」だとか「ハサウェイ」だとかの言葉を用いていない)

 これには”ねらい”があるのだと思う。僕は、タイトルに妙な造語を用いることで作品へふれる障壁を感じる層は一定層いると思っている。タイトルに「ガンダム」という言葉を冠するだけで、「ああ、アニメで、ロボットがグイングインうごくやつなんだ。いいや」、ちょっと知ってる人なら「シリーズいっぱいあるしいいわ」とスルーするタイプの人。もったいねえ!!と内心思うばかりだけど...僕の親はわりとそういうタイプだ。

 今作のロゴは、ぱっと見「水星の魔女」という作品に見える。その後に「ガンダム」の名を冠していることに気づくようなデザインだ。

 水星の魔女。アニメのタイトルというより、小説やドラマ、邦画を思わせる語感。それでいて、ガンダムシリーズにおいて宇宙という描写はこれまで不可欠だったから、往年のファンにとっては「水星」というワードへの親近感をおぼえるようにもなっている。タイトルデザインもそうだけどシンプルながらとても秀逸なタイトルで、垢抜けていると思う。「ガンダムであること」を巧妙に隠し、コンテンツにふれるハードルを下げられていると思う。タイトルについて、一言でこういえる。「タイトル、かっけー」。

 

 で、先にタイトル画像も上げたが、鉄血のオルフェンズ閃光のハサウェイは、登場人物の描写に重きを置くことに注力していた。

 オルフェンズでは鉄華団ギャラルホルンに様々な背景と性格をもったキャラクターが配されていて、二期では鉄華団メンバーもさらに増えた。その人物たちの掛け合いも作品の大きな魅力の一つだったと思う。パイロットだけ描写を贔屓するのでなく、群像劇的に、どのキャラクターにも愛着を湧いてもらえるような描き方をしているのが特徴のひとつだったと思う。鉄華団だろうがギャラルホルンだろうが、陣営に関係なく平等に人物の魅力を描く作品づくりで、勧善懲悪というスタイルからは完全に脱却して「個々人の価値観から織り成す物語」という形式を完全に確立していたと思う。

(このことの弊害として、鉄華団の活躍のカタルシス不足やMS戦の少なさの指摘も少なからずあったけど 僕個人としてはこの攻めた作風が大好きだし、回数が少なめだったかもしれないMS戦もどれも印象深い戦いばかりだったと思う)

 そして、閃光のハサウェイ。この作品の大きな魅力のひとつは主人公ハサウェイのパーソナリティをこれでもかと描くドラマのリアリティと、それを可能とする超絶美麗な作画群だったと思う。登場人物の些細な表情の変化や周囲の小道具を用いた演技へのこだわり。そして、ハサウェイ・ギギ・ケネスの三人の会話劇を中心とした絶妙な人間模様。それらを確立したうえで、「モビルスーツ」なる巨大兵器が跋扈する世界を等身大の目線から描く。作品コンセプトがこうなのだから、モビルスーツの描写の尺が僅かであっても成立しうるし、かといってモビルスーツが存在しなければ映画的・映像作品としての魅力に欠けてしまうという、絶妙なバランスのうえに成り立ち、しかし「ガンダムだからこそ」成し得た作品だったと思う。

 個人的に、閃光のハサウェイをして最新最高の映像作品としてのガンダムが誕生したといっても過言ではないと思う。

 

 で、水星の魔女。オルフェンズと閃ハサによって、ガンダム作品の文脈的な「縛り」は解かれたように思う。オルフェンズでは敵味方の対話を放棄し、主人公陣営の敗北に終わった。主人公の敗北については閃光のハサウェイも同様だ。しかも閃ハサにおいては主人公ハサウェイは少年ではなく、25歳の青年だ。ガンダムの近年の作品の系譜がこうなんだから、もはやファーストガンダム的な若者の成長譚としてのガンダムというお話づくりにこだわることもないと思う。というか、ガンダムが「若者の成長譚」を描くことがもはやできないのではないかと僕は考えている。

 

「若者の成長譚」を描けないガンダムについて、また記事を投下します。