金曜日の夜のことだ。
僕は、大学時代の友達に電話をしてみた。
お互いが勤めるようになってから、幾度となく連絡は来ていた。しかし、僕は、これは非常に申し訳ないことだが、それらを無視していた。
彼は市役所づとめ。方や僕は、末端の新聞屋となった。
お互い、まだ役職がないとはいえ、そのような立場の違いに、勝手に僕は格差を感じ、その惨めさから彼に対してリアクションをとらずしていたのだ。
が、やはり友達なのだ。好ましく思う気持ち、話したくなる気持ちがやはり抑えきれず、連絡をとってみた。我ながら、ムシのいいやつだと思う。
話は羽織るが、すると 彼の家に直接赴くことになった。
彼の今の住まい。とあるマンションの11階。展望も、日当たりも良好な物件。家賃は僕の2倍。
友達なのに、このようなステータス的な部分で、自分と他人を比較してしまう僕はナンセンスな人間だと思う。
そんな彼の部屋に招待されて、後はほとんど夜通しで、お互いのこれまでのことを話していた。23時〜4時ごろまでのことだろうか。
4月に入社してから、どんなことをしているか、どんな業務なのか、周囲の人間関係は、プライベートは、…
色々と話したと思う。
彼の話は、とてもごく、いい意味での、高水準な「普通の」話をしていた。
さらに追い越されたと思ったことには、2ヶ月ほど前に彼女ができたのだそうだ。
セックスだってしたらしい。
もちろん、それらについてもアレコレ話は聞いた。
しかし、なんだかな。
羨ましい、追い越されたと思う気持ちはある。
人間関係も、同年代や上の世代、いろんな立場の人もちゃんといて、そこも…というかそこが一番羨ましいのだけど。
「羨ましい」という書き方は、語弊があるのかもしれない。
というのも、僕は「そのような環境を欲している」訳ではないのだ。渇望していないのなら、羨ましいというのは違う。
結局は、業務内容が心底楽しめるかどうかである。自分にとって運命性を感じるかとか、そういうところなのだ。
だが、この感覚は言語にし難いものであり、大衆的な感覚とも違う。
だから、会話の時にはつい、慣用句的な言い回し、「羨ましいなぁ〜〜」と言って見せることくらいしかできない。
けど、これらの言葉たちは、結局回りくどい言い訳なのかもしれないな。そんな風にも思う。
彼と話してみて、自分の感情の正体がよく分からなくなった。
しかし、悪い刺激ではなかったはずである。