はずレールガン

もがくしょうもないオタクの脳内

2021/06/28

日課
●ランニング

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これまた久々のラン

 


●フィットボクシング

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はい めちゃめちゃ間が空いてしまいました

だるかったからです 

僕を死刑にしてください!

大人にもなってそんな小学生並みの弁明、恥ずかしくないのかよ…


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これからも毎日続けたいけど、どうすれば続くのだろうか。枷がない生活だというのに。

カレンさん…ああ、リヴァイアスのカレンさんも言っていたな?

「やりたいことに優先順位をつけて、努力しなくてもいいから覚悟を決める」と。

…となれば、もしかすると、「フィットボクシングを毎日続けて"なきゃいけない"」というモチベーションは、本質的ではない…いや、健全ではないのかもしれない。もしかしたら、毎日はやらないかもしれない。

これをすることの本質は、「心と体を軽やかにすること」だ。

「毎日続けること」じゃない。

毎日続くのは、あくまで、よくなりたい自分、という目的のもとの結果でしかない。

手段を目的にはしない。

となれば、今後、毎日は日課報告をしないかもしれない。

でも、続けた自分、というのは、そのこと自体を自信にしてくれる。

だから…続けられる限りは、心のまま続けようと思う。

 

 

30秒ドローイング

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<最近みたものなど>
●100分de名著:華氏451度(第四回)


ちょっとショッキングだった...。
あとは物語展開的に後半というか終盤にいきなり目まぐるしく展開するのが「え?」という感じだった。
(妻逃げる→モンターグがベイティー燃やす→逃亡→核戦争→放浪者達との出会い→ふたたび町へ...)
それにしてもショッキングだ。
また、解説の戸田山和久先生が「(結末を)気に入っていない」と評していたのも個人的には衝撃的。
この結末は、都会で刹那的な刺激を消費する若者達が全て滅びて、残ったエリート達が都市を再生させる、という主張している、という先生の解釈で、それは受け入れられないのだと。

このことはちょっとびっくりした。というのは、「解説したいほど心に残る」=「すべてが好きな、受け入れられる作品」ということじゃないんだな...ということ。
いや、もしかしたら、先生も色々と考えが変わって、でも作品に向き合っていくうちに、結末にたいして否と思いたかったのかな、とも考えた。
こういうとき、ガンダムUCのマリーダさんの言葉が浮かぶ。
「たとえどんな現実を突きつけられようと、”それでも”と言い続けろ。自分を見失うな」
当然作中の終末はフィクションなので「現実」ではない。
しかし、作者の表現したい戯画化した現実、荒廃した未来像、という点では、ある種現実論を唱えているといってもいいだろう。
だからこそだ。そんな像に対して「それでも」と唱える。

僕が心に残った作品、やはりSFイズムがふんだんにちりばめられている作品が心に残るのだけど、大抵、「気に入らねぇ!」って部分はなく、素直に受け止めてしまう。
素直...というか、あるがままの表現をきっと表面的に受け入れるしかないというか。
「あそこのシーンは、ああいう意味を含んでいたんだ」
「あんな台詞の応酬があるから、あの場面につながるんだ」
「ここの表現は、以前にもやったあの表現の繰り返しで、強調をしているんだ」
等々考えたり...自分でその深みに気付いて驚嘆したり、畏怖するばかりであったりというか。
否定できるほどのロジックが育っていないのかもしれない。

あぁ...でも今、一つ思い当たるものがある。
Zガンダムだ。機動戦士Zガンダム
あれは間違いなく良いアニメ...ではない。
マーケットや、人気を得たことと、作品の善し悪しは、必ずしも結びつく訳ではないと思う。僕は、カミーユの精神崩壊という結末が、なんか受け入れられない。
そうせざるを得ないというのは分かる。
ただ、Zガンダム自体、発進点が「ファーストガンダムの続き」にならざるを得ないので、新たにキャラクターを付与し、それを主人公とする場合、物語性を与えるために「悲劇」を作らざるを得なかったと捉えている。
うーんなんか...それは創作劇手法的観点からの指摘かなぁ...もっとなんか、もう少し感情的な受け入れられなさを言うとしたら...
そうだ、初代ガンダムでやったことを否定するスタンスが気に入らないのかもしれない。
「自立して人と向き合えるようになる物語、ニュータイプとは、その手助けとなるもの」と描いているのに対して、
ニュータイプは、殺し合いの道具でしかありません。わかり合える...かもしれないっていうのもウソです」
と言っているようにしか思えない。
そんなペシミズムを50話...つまり、リアルタイム視聴だと考えたら、1年間かけて描くって意地悪すぎないか?...というのが思うところ。


華氏451度、映画化もしているそうなので、そちらも借りて観てみる。


●全裸監督 第二シーズン
→めっちゃおもしろくて一気見した。エロスとバイオレンス、ラブロマンス、悲劇と喜劇、露悪、もう全部が上手い具合に絡みあって画面から目を離させない。ほんっとにスゲーいいドラマ化だと思う。エロって本能に訴えるから刺激強いよね。それをテーマに扱うんだから、そりゃ見るに決まってる。でも、本能的刺激があるからこそ、陳腐にやってたら萎える。でもそんなチャチな作りなんかじゃなくて、ほんっとうにスゲーと思う。
絵作り、演技、舞台作り、物語構成、世界基準のものづくりやってるからすんごいレベルだと思う。この作品で勉強できることがあればしたい。というかエロっていうのが取っつきやすい。
村西とおる...というか山田孝之の饒舌演技、ほんっとイイ。


●エイティーシックス

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一面の花畑、佇むジャガーノート、青空…

空と花の色を拾って、情の色をもたぬ鉄の器も少しばかりか蒼く染まる…

すごくいい画だと思った。

 

 


で、11話までみおえた。すんません、消化的に見終えちゃった...でも面白かった。
第二期をやるっぽい?レギオン勢力の新キャラ(設定的に死者だが)登場、シン君がやべぇ、描き方的に死んでるくさいっていう終わり方...続きが気になる。
レーナ姫がなりふり構わなくなっていく様いいなぁ。やりたいことをやる!ルールが本質の枷になるのならそんなん構ってられるか!という姿勢、めっちゃ大好き。
ロジックは大衆の征服、屈服のためにあり、ロジック、権力=絶対正義ではない。

 

●バック・アロウ
これも消化的に見終えちゃった...終盤、怒濤の展開だった。ハッピーエンドに終わって良かった。スケールがどんどん大きくなっていって、最終話ですらまだ話の規模を広げていく。...ていうだけのお話を視聴者にテンション歪ませずに終わらせるのってスゴイ。なんというか中島かずき先生すげぇ...ってなった。
正直なことを言うと、バック・アロウはビジュアル面が絶妙なとっつきにくさを感じさせる気がする。それで大した話題になっていないというか...後は中島かずき的手法がちょっともう慣れられてしまった?とか?似たような色覚にダイナゼノンがあってそっちのがインパクト高くてカラーセンスが受け入れられたとか?
谷口悟郎作品好きなんだけど、キャラクターデザインの色調的統一感というのかな...ビジュアルというかカラーセンスは正直なんともいえない...プラネテスとrevisionsは結構ビジュアル好き。
コードギアスCLAMP先生がいたことですごいビジュアルイメージの底上げが出来たのだと思う。ロボット方面は元々得意分野だろうからどう転んでもそこそこ以上の受け入れられ方だったろうし。

 

●ここは今から倫理です 6巻
あいも変わらず面白い。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」と心底疑問に思い、実際殺そうとしまくる生徒、
性欲は悪だ、と教えられつつも隠れて自慰にふけり、自己嫌悪とともに旺盛な性欲を自覚せざるを得ない生徒、コンプラも真っ青な体罰職権濫用上等のスパルタ教師に精神的に追い詰められつつも、それでも教師を慕う気持ちから本心を抑えて踏ん張り続ける生徒...等。

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↑キモいこと書くけど、この子僕が初恋だった人に似てて、ぶっちゃけた話興奮しちまった……

けどなんか、道徳心?自制心か?が、そういう心の動きを許さない。

 

 

この巻も色々な事例とそれに対するたかやなの言及がなされる。

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そしてこの巻で衝撃的だったのは新キャラこと萱島(かやしま)先生の登場。

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自称カウンセラーということで、「ゲシュタルト療法」の手法を用いる。
このように、とにもかくにも問い詰める。こんなんされたら、僕は「ア...ア...」しかしゃべれなくなっちまうよ...
とまあ、そんな衝撃的なデビューだった萱島先生なのだけど、巻末にて、著者・雨瀬シオリ先生曰く「実際はここまで威圧的にはやりません」との事。ああよかった。
ちなみに雨瀬シオリ先生、この漫画を描きつつ通学をし、心理関係のカウンセラーの資格を取ったのだそうだ。驚愕した。すごすぎるだろ...................
と、今回も盛りだくさんだった第6巻。とても面白かった。
この作品のいいところは、ビルドゥングスロマンでもなければ世界を救うヒーローものでもない、かといってラブロマンスでもない、何かといえば近いのは日常もの、ヒューマンドラマに類するのが一番近しいのだろう。しかし、だからといって、ドラマいえども、ドラスティックに行為や認識が変わることはない(物語的にそれなりにはあるけど)。
それは、たかやなが自称するように『「倫理」とは、学ばずとも将来困ることはほぼ無い学問です』とリンクするのだろう。
しかし、小説「金閣寺」でもあったが、世界を変えるのは、認識なのだという話を僕は信じている。その認識を善く思えばこそ、物語の好転に繋がる...という、地味かも知れないが確かに光を灯してくれそうなこの作品の雰囲気がとても好きだ。
そして同時に、主人公の高柳先生自身は、言葉を信じて入るも体現しきれずその葛藤を常に抱えている人物...と僕は捉えている。
そんなたかやなにも共感する。過去の叡智とは、その奥深さに感嘆するも、現実というものの威力に簡単に吹き飛ばされてしまうとか、叡智同士が干渉し合ってしまったりだとか、知ることは苦しいものにも近いのかもしれない。
たかやなは、きっと、そう感じながら生きている。と、僕は勝手に思って、共感している。共感もそうだし、憧れもやっぱりある。かわいいとも思うし。好きです...高柳先生。
あとやっぱドラマでたかやな役やってた山田悠貴もハマり役だったと思う、めちゃカッコよかったもん。なんかどんどんスキスキ話になっていっちまっている...。

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それではおやすみなさい。
明日は一日中「LiEat」を再プレイして振り返って向き合ってみます。
実はノベル版も購入していた。のだけどタイミングを見計らって読んでいなかった。
明日は一日LiEat色に染まって浸ってみようと思う。
最近は閃光のハサウェイにどっぷりで、宇宙世紀の重苦しさにがんじがらめになっていたのだけど、Ξつくるのとかもまあうまくいったし生活リズムも戻ってきたこともあって調子が戻ってきました。地球の重力に魂を引かれちゃいるが、少しずつ戻ってきた...というメンタリティ。