はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

ぐちゃニー

ぐちゃぐちゃオナニー。ぐちゃぐちゃニート

オナニーは、4月に入って、けっこうしてしまった。
一日に一回とか。二日に一回とか。

今までは、週に一回か二回ペースであった。


それはそうと、どうしてこうするのかというと...

暇だ...と、思っているから。

何もない空間、何も必要が無い、と(脳が感じている)いう時、
根本的な、三大欲求のことが頭をよぎる。

僕は、男である。

セックスのことを考える。

女...肉体...それがほしいと。空想する。

モニターの前で、マスターべーションをする。
そんなだ。

性欲が、溜まっているとか、そういうのとは別かもしれない。

インスタントに快楽を得たいとか。

でも、同時にこうも思う。
僕は、独り身だから、と、独りだと感じているから、寂しさを覚える。

で、どうするのか...........


「齋藤さん」に、手を出してしまった(悪い癖)。

●悪いことの繰り返し
こういうアプリで、恋愛をしようというのは、幸せになれない。
恋愛もそうだし、性欲のはけ口として使おうとしても、幸せになれない。
このアプリに、他者を求めることは、不健全である。
プラットフォームとしても機能が足りない。だのにそれを使う。
だのに、それを使ってしまう。
もうやめよう。

なんか、感情でしかモノを書いていないな。

退屈しのぎにしてしまったのかもしれない。

●退屈しのぎにそんなことをした自分を恥じる
ショーペンハウアーさんの「幸福について」を読んでいる。
同著にて、氏は、人の退屈への向き合い方について、以下のように述べている。
「余暇を満たすに足るだけの感能的な享楽やばかばかしいことでもないかぎり、退屈ともの憂さとをもたらすばかりである。こうした余暇が全く何の値打ちもないことは、こうした人間が余暇を過ごすその過ごし方を見ればわかる。これこそは(中略)「無知な人々の無為退屈」なのだ。凡夫はただ時を過ごすことばかりを考え、何かの才能をもった者は時を活用することを考える。低級な頭脳の持ち主が退屈を大いにもて余すのは、彼らの知能が全く彼らの遺志を動かす動機の媒介役以上に出ないためである。」
このような主張を、読んでいたにもかかわらず、僕は同著の指摘の通り、「退屈しのぎそのものの享楽を求める無為な時間」を過ごそうとした。
やりたいことが、あると思っていたが、どこか虚しさを覚えてしまったからであろう。
ショーペンハウアーさんの教えに背いた。
ごめんなさい、と思う。

●じゃあ、どうするのか?
僕には、時間ができた。
毎日のルーティンを作りたいと思っている。
ジョギング、フィットボクシング、30秒ドローイング、読書(+新出単語調べる)、日記を書く。
これらは、最低限行いたいと思っているものだ。

でも、現状それらができていない。
ルーティン化すれば、多分、ほぼリソースを割くことなくそれができるどころか、むしろこういった活動が日常活動のエンジンとすらなり得ると思っている。

だから、宣言はしないが、こう書く。
続けること。

今やりたいこと、今月やりたいこと
(絶対達成する)
・上記ルーティン化の成立
(達成したい事)
ポケモンのランクマ (低目標:最終100位以内、高目標:最終30位以内)
・今やっていること→MGガンダムバルバトスを完成させる(今、作っているので)

 

僕はショーペンハウアーさんだ............誰がなんと言ってもショーペンハウアーさんなんだ........
独りでいることをなるべく正当化するんだ.........
独りでいることを認め、その姿勢を正当化し、だけど、他者は蔑ろにはしない.....
そのうえで独りでいるんだ......望んでそうなるというのだから、そんな現状に対し他責的に嘆くのはお門違いなのだ......


僕は、頭が悪い。
頭が悪いというのは、頭が働いていないということだ。
動的ではなく、静的である。
歩いていなければ、走ってもいない。ただそこに座しているにすぎない。

が、「どう頭が悪いのか」分かっていない。
それを、理解して、歩けるように、走れるようになりたい。