昆虫のような僕
●仕事
仕事をしている。
生きるためだ。
仕事内容は、僕という人間の興味関心に依るものでなく、
「こなすべき業務」があるから、するのだ。
自発的に、その業務に対して、どのような働きかけようかなどと、思うことは無い。
こなすべき業務を、こなすだけだ。
おカネをもらうために。生きるために。
起きた事象に対して、理にかなっているか否かを自身で判断しない。
判断基準をもたなくなったからだ。
その事に対する是か非か、善か悪かは、僕が判断する立場ではない。
だから、僕は、僕のすると命ぜられていることを、完了とされる段階まで、こなすだけだ。
周囲者は、上司への不満をもらしていた。
あるいは、仕事の体制についての不満を。
僕は、率直に、内心思った。
「ああ、そんな考えもあるのか。考えもしていなかった」と。
だって、目の前にある案件が、すべきことだとばかり思っていたから。
そのことへの、満足か不満かなどという価値観を、もはや持ち合わせなくなっていた。
だから、こう思った。
嫌みでもなんでもなく、文字通りにこう思った。
「仕事についての意義を考えられるなんて、すごい」と。
僕は、業務についての意義性など、考えなくなっていた。
支持を受ける。こなす。支持を受ける。こなす。
上司は、上司だから上司だ。
仕事は、与えられた業務だから、仕事だ。
指示された作業をこなすことだけが、仕事だ。
そう、思っている。
思っていると言うより、そのように体が動く。
そう考えるように、頭ができている。
理由は、「そうしろと言われたから」だ。生きるためというより、そうしろと言われたからだ。
●異性を求める
帰宅をする。通話アプリとかをDLしてみる。
深入りはしないが、たくさんROMる。そして、無為な時間を過ごす。
刹那的な欲を満たすための時間を。物足りない、寂しい、そんな不足感への対症療法的でしか無い時間を。
ざっと、僕の生活を振り返ってみた。
こんなもんである。
仕事をする。帰る。異性を考える。
とても動物的で、とても昆虫的で、反射的だ。
そこに意思があるのかも分からない、ただ、太古より子孫繁栄の為の行動たる、生存し存続するための行動原理に従っているだけのような、遺伝子の操り人形になったかのような感覚がする。
僕は、人間たり得たい...。
差別的に「動物」「昆虫」「人間」という表現で記述してしまったことをお詫びします。
現状の僕には、他のそれらしい表現が思い浮かばず、現時点でこのように記述するしかない程度の脳の持ち主であります。非常に心苦しいことだが。