ちくしょう 眠れない
という題にしているのに、電子機器のブルーライトを浴びるとか、部屋の照明が昼光色で、明るくしてるとか、寝る気あんの?って状態で書いてる。
……承認欲求というか、嫉妬?のお話
たぶん嫉妬だ。羨む気持ちなんだと思う。
僕は、やさしくて、いい人、に、なりたかった。
江戸の花魁というのは、知的な会話をも興じてお相手を楽しませたというそうな。
そのお話を、すごくいいなと思ったし、あこがれた。
僕が、よい言葉を求めるのとか、考えるのとか、自分と世界を共有する人…共有したいと思った人と、互いに気持ちよくなれるためだ。
楽しませるとかとは、違うかもしれないけど。
で、僕のさもしいところでもある。
やさしくて、いい人と思われたいんだなと気づいた。
ある人のブログを読んだとき、それを思い知らされた。
言葉巧みな文章だとか、周囲者の称賛や評価の言葉だとか。
その人の発信と、考えそのものを褒められるって、それ最強じゃんか。
絵とか、動画とか、制作物とか、そういうものはさ、その人の「つくったもの」への評価がまず一にくるんだと思うけど、
その人の「考え」「ことば」への称賛ってさ。生きていることそのものを根っこから認められてるみたいな。なんだよそれ。
ああ、僕そう思われたかったのか?
みじめかな。いいや、勝手に惨めになっている。
こういう自意識過剰と嫉妬、一生付き合っていかなきゃなんだな…
ここ数ヶ月、ほぼ無意識的に、そんな衝動を寄せそうなものをシャットアウトしていた。
でも、ふいに目にしてしまった。飛びついてしまった。
まあ、今も、そういう気持ちをセーブする方策…ようは、「そんな気持ちに浸る暇ない」作戦を講じることで対応している。
ずっとそうしていけばいい。
ようは、ずっと、「していること」を定めていれば大丈夫だ。
我ながら思うけど、ちょっとビョーキっぽい。
でもね、自分の扱い方みたいのが少しずつわかってきた気もする。
それは、先の勉強もだけど、ようは勉強するときにタイムロッキングコンテナにネットワーク機器全部ぶち込んでタイマーセットして机に向かえばいい。それだけでいいとわかった。
独りになれる時があればそれだけで良いのだと。
ああ、僕の中に他人がいる。
くやしいな。