HGナラティブA装備、大きすぎ問題。
今日は休みの日で、諸々の予定もなくなったので、家でこれを作っていた。
どうでもいいけど。
人に対してしていることは自分に返ってくる、なんて言葉はあるよね。
僕は人に対して本質的に無関心な気がしている。自分から誘っても向こうは嬉しくないというか、向こうも自分への関心が低くなって、だから優先順位が落ちて、それで断られるだとか、そういうことがあるのかもしれない…なんて考えてしまった。
でもさ、こういう考え方は傲慢だとか、悲観的でもあるよね。人のことをもっと信じるべきというか、善く捉えるべきなのかもしれないけど…あまり期待しすぎずに生きるのがいいとかって話もあるじゃない。堂々めぐりだ。
amazonプライムで、「ツレがうつになりまして。」を観た。
セラピー的映画として、良いものだと思う。
あとは、堺雅人の演じ分けスゴイわ本当。
こういうのを観て、改めて思うことがある。
語弊を含むことを厭わず書かせてもらうが。
想像力のない人間の、想像力のない部分に関しては、死んでしまえと思うばかりだ。
この映画、主人公の「ツレ」に対する献身的な姿勢が実に素晴らしい。
だからそのようなリアクションが模範的であると思えて、それが鬱屈した人にとってのセラピー的効果につながるものだと感じる。
しかし、おそらくほぼ100点の対応しかしていないように見えて、美談がすぎるという捉え方もできる。そのような見方をすれば、ともすれば一部の人間にとってこの映画の存在は絶望そのものなんでないか。
だけどさ、こういう価値観(美談だなと思うこと)がもしかしたら僕の「想像力のなさ」なのかもしれない。つまりは、僕自身も死んでしまえと思うことがある。
しかし、そうまで思いつめて、行き着く先には…ということが危険なんだ、というのがこの映画のメッセージでもあるはずだ。
だから多分、「このように沈んでしまう人もいる。そういう人には、こう寄り添うことも一つの方法なんだよ、頑張らないってことも間違いなんかじゃないんだよ」っていうことを感じ取る、その程度でもいいのだと思う。
今の僕には、その程度に捉えておく方が健全かな。