いまのインターネッツは 憩いの場所なんかじゃなくて 大抵、みんなの必死の労作を発表し合う場所になっちまった
仕組みとして、その労作がまず目に入るインターフェイスが主流になっちまった
それはいい
が、すんげー窮屈だ。
世界全ての人間が必死で、自分だけ何もしていない気持ちになる。
しかし、そんなことはない
ぜったいにない
(ただ、必死になり合い発表し合う場所に覚悟を以って戦っていくというならばその限りじゃない、そうしている者を蔑む気持ちは一切ない)
そして、発信するもの全てが必死なものでなければならないなんて理屈はない
だから、僕はなんでも喋ってやる
少なくとも、このブログ、はずレールガンにおいては、心のままを綴り続ける、今はそう思っている
自分が記述している場所だからだ。
そのような意味で、何をレールとしているかは謎いが、インターネットにも表現形式や、レールのような不文律があるかもしれないとして、そのレールからは外れさせてもらう意味で改めて名乗る、
それがはずレールガンだ!!!!
ただしこれは、ルールを設けず、用法要領を僕の良心に基づいて守って心のままにやっていこうとした場所においては、ということだ