いぬ
おまえはいぬだ。
だから僕の言うとおりに鳴け。
いいか、お前は、いぬだ。
「わん」
ダレが、わんと鳴けなんていった。
一回殺すからな。
「ごめんなさい」
ダレが、声を出せと言った。
一回食うからな。
「わん」
お前は、アタマがいいね。
でも、回数の一回は、onceだろう。
「曖昧な語尾で指摘をしないで下さい」
ふざけるな。やっぱり、もう一回殺す。
「わん、もあ?」
ゆーもあ。
「ふふ」
いぬの笑い声は鼻につくようなトーンではなかったが態度そのものがこの上なく癪に障ったし何より僕に従属しろと言っているにも関わらず口答えをすることはそもそも頭にきたからやっぱり殺すしかないと思えていたのだけどハナからそのつもりでいぬに声をかけようと企てているのであったなんてことも考えながら思い浮かぶしそんな風に連想ゲームのごとく脳内の光景を反芻させるとやはり段々と態度が尊大になってくるいぬへの殺意は膨らむばかりかこうなるといよいよどのように嬲ってやればこれは苦しむのだろうかと痛むのだろうかといったことに僕は脳のリソースを費やし始めた。
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頬をさわった。
ゆっくりとその輪郭をなぞった。
体温を感じられなかった。
感じようとする意思が、自身の感覚に無かったのかもしれない。
気持ち悪いと思った。
五感から得られるあらゆる情報を、忌み嫌う方向へと傾けたかった。
気持ち悪い。あなたは、気持ち悪い。おまえは、気持ち悪い。
唇が乾いていることがわかった。
乾ききったその唇の皮を、何重もの皮を剥いでやろうかと思った。
そうすると、膨らみは、血の色によるものでなく、血そのものと、痛みに覆われるだろう。
爪が伸びていたので、うってつけであった。
即座に爪先を唇の端に引っかけ、力強く何度も引っ掻いた。
ときおり、がり、がり、という音が混じる。びゅっ、というような、爪と肌が勢いよくこすれる摩擦音も聞こえる。
痛いね。
痛い。痛い!
皮膚片があちらこちらに飛び散る。段々とそれは赤い色混じりのものになる。
引っ掻き続ける。
飛び散る。血。血。血。血。
「その味がします。鉄のような。よく知っている。ずっと味がする。」
その味を、『くちびる』以外にもさせようと思った。そして、させた。続けた。
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体のあちこちが、その味だらけになった。
どうして、抵抗をしないの。
味がするから。
味わいたいということ?
... ... から。
よくきこえないよ。
... ... から。
そっか。もう、『から』なんだね。からっぽ。
... ...
...
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『から』は、動かなくなった。
部屋のにおいが気になるのと、爪先が汚れていたので、立ち上がった。
いぬは、いなくなった。